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昭和の子 #3

私が生まれた昭和36年といえば、戦後から15年が過ぎ、日本は高度経済成長の真っ只中。3年後には東京オリンピックも開催されることになり、新幹線や高速道路、テレビの普及などみんなが明るい未来を夢見て、一生懸命働いてた時代。

そんな時代に生まれた私たち世代は、戦後のベビーブームも終わり、あまり、人と競争したりするこのもなく、のんびりしていたのかな?よく学校の先生は、"シラケ世代"と呼んでいました。

子どもの私にはなにも関係なかったけど、世の中が豊かになっていく中で、貧しかった両親は、毎日必死に働いていました。

小学校に上がるまでには、2歳年下の弟も生まれ、とても生活が大変だったと思います。

私が4歳の時に、住んでいたアパートが火事になり全焼したり(@_@)‼️

この時、私は一人で2階の部屋でご飯を食べていて、火事だ〜‼️という誰かの声に階段のところまで来たものの、すごい煙で降りることもできず、泣き叫んでいたところを、外で洗濯物を干していた母が、私を抱き抱え、階段を滑り降りて助かりました。

今でもはっきり覚えています。

この時、母が駆けつけてくれなかったら、私は今ここに居ないんだなぁ!と思うと、ほんとうにありがたい事。

だけど

そんな母は、当時はわからなかったけれど、今で言う「学習障害」だったのだと思います。でも、働き者だったのを買われ、父と結婚したようです。

とにかくこの母は、とても人懐っこく働き者ではあったけれど、私は大嫌いでした笑

名前も両親も嫌い‼️

困ったね。。

つづきはまた明日

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