No.960 ゲシュタルト療法における図と地とは何か、そして、そのことによって私たちにどのような変化が起こるのか、考察してみる、、
ゲシュタルト療法における基本理論の一つに図と地の転換というものがある。
図とは私たちの前景にあるものを言い、地とは私たちの背景に隠れているものを言う。
皆さんはルビンの杯を知っているだろう。
見方によって、杯に見えたり、人の顔に見える絵である。
私たちは、今この瞬間に自らの欲求が求めるもの(興味あるもの)へと惹きつけられる。
ゲシュタルト療法の基盤となっているゲシュタルト心理学において、私たちの知覚は今この瞬間に自らが求める欲求が図(自らの前景)となり、それ以外のものは地(自らの背景)へと隠れる。
例えば、3人の男たちがとあるパーティ会場へ行ったとする。
1人目の男はそのパーティー会場で恋人と待ち合わせをしていた。
すると彼はパーティー会場へ入るや否や恋人を探し始める。そして、その他のことは彼の眼中にはない。彼は恋人が見つかるまで探し続ける。
また、2人目の男は絵描きであった。
その絵描きは会場へ入るなり、壁に掛かっている絵画へと惹きつけられる。彼はその絵画を隅から隅まで見続ける。
3人目の男はアルコールに眼のない男だった。
この男は会場へ入るなり、ドリンクコーナーを探し、一目散に向かい、アルコールを選び始める。
そして、様々なアルコールを楽しげに飲み続けるのだ。
彼ら3人は同じパーティー会場へと入ったにも関わらず、彼ら一人ひとりの興味や欲求は異なる。
このことは何を意味するのだろうか。
それは私たちの図となっているものが私たちの興味や欲求によって、私たちを支配していると言うことである。
この欲求が満たされるまで私たちはその欲求に囚われ続けるのだ。
1人目の男はパーティー会場で恋人に出会った。彼はやっと落ち着きを取り戻した。すると彼は急にお腹が空いていることに気づき、食事を取りに行った。
2人目の絵描きの男は、壁に掛かっている絵画に見入り、十分にその絵画を堪能した。すると、彼はもうこのパーティーに興味がなくなったのか帰ってしまった。
3人目のアルコール好きの男は十分にアルコールを堪能したことでその会場の人々と会話を楽しんでいる。
このように、私たちは自らの欲求を充足するまで、その欲求に囚われ続ける。
そして、その欲求が十分に満たされれば、私たちに新たな欲求が浮かび上がってくる。
私たちは日常において、この図と地の転換の繰り返しの中で生きている。
上に述べた例は、まさにゲシュタルト心理学が伝えていることである。
そして、このことはゲシュタルト療法の基本理念としてゲシュタルト療法の根本をなしている。
私たちは日常において、私たちの欲求が充足すれば、その出来事は地(背景)へと流れ、新しい欲求が浮かび上がり、また、その欲求が充足されると、その出来事は地(背景)へと流れ、また、新しい欲求が浮かび上がる、、この繰り返しである。
この繰り返しは、正常に私たちが機能していることを意味している。
しかし、私たちがある欲求を充足できず、その欲求に囚われ続けるとしたならどうだろう。
例えば、
パーティー会場へ行った男が探しても探しても恋人を見つけられないなら、その男は恋人が見つかるまで探し続けるだろう。そして、その間は他のものは全て彼の意識から除かれてしまう。
アルコールに目のない男がそのパーティーにはアルコールが出ないと知ったなら、さっさとパーティー会場を後にし、アルコールのあるどこかのバーまで歩き続けるかもしれない。
これがゲシュタルト療法で言う、図と地が転換せず、図に固着している状態である。
恋人を探している男は恋人が見つかるまでこの出来事に囚われ続けなければならない。
アルコール好きの男は、アルコールを手にするまで、彷徨い続けることとなる。
そして、その他のことは全く眼中になくなる。
この例のようなことは、私たちの日常でもよく見かけることである。
家庭や仕事場、その他において、親や上司、友達から理不尽なことをされたり、言われたり、、
その出来事に私たちは囚われ、他のことが上の空になってしまう。この出来事が私たちの中で充足しなければ、いつまでもこのことに囚われ続ける。
ゲシュタルト療法では、この図に焦点を当てていく。この図と地の転換がスムースであるならば、私たちは健康的な心理状態であると言える。
ゲシュタルト療法において、図へとアプローチすることはどういう意味を持っているのか。
私たちの前景へ浮かび上がってくる図は、今この瞬間において何らかの興味や欲求、気掛かりとして私たちの意識へと浮かび上がっているものである。
そして、ゲシュタルトセラピストはその図へとアプローチを試みる。
アプローチの仕方は様々であり、ここでは語り尽くせないが、セラピストがアプローチすることによって、その図を抱えているクライエントには何らかの気づきが訪れる。
例えば、会社において上司との関係がギクシャクしてしまし、そのことが頭から離れないクライエントがいたなら、どのようなことが気掛かりとして残っているのかなど、その気掛かりへとアプローチを試みる。
このことによって、これまで気づいていなかった気持ちや感覚が浮かび上がり、そのことに気づく。
この気づきは小さな気づきかもしれないが、これまでの気掛かりとは違った上司との関係性が新たに図として現れる。
これにより、これまで図として意識に浮かび上がっていた感覚や気持ち、考えは背景へと隠れ、新たな感覚や気持ち、考えが新たな図として浮かび上がってくる。
そして、セラピストはその浮かび上がってきた新たな感覚や気持ち、考えなどの図へとアプローチする。
セラピーにおいて、この繰り返しである。
するとこれまでクライエントが意識していなかった感覚や気持ち、考えと言ったものが次々に浮かび上がり、それが気づきとしてクライエントに変化をもたらす。
最初はただ単なる1つの点 • (1つの気づき)
だったものが、2つの点 • • (2つの気づき)
3つの点 • • (3つの気づき)
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4つの点(4つの気づき)• •
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そして、気づきが増えれば増えるほど、その気づきは私たちを1つのまとまりへと統合していく。
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ゲシュタルト療法において、図へとアプローチすることで、隠れていた意識が新たに浮かび上がる。それが新たな気づきであり、そのことが統合された私を作り上げていくのである。
このことによって、クライエントはこれまでとは違った感覚を手に入れることが可能となるのだ。
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