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No.961 沸き立つ思い。41年前の高校球児へと還る瞬間。アオハルの中へ私の感覚は蘇る。そして、身体感覚は嘘偽りない私を今ここに存在させてくれる…

今日は高校野球、夏の甲子園出場校を決める鹿児島大会の決勝です。

ランチをしながらそのテレビ中継を観ています。

実はランチでこの店に入ろうか迷ってました。

入店を決めた理由は、他によさそうな店がなかったこと、ベジタブルカレー🍛があったこと、アルコールがあったことでした。

でも本当の理由はそうではなかったことに気づきます。

私たちの身体は私の気持ちを知っています。私の嘘偽りのない気持ちを知っているのです。

このスポーツバー的なお店でランチをした理由、、

それはこの高校野球決勝に惹かれたから、そうだったことです。

私の身体へとそのことを照合してみます。

身体は嘘偽りなく、お前、今頃自分の気持ちに気づいたのか、そんなことを私に伝えます。

私はこのお店の前を通った時点で、既にこの店を選択しているのです。

私というよりは、私の身体が選択していた、という方が正確でしょう。

フォーカシング指向心理療法において、身体感覚は次なるものの暗示を含んでいると考えています。

それは事実として、私たちの身体は私たちが次に何をすべきなのかを知っているのです。

私の実践しているゲシュタルト療法の創始者の1人、フレデリックFパールズはユダヤ人でした。

その当時、ドイツはナチスに支配されつつあり、しかし、その時、人々は不穏な空気を感じながらも、自分たちが迫害されるとは思っていなかったのです。
思っていなかったというよりは、これまでの経験からそんなことは起こるはずがないと思いたかったのかもしれません。

しかし、パールズはその不穏な雰囲気を身体感覚で感じます。おかしい、これまでとは違う、この国を脱出しなければまずいことになると、、

彼は1933年、オランダへ亡命し、難を逃れます。
しかし、ドイツに残ったユダヤ人は迫害されることとなります。

パールズは自らの身体感覚を信じ、その声に従ったのです。

他の人々は自らのこれまでの経験を思考で理解したのです。その人々も不穏な空気感を感じていたはずなのに、経験という思考がそのことを邪魔したのです。

パールズはこの体験も含めて、過去の出来事や感覚ではなく、今ここに生きること、今ここでの気づきに焦点を当てた、ゲシュタルト療法を作り上げます。

話を元に戻しましょう。

私は他に良さそうな店がなく、ベジタブルカレーがあるから、アルコールがあるから入ったんだと、思考で言い聞かせたのです。

しかし、身体は正直な私の気持ちを知っていました。この高校野球を観たいんだという。

そして、それは観たいということ以上のことを知っています。

それは何か、

懐かしさであったり、良き思い出の記憶であったり、

そして、神村学園と鹿屋中央高校という決勝戦でした。

実は、私も元高校球児であり、このことも私をこの店に惹きつけたひとつの要因だと思います、、

しかし、それ以上のものを身体は知っていました。

それは何か、、

私が41年前に負けた相手のチームが鹿屋中央高校という地方にある高校でした。

その地方高校が名門と言われる神村学園と甲子園をかけて決勝で戦っていたのです。

私の身体はその41年前の記憶と共に、当時の私をその世界へと誘います。

何か自分が今日のこの決勝を戦っている、そんな感覚を私に与えてくれます。

それは鹿屋中央高校という私のアオハル時代に負けた、私の最後の戦いであった高校であったからだと思います。

思うという言葉は適切ではなく、身体が私へその通りだと確信を与えてくれます。

私は心の中で、どちらも頑張ってもらいたいと思っています。

しかし、私の身体は違います。

鹿屋中央の一挙手一投足にその店で声を上げてしまいます。

それを感じた時、私は鹿屋中央高校に頑張ってほしいことに気づくのです。もちろん、神村学園にも頑張ってほしいという気持ちは偽りではありません。

それ以上に、という気持ちが浮かび上がります。

本当に素晴らしいゲームでした。

最後は延長戦の末、神村学園が優勝し、甲子園への切符を手にしました。

その時の私の感覚は、残念さよりも互いの素晴らしい戦いに対するリスペクトだけがそこにありました。

そこには、私のアオハルを重ねた私が存在します。

あの時の悔しさや清々しさ、そして、こぼれ落ちた涙、高校生の時はそのこぼれ落ちる涙に全てが凝縮されていたのでしょう。

そして、その涙は絶対に悔しさや感謝や残念な思いが複雑に入り混じっていたのでしょう。

しかし、その当時、私はそのことをじっくりと感じることはできなかったと思います。

私は今日のこの決勝戦に、アオハルだった私を映し出し、そして、その当時の気持ちを再体験することができました。

それは身体感覚が私へと教えてくれた、私へとギフトを与えてくれた、そんな感じがしています。

私の身体は嘘偽りのない、私を今ここに存在させてくれるのです。




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