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[movie]カイロ・レンに捧げる映画~『アイム・ノット・シリアルキラー』('16)


スター・ウォーズ(以下SW)旧三部作が小さいころから好きだった。SWのビデオを子守にして育った私にとって、あの映画は兄弟であり、身内のような存在だ。

そして、新生SWに登場する若き敵役、カイロ・レンのことも、とても好きだ。彼への感情はとても複雑で、罪悪感のようなものすら感じていたりするんだけど、非常にややこしい話になるので割愛する。とにかく、私は彼の幸せを願ってやまない。

ナイーヴで、弱っちくて、でもだからこそ沢山の人の心に住み着いて、そっと寄り添うようなキャラクター、カイロ・レン。彼の空気を背負った、彷彿させる、同類の、あるいは、彼にオススメしたい。そんな映画を、勝手に紹介します。しますよ。

『アイム・ノット・シリアルキラー』(2016・英愛)

<あらすじ>  公式サイト
アメリカの田舎町に暮らす16歳の少年・ジョン(マックス・レコ―ズ)は、葬儀屋さんを営むお母さんと現在二人暮らし。死体や殺人が好きすぎるせいでソシオパスの診断を受けて、絶賛カウンセリング中だ。
そんな彼の住む退屈な町で、連続殺人事件が発生。実家に運び込まれた犠牲者の異様な遺体を見てしまったジョンは興味津々。好奇心のおもむくまま探偵のまねごとをした結果、お隣に住んでいるお爺ちゃん(クリストファー・ロイド)が人を殺している現場を目撃してしまう。
殺人への興味と倫理のはざまで葛藤するジョン。しかし、彼を待ち受けていたのは、予想外の事実と、更なる恐怖だった――。

<おすすめ>
とにかく、主人公・ジョンの造形と、陰鬱で乾いたトーンの画面が素晴らしい。
ジョンはたしかに殺人や死にまつわる事物が好きなのだが、映画を観るかぎり、そこまで重症なのかどうかはわざと曖昧にぼかされている。大切なのは、ジョンがその診断をどう受けとめているか、だからだ。

彼にとって、ソシオパスであることは、劣等感であると同時に拠り所でもある。そして、彼にもそれはわかっている。
劇中、ジョンがいじめられっ子に絡まれるシーンで口にするソシオパス絡みのジョークからは、彼の屈折した自尊心とともに、自身を冷徹に見つめる、諦念めいた明晰なまなざしが見て取れる。
陰鬱な北の田舎町の冬景色に、揺れる繊細な十代の横顔が映える。荒涼として寒々しい、乾いた美しさに溢れる映像美は、それだけでも一見の価値がある。

劇中には、何度も「変容」というキーワードが登場する。
友人がプレイするゲームは『The Order: 1886』だし、離婚して遠くにいる父がジョンを呼ぶときに使用する“タイガー”は、老人の朗読するブレイクの詩と見事に呼応している。

<※ここから先、映画の終わり方について『曖昧に』触れています。何がなんでもネタバレが許せないタイプの方は次の※まで飛んでください>

しかし用意されたラストは、そうしたお膳立てを裏切る。すなわち、ジョンの決断は、彼のソシオパスという診断に、治癒や悪化といった決着を、ましてや成長などをもたらさない。
エンディングは、非常にわかりやすいカタルシスのある、言ってしまえば「エモい」エピソードとなってはいる。けれども、その結末を下支えしているのは誰の強制でもない、変わらぬジョン自身の眼差しなのだ。(それだけではない「意外な」展開もあるが、そこはむしろジョンの冒険に相応しい、奇妙なエンジンとなっている。この展開は大正解だろう。)

映画は、ジョンを治そうとする輩に、それを期待する観客に中指を立てて終わる。それは、不定形の魂を抱いた人間を型にはめることで儀式の終了とみなし、「これでようやく君も人間の形を得た」とばかりに、したり顔をして近づいてくるあれこれを、徹底的に拒否することに他ならない。ジョンはジョンのまま、逃げ切って映画は幕を閉じる。

<※ここまで>

その断固たる姿勢に私は喝采し、やはり同様の逃走を試みていたかつての自分を思い出してしまった。さらには、「お前はこうだろう」と押しつけられ続けることで哀しみを募らせていったカイロ・レンにも重なった。というか、主人公ジョンは、どうしても若かりし頃のカイロ・レンだった気がしてならないのだ。

なお、ジョンを演じるマックス・レコ―ズは、『かいじゅうたちのいるところ』('09)でマックスを演じていた子、といえば、思い出す方も多いだろう。
あの年代特有の壊れそうな繊細さを、ジョン役は彼しかいなかっただろうと思わせる程のハマり具合で魅せてくれる。美少年が好きだ、という向きにもオススメできるのではないだろうか。

(2018/08/03現在、Amazon Primeにて配信中)
(2018/10/07付記、Netflixで配信開始されていました)