見出し画像

[diary]08/16 無い袖は振れないけど、それでも必死に振る

実に8日ぶりの日記、書き出して、自分でもびっくりしてる。
ということは、8日間毎日kylux小説書いてたんだ。ちょっとやりすぎじゃね?大丈夫?息切れしてない?

わたしは、自分に毎日の課題というか、お約束を課している。それは、「まいにち、なんらかのかたちで、ある程度の量の文章をひとめにさらす」ということ。
目的はひとつ、文章の上達だ。
なんで文章がうまくなりたいかというと、書きたいものがあるから。で、書きたいモノは何かとというと、とある映画の二次創作小説だ。
アホか、と思われるかも知れない。オリジナルの小説ならいざ知らず、そんな、二次創作のために、と。実際言われもした。ま、そうかもしれない。
けど、この二次創作を始めてから、楽しいことがたくさんあったのだ。生まれて初めて、「書いてみたい」と思うこともできた。書かないとばくはつする、じゃなくて、表現したいことが生まれたのだ。そして、たぶんそれはとても幸せなことだ。だから、今はその目標にむかって努力すること自体が、楽しい。

もちろん楽しいだけじゃない。当然ながら、苦手分野を練習する必要もでてくる。私の苦手分野は、ずばり、エロだった。
書いてみて、そして書いたモノを友人や恋人に読んでもらって初めて知ったのだが、私がエロだと思って書いているやつは死の匂いが濃厚すぎてえっちな気分になれない、というのだ。
めっちゃびっくりした。死ってお前、は?みたいな。
ただ、納得する部分もあった。
私がエロいシーンを書くとき、無意識に参照しているのって、おそらく皆川博子や赤江瀑(真似できてるとは言ってない)あたりなんだと思う。
官能小説はほとんど読んだことがないし、二次創作もつい最近はじめたせいもあって、やっぱりほぼ読んでいない。つまり、えっちな気分にさせることに特化した文章というものに、触れたことがあまりないのだ。
そのことに気づいたときには愕然とした。なんという引きだしの少なさ。

知らないこともたくさんある。
人体の器官の、正式名称もそうだが、通称を知らない。ひとつの感覚に対する表現のしかたのレパートリーもない。
抽斗のないなかで書く喘ぎ声とか、ほぼ拷問だ。ゲシュタルト崩壊ののち爆笑がやってくる。そうなったらもう終わり、詰みだ。ていうか、いくら想像っていっても限界があるじゃん、自分にない器官の感覚ってどうなの?と調べようとするとすると、意外と男性目線で男性の感じ方が書かれた小説はぱっと見つからなかったりする。
かといって恋人に電話かけて唐突に聞いたら、さすがにまずいだろう、くらいの理性はいまのところきいている。いや、聞けるもんなら聞きたいから今度さりげなく話題を持っていこうかなと思っていたりはするんだけど。でもねえ。

それにしても、たとえ二次創作であっても、自分で小説を書いてみると、自分が使えるものなんてたかが知れてることを、いやってほど思い知らされる。
あんなにたくさん本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて。それでも、わたしはからっぽだ。不注意にいろんなものを素通りしてきたのだ。
そのことが情けなくもあり、ウオオ今に見ておれで御座いますよォォォォォという気持ちも湧いてくる。
自分の鈍感さをここまで突きつけられることもあまりない。
創作する人ってすごいんだな、と、遠くおよびもしない地から、いつも面白い小説や映画やゲームや音楽や絵や、そういうものを届けてくれる人々に尊敬と感謝の念を送ったりした。
エロから端を発した念でごめんだけど。