見出し画像

[diary]09/14 俺と貴様は関係ない

今日はちょっといらいらした話。
心を乱したくないひとは、読まないことをおすすめします。

ツイッターでこんな発言を見た。

勝手に好きになり勝手にファンになり勝手に金を貢ぎ勝手に追いかけてる身であるから、推しにこうしてほしいといった自分の理想や願望を押し付けようとは思わないが『元気でいてほしい』『幸せでいてほしい』という願望ならば全力で押し付けにいきたい。それはもう推しが引くくらい全身全霊をかけて。

どうにもこうにも引っかかった。一見、良い言葉ふうである。でもなにか、気持ち悪い。じゃあ、何が。

まずひとつめ。
この発言、『「良い」願望であれば、それは押しつけてもかまわない。たとえ相手が及び腰になっても』と要約できる。
「元気でいてほしい」「幸せでいてほしい」。なるほど、一見すれば確かに良いことであるかのようだ。しかし、それは本当に「良い」ものなのだろうか。
対象が手の届く範囲の知人であれば、ある程度の価値も推し量れる(かもしれない)。しかし、「推し」というからには、きっと赤の他人である。
遠い場所にいる、まったく知らない人間に押しつけても構わない願望。
そんなモノの「良し」「悪し」など、判別できるものなのだろうか。押し付けであることには、何も変わりないのに。

さらにもうひとつ。
好きな芸能人に元気でいてほしいと願う。
まあ、ふつうのことだ。私だってそう願っている。
しかし、それを「全力で押し付けにいきたい」「推しが引くくらい全身全霊をかけて」などと強い言葉で言ってのけてしまうのは、どうにもしっくり来ない。
というか、この言葉選びから透けて見えるのは、「そこまで愛してしまう私の気持ち」だけだ。相手のことを思い遣っているふうではあるが、この言葉の中に「相手(=他人)」は存在していない。

まあ、そもそもツイートいうのは吐き捨ての言葉である。
件の発言だって、言ってみればファンが仲間うちでやる言葉遊び、「上手いこと言いたい選手権」の亜種のようなものだろう。
罪はない。

罪はないが、その臭みにはうんざりする。
しかもTwitterというメディアの特質上、本来は細かな差違をもつはずの者たちが、「わかるー」という薄い共感によってつながり、「仲間」がどんどん拡大してしまっている。それ故、「仲間内」という臭い自意識が、恥ずかしげもなく外にまろびでてしまっている。
私がうんざりした主な原因も、おそらくはそこにあるだろう。

それにしても、15,000以上のRT数である。
その全てが肯定的な反応というわけではないにせよ、ある程度の数は「良い話」として受け取っているわけだ。
そりゃあ、アイドルの個人的な事情(言い替えれば「余計なお世話」)で、あーだこーだと揉めるファンが後を絶たないのも頷ける。ワイドショーが相も変わらずゲーノージンの不倫だの恋愛だのを追っかける理由も然り。
ついでに、他人の偶像になり得る可能性の高さが跳ね上がる「有名人」という職業が負う/負わされるモノの重さにも眩暈がした。

人間というのは、こうも簡単に自他の境界を曖昧にし、さらには自己欺瞞で「俺が俺が」祭りを開催し、あまつさえ「他人のため」ヅラをするものなのである。
そしてそれは、きっと私も例外ではない。そこが一番耐え難い。

いやなもの読ませてごめんね!
今日はキノコのホイル焼きを食うよ私は!!!