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[diary]09/03 胃カメラとCLASSY.

■何はなくとも人間ドックの日でした。
無事におわって良かった。胃カメラ、また来年もあるんだよな……。アントマンにちゃちゃっと入ってちゃちゃっと出てきて貰いたいな……ワスプでもいいよ……ダメかな……。

■待合室に女性ファッション誌が置いてあったのをみかけて、少し懐かしくなる。
と同時に、私は「CLASSY.」とかをむりやり読んでいた系会社員の時期が一番地獄だったなあ、とぼんやり思い出していた。

■べつに「CLASSY.」をくさしているわけではないです。お世話になりましたし。
ただ、あの雑誌に掲載されているのは、私の服装ではなかったというだけで。
会社のひとたちの言う「普通の」服装コードがうまいこと定義できず、一生懸命そのコードをアップデートするためだけに読んでいたから、雑誌だって良い迷惑だっただろう。
少しでも楽しもう、馴染もうとしたのに、どうがんばっても楽しくなれなかった。本当にしんどかった。

■コードの定義が非常に繊細で曖昧というのも、苦手感に拍車をかけた。
毎号《この夏(冬でも秋でも)のトレンドはこれ!》と言いながら、「えっそれこの間も言ってなかった?」という似たり寄ったり(に私には見える)ものが掲載される。
《細かいところで個性を》と言われても、みんな同じようなことをしているので何が個性なのか、何が違うのかわからない。
とにかく、私にはない感覚で充ちていた。要するに私はあのセンスの世界では「ダサい」ということになるんだろうなあ、と頭を抱えた。

■けっきょく、そのコードに馴染むのは数年であきらめて、「ダメとは言われてない」戦法に切り替え、好きなものを着るようにした。よくわからないダメ出しには、ひたすら仕事の成果をもって対応した。それでうまく行ったのは、運が良かったんだろうと思う。
通勤服は毎日のことだから、できれば自分が着ていて楽しいものを選びたい。それでなくとも通勤電車は地獄なのに(東京の通勤ラッシュは異常なんです)。

■ちっぽけな問題かもしれないけど、当時は本当に苦しかったなあ、頑張ってたんだろうなあ私、と、今なら思える。同じように苦しんでる子は、今もたくさんいるだろう。
人によって取る道、合っている道は違う。運もある。
だから、「きっと大丈夫だよ」なんて軽々しくは言えない。
言えないけど、「今見えている道だけが選択肢ではない」ということだけは覚えておいてもいいかもしれない。
「見えてない」ことを意識するのは、慣れていないと想像する以上に難しい。わたしなんてアホだから、『「見えてない」と意識してるつもりで出来てなかった』ことに気づくまでに30年くらいかかった。

■「社会」と一口にいってもあまりに広大なのが社会だ。
いま私は中央にはいない。けっこうな端っこにいる(と思う)。
端っこの私は、夏はもっぱらホラー映画のTシャツばかりを着ている。あとジャッジ・ドレッドとか。そして、それを着て歩く夏は、愛されコーデで歩く夏より、かなり快適だった。自信も持てた。
みんなが好きな服を着てあるけるようになるといいね(そして服に興味ない人が適当な格好してても怒られないように)。
胃カメラに震える待合室で、そんなことを考えていた。