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新聞と本

紙の新聞を取り続けている。

質感も好き
人が読んでいる姿も好き
(一人暮らしだけどさ)
カサカサとした音も好き
読む前と読んだ後の
やわらかさが変わるのも
匂いも好き

デジタル契約にしたら、
読まなくなる予感がします。
そのための時間をきちんと作る自信がない。

ニュースというものの中で
新聞の情報は、かなり精度が高いと
自己判断ですが思っています。
とにかくウェブ上の何かのように
消してしまうことも、
書き換えることも容易くはできない。
形になって残ってしまう。
それが自ずと情報としての質の高さに
繋がっているのだと思うのです。

 もっと精度の高い情報も
ネットの中にもありますよ、と
いうこともあるのかもしれないけれど
それを探しに行くのは
紙の新聞を読まなくなったらでいいや。

 チラシは台所の生ごみ処理に使うし
読んだ後の新聞は
猫のトイレの始末に使うし
必要なんだよね と
言い訳しながら続けてます。
その他はリサイクルに出すから
ゴミじゃないからいいんじゃない?
と思ってました。

 が、ここにきてぐらりと
根っこを脅かされるような
気持ちになってます。

いろんなところに書いてある

紙資源を使わないで
デジタルで読むほうが 地球に優しい。

 え?そうなの? そうなのか。

 本もそうです。

ミニマリストのみなさんも
サステイナブルなみなさんも
本は買わずに、図書館で借りる
もしくはデジタルで読もう
という主義の方が非常に多い。
考え方としては
正しいのかもしれません。

 でもねぇ。

 質感のある本という存在そのものを
否定するのは、やりたいことじゃない。

 読んだ時の気持ちや時間を閉じ込めて
本棚に並ぶたたずまいも
手に取った時の重さも
ページをめくりながら
物語を追いかけたり
時には湯船に落としたりしながら
時間を一緒に過ごしたもの。

 かちかちの頭の中を耕し、
栄養や勇気を与えてくれる存在だから
だから 本というのは
愛おしい大事な存在です。

 そもそも図書館に並べるためにも
本は作らねばならないのだよね。

 電気がなければ読めないというのは
エコなのか?と小さく意地悪なツッコミも
入れたくなったりもします。
電池がなくなったら読めなくなるんだよ。
デジタル機器も、電池も、
土に戻るもんじゃないよね?とか
屁理屈を捏ねだすとキリがない。

 紙の本なら、読み終わるまで
そこにエネルギーは必要ありません。
そして、紙は土に戻るものです。

 本、重いな、と思う旅行時や移動時には
デジタルはありがたいし、
続きが読みたい時にサクッと買えてしまう
便利さも否めません。

 さて、どっちが正しいの?の答えは
簡単には出ないし
別に出さなくてもいいかな。

 モノでも、コトでも
自分がこだわってる間は
無理して手放す必要はないというのが
私の中で決めていること。

 自分の中の幸せの感覚を大事に
はかりながら
自分なりのやり方で
やっていかないと続かない。


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