自己紹介 (主に仕事の話です)
有限会社シーピーエス
代表取締役 横堀 厚志
20代前半、ソフト会社でソフトウェア開発のバイトをしていました。当時は「ソフトハウス」なんて呼ばれていた会社で、プログラマーとして働いていたんです。気づいたら正社員になってました(苦笑)。
25歳でシステムエンジニア、26歳でCTOとして役員に昇進しました。主な仕事は業務用アプリケーションの開発で、販売管理、生産管理、原価管理など、いろんな業種向けのソフトを作っていました。
当時はまだWindowsがなくて、OSはMS-DOS※ の時代。ネットも当然ありませんでした。その中で、冠婚葬祭用のパッケージが全国的に売れ始め、業界でNo.1の実績を誇るようになったんです。
時代はバブル期の終盤。当時の会社テーマソングは浜田省吾の「マネー」でした。コンピューターの中心がオフコンからパーソナルコンピューターに移り、仕事でのパソコン利用が本格化していました。小さな会社だったので、いろいろなマネジメント経験を積むことができました。
でも、その会社は長く続きませんでした。
29歳のとき、バブル崩壊で業績が悪化し、放漫経営のツケが回ってきて、ある日会社に行くともぬけの殻。代表者が会社の債権を譲渡して夜逃げしてしまいました。債権者が押しかけてきて、役員だったので加担していないことを証明するのに数か月かかりました。個人保証をしていなかったのが救いでしたが、人間不信になり、うつ状態で外に出られなくなりました。
そんなある日、取引先の社長から連絡があり、自己啓発のセミナーに参加しました。命の大切さを学び、その会社で働くことにしました。小さな会社でしたが、当時のエンジニアたちと共に必死に働きました。1年で取締役になりましたが、代表者と意見が合わず、3年で辞職を決意しました。
自分でやるしかないと決心しました。
1998年、Windows 98の発売をきっかけに、「これからはビジネス向けだけじゃなく、個人にもパソコンが普及する」と考え、新たな道を切り開くことにしました。幸いにもPCの知識があったので、それを教えることができ、パソコン教室を開業しました。
30代は自分のため、生きるために必死に働きました。各家庭にネットが普及し始めたのもこの頃でした。
2001年に法人化し、5台からスタートした教室は時期も良かったのか、半年先まで予約で満席、隣町にも2教室めを出店しました。ご家庭や法人へのパソコン納入、ネットの設定、指導に奔走しました。事業も軌道に乗り、30代後半には地元商工会議所青年部の会長に声をかけられ、入会し地域や仕事以外の人々とのつながりや組織について多くを学びました。
40代では、まちづくり等、地域活性化の事業に取り組み、青年部では会長職も務めさまざまな経験を積むことができました。
そして50代(現在)、ご縁があって、地元の先輩が所有するビルで、これまでの経験を活かし、2022年に「コワーキングスペース」を立ち上げました。ここで多くの人と出会い、つながりを楽しんでいます。
「地域が活性化するために」若年層の教育や育成、起業や副業、創業の支援などに力を入れています。今は過去のすべての出来事に感謝しています。
最後に
コンピューターへの憧れは、アニメや映画の影響が大きかったです。映像の中に出てきた喋る人工知能に強く惹かれました。これからはまさにAI時代。やっと到来!
何かしらで関わっていきたいと考えています。
コワーキングスペース AREA358
埼玉県本庄市東台2丁目3-1 KRSビル1F
0495-27-0187
運営:CPS
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