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親は本当にガチャガチャ式か

最近親ガチャという言葉をネットニュースで見ます。
‥ってなんだろう

私が見た記事の内容はこうです。
「受験格差、推薦が過半数、課外活動にお金をかける裕福な家庭が有利、益々親ガチャあたり組が優位に」

親ガチャ=親は選べない。あたりが出ればラッキー的な意味とわかりました。結論からすると親ガチャなんてないでしょって考えています。
そこらへんの考え方は人それぞれです。その為、今から述べることに賛同してほしいわけではないのですが、なんかそんな考えは悲しいです。
私はたまたま自分の親が親になったとは思いません。


並木良和さんによると
この世に生まれるということは何か自分で決めたことを体験する為。全ては自分で決めてこの世に生まれてくる。例えば、どこの国の誰から、いつ生まれ、こういう体験をして、こういう最期を迎える。
そんなプログラムを自分で決める。そして、フローチャートのようにここでダメならここで、上手くいかなかったら最期のタイミングをこの日にする。といった分岐もある。

こんな話を他にも聞くのですが、私も同意見だったりします。じゃあ、これってどういうことって細かく疑問に思うこともあるでしょうが、それについては並木良和さん著の「最高の死に方をするための最高の生き方」を読んでもらえればと思いますので割愛します。

お金のない親だから失敗なんて、そもそも不幸なコトを他人のせいにして無責任な気もしますし、親ガチャとかいって結局それを言う本人も「あなたの子で不幸です」という言動が不幸な気持ちにさせているわけですから、何ともネガティブな言葉なんだろうと思いますね。
そもそも幸福度が見た目や学歴次第かというのも人それぞれ。
私自身もっと顔が整ってたら、運動神経が良かったら、という考えは当然何度もありましたが、裕福な家庭なら絶対人生を謳歌出来るかというのにも当然疑問が出ます。そういう人たちにはそういう人たちなりの苦労もあるわけですね。
そんな、他人の作ったテンプレートの中で生きるくらいなら、この出来事にはどんな意味があるかなとか、今お金がない事や苦労したことが未来にどんな財産に変わるだろうとか。そうやって思うのです。
唯一私が言いたいのは、不幸と思っても他人のせいにしちゃう人は、ずうっと不幸と思ってます。
こんな人生嫌だ
の後には
だからこうしたい!!
まで思わなきゃ勿体ないですね。

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