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もし、「これが自分の運命だ」と思ったときに挑戦しないと「人生が始まらない」という話

いま、会社員として働いている人には「多くを諦め、ここに辿り着いた」と考えている方も多いと思います。そして、その諦めも「挑戦した結果、無理だと思って諦めた」というよりも「最初から無理だからやらなかった」というケースが多いのではないでしょうか。

私も実はそんな人間で、いろんなことを諦めてきました。
でも、人生で成功する人たちは「ダメかもしれない」と思ったときに「だから、やらない」ではなく、「だけど、やる」を選択します。後者の選択をした人間だけが、世の中の表舞台で成功をしていきます。

今回は私が経験したエピソードを含め、挑戦する重要性をお伝えできればと思います。

私は高校時代から「小説家になりたい」「文章を書く仕事をしたい」と思っていました。当時からも「文章が上手い」と褒められることが多く、友人からも「文章で飯食えそうだな」と言われることが多かったです。でも、私は防衛大学校に進学し、文章を書いて発信するどころか「文章を発信してはいけない」という立場になりました。

これはドラクエで例えるのであれば、敵のマホトーンで呪文を使えなくなった魔法使いのようなもので、自分で自分の才能を封じてしまったのです。そうして私は徐々に自衛隊に染まっていき、「文章を書く仕事なんてやれるわけないし、芥川賞なんて取れるわけない」と全てを諦めて、挑戦すらせずに生きていきました。

でも、それは大きな間違いで、私の勘違いでした。
組織がどうだ、周りがどうだと言おうが、
成功しようが失敗しまいが関係ありません。

もし「自分には才能がある」と感じ、運命のようなものを感じているならば、挑戦すべきだからです。

そう思うようになったのは、2022年に元幹部自衛官の経歴で芥川賞を受賞した砂川文治先生との出会いでした。

実は砂川文次先生とは勤務していた駐屯地が同じだった時期があり、当時は面識はありませんでしたが、おそらく同じテーブルで「砂川文次先生」と「ぱやぱやくん」は食堂でからあげなどを食べていたのです。そもそも、自衛隊出身の作家はかなり少数で激レアと言っても過言ではないのに、2人は同じ場所で同じ時間を共有していたわけです。

当時の私はまだ作家になる夢に未練があり、「自衛官ではなく、文章を書く仕事をしたい」と考えていた一方で、「文学賞を取れるわけないし、自衛官からライターになれる道もない。部内でも文章を書く業務なんてないし、そういう夢は諦めよう」と最初から諦めていました。

私の唯一の得意分野である「文章を書く」という才能に自分は勝手に見切りをつけ、大人になろうとしていたのです。何かにいつも我慢している司令部にいる幕僚のように。

しかし、砂川文次先生は「自分は小説家になろう」と決意し、文學界新人賞を受賞し、2022年には芥川賞を受賞しました。当時の私は本当にぶったまげました。「え!元陸上自衛官でも芥川賞取れるの!?」と。その後に「才能がある人はやっぱりすごいなぁ。自分には絶対取れない」と自分の才能のなさを嘆いたのも覚えています。

私はそのときは1作目である「陸上自衛隊ますらお日記」を出版した時期でした。ただ、砂川文次先生は芥川賞し、私は「よくわからん本」を書いただけ。この差に「あはれ」と思いましたが、とりあえず砂川文次先生に自分の本を献本をし、いつか会いたいなぁと思いつつ、特に接点がなく、時は流れて行きました。

そんなある日、思いつきで行っていた海外旅行で防衛大の同期とたまたま出会い、「おれは砂川さんと仲良しだよ」という話だったので、3人で都内で飲むことになりました。この流れが意味不明ですが、防大の卒業生にはなぜか「日常ではあり得ないミラクル」が起こりやすく、魔法のパワーがあるのです。学生舎の廊下を狂ったように磨いた徳のおかげでしょう。

砂川文次先生と出会ったのは赤坂の割烹と言いたいところですが、高円寺の汚い焼き鳥屋でした。歌舞伎町のマンボーよりも薄い壁の個室でしたが、「ここに芥川賞作家がいると言っても、高円寺は自称クリエイター系のホラ話が多いから大丈夫だろ」と思い、みんなで好き放題にお話ができました。

飲み会の中で「私が一番好きな作家はウラジミール・ナボコフです」と言ったところ、なんと砂川文次先生のウエストポーチから「ナボコフの文学講座」の文庫本が出てきたのは、おったまげました。まさにミラクルです。確かにナボコフは偉大な作家ですが、ナボコフを読んでいる人に出会ったことがなかったからです。これもまた運命的なものを感じました。

その後も様々な話をしましたが、砂川文次先生と私は共通点が比較的多く、自衛隊の面白い話もたくさんし、まさしく「最高に楽しい日」と言えたでしょう。

その飲み会の帰り道の電車で、私はふと思いました。

「砂川文次先生が芥川賞を受賞し、自分が芥川賞を受賞できなかった理由はなんだろうか?」と。

この答えは一つしかありません。

砂川文次先生は「小説を書いて応募した」が
自分は「小説を書くことすらなく諦めた」
これが全ての答えです。

もちろん、小説家としての才能などの話もありますが、私も適当に始めたアカウントから本を6冊出版しているということは、文才という面ではもともと及第点にはあったはずです。しかし、私は自分の才能をなかったことにして、いつも諦めていました。だから、芥川賞どころか小説すらも書かなかったのです。

一方で砂川文次先生は自分の才能を信じ、小説を書き、文学賞に応募した。この差が人生を変えるとても大きな差だったのです。

この一連の経験から、私は人間は「成功する、失敗する」ではなく、それが自分の運命だと思ったらやらなくてはいけない、と強く思うようになりました。

自分が小説を書きたいと思ったならば、売れる売れない、評価される評価されないを関係なく、やらなくてはいけないのです。その運命を無視し、諦めてしまったら、自分の人生は空虚なまま終わってしまうからです。

もし、あなたにやりたいことがあって、それを運命のように感じるのであればやるべきです。人生があなたに求めていることを無視して諦めては、何も始まらずに終わってしまうでしょう。

でも、自分はそれが嫌だから、このコラムを書きました。
誰も読まなくてもいい、評価されなくてもいい。
それが自分の運命だったからやっただけのことだから。

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