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久しぶりに人間の顔を見た

友人を鋸山縦走に連れて行き、ヘロヘロになって下山した時に感想を聞いた時、にこやかな顔でこう言った。

「久しぶりに人間の顔が見られて、本当に楽しかった」

彼は都内で一人暮らし。外出時は「ニューノーマル」に従い、マスクをつけている。仕事はこの1年、ほとんどテレワーク。オフラインで人と話す機会は激減している。他人の顔を見ることも、他人に顔を見せることも、長らくしていなかったという。

僕は鋸南と世田谷を行き来している。駅にいるときと電車に乗車しているときはマスクをつけている。久里浜港でフェリーに乗ったら、甲板に行ってマスクを外す。金谷港で船を降りたら、鋸山を縦走して保田方面へ向かう。ほとんど他人と会わないし、マスクをつけることはない。

鋸南は、人口密度が極めて低い。この数十年空き家も増えているけど、もともとの作りが、広々としている。近所の人や通行人とすれ違うとき、十分な距離がある。見かけてから、会話をする際にマスクをつけたりつけなかったり。

いつも、顔を見て話している。だから、身体の疲労についてでなく、顔が見られたことの喜びをまず一番に彼が話したとき、ドキリとした。

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彼とは二十年前にロシアのイルクーツクで出会った。バイカル湖周辺を歩いているときにたまたますれ違った。日本人だが、子供の頃から十数年北欧に住み、僕と会ってからさらに十数年はモンゴル、ネパール、アフガニスタンで仕事をしており、一般的な日本人よりはるかに自由な感覚の持ち主である。そんな彼から口を衝いて出たのが、「久しぶりに人間の顔を見た」だった。

彼ですらそうなのだから、同じような状況にあり、心を病んでいる人はいま明らかになっているよりきっと多いだろうと思う。友人は、鋸南に3日間滞在し、心身ともにリフレッシュして帰った。

感染症予防のため、これまでと違う状況を受け入れなければならないのは確かだと思う。しかし、自分がどういう世界で、どういう人生を過ごしたいか、真剣に考えて行動をすることがより重要だ。

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ちょっと話は変わるが、「政府の要請により、酒類の提供をしていません」とある店が書いていたことが気になった。

「政府の命令により、酒類の提供をしていません」なら分かる。

要請があり、それについてどういう意味があるのか考え、従うべきかそうでないのか考えるべきである。

命令ならともかく(それも従うかどうか考えるべきとは思うが)要請の後に自分たちの判断を示さずに(従ったというのも1つの判断)表現してしまうことは、自分たちで道を選んでいない証左と思って驚愕した。

繰り返すが、自分がどういう世界で、どういう人生を過ごしたいか、真剣に考えて行動をすることがより重要だ。

パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。