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海を見たくなる心理

私は海のある町で育ちました。生活の一部に海があり、海を見ながら育ってきました。朝、学校に行く前にバケツを持って海に行くとシラスの地引網をやっていて、一緒に引っ張るだけで、バケツ一杯のシラスをくれました。昔からシラスは透明なものだと思っていて、白いシラスを売っているのを知ったのは、だいぶ後になってからです。ちなみに生シラスは大葉と一緒に天ぷらにすると絶品です。

小学校の頃は遊び場のひとつが海であり、とりあえず「海に行こう」と意味もなく海に行ったものです。当時、よく行く浜辺では学園ドラマのロケをやっており、主演の中村雅俊さんを見かけました。ロケをやっているかもしれないから「雅俊に会いに行こうぜ」と生意気なことを言っていたことを思い出します。

私は海と育ってきたので、海に対しての楽しさも怖さも知っています。海は何人かの私の友人を奪った場所でもあります。私は泳ぎに自信がありましたが、地元の海ではけして泳がないようにしていました。いつもは穏やかな顔をしていますが、風の強い日や台風が近づくと海はとても危険な場所にもなります。そんな海なので、海にはいくつも複雑な思いがあるのですが、海から離れた場所に住んでいる友人は海に対して強い憧れがあることを知りました。海の近くで暮らすのはそんなに良いことばかりではありません。何しろ自転車がすぐに錆びます。

海を見たいという人が多くいて、その魅力は何かと考えるようになりました。真っ先に思いつくのは、音と色と風です。波が作る音はとても心地よく、いつまでも聞いていられます。青い色は心の落ち着かせてくれます。深みのある複雑な青が重なる海は、時に空よりもその効果は強く出ると推測できます。そして、潮の香りを運ぶ風。日によって風の温度が違うのです。暖かい日、冷たく感じる日、ここには不思議で落ち着く癒しがあります。何か疲れたことがあったら、いや、疲れなくても見たいと感じる場所ではあります。

また、私は海には「人がいない」ことも魅力として大きいと思います。海水浴場ではない浜辺に人はほとんどいません。この人がいないという環境も癒しを作る大きなポイントでしょう。公園も悪くありませんが、公園には人がいます。住宅地や遊戯場所があるところも多く、人の目が気になります。海はごく稀に釣り人がいるぐらいです。釣り人は人に興味はありません。だから人から離れたい時は最高です。特別、人が苦手でなくてもたまにリセットするのが大事なんですよね。きっと。

そうそう私も釣りをやりますが、キスとかコチとか釣れるのです。白身の魚は高級魚としてヒラメが有名ですが、はるかにコチのほうが強い旨味を感じます。お刺身で食べてください。こうした身近に感じる場所でありながら、神秘的で不思議な距離感があるのも私は惹かれる一つの理由かなと感じます。

あとは無限に広がる壮大さですよね。圧倒的なものを見ると、人は悩んでいることがバカらしくなり、心を整えてくれる感じがします。また、海には顔があります。朝の目を細めたような赤紫の神秘さ、青い昼間の笑い顔、次第に橙色が落ちてゆく夕方の切なさ、そして調べを奏でる夜の闇です。山には山の魅力がありますが、この落差は山とは異なった魅力があります。

住宅地を抜けて、松の防風林を越すと、一面に広がるその圧倒的なダイナミックさ。海に比べると人間なんて、えらく小さな存在ですが、誰も拒絶しないそんな優しい思いを感じます。まるで大きな人間そのものの母親のような気もします。「海」という漢字の中に母がいるのも納得します。私はダイビングの資格を持っていて、海に潜ることがありますが、海の外から感じる切なさは海の中にはありません。不思議と安心する、何かの記憶。水中では息ができないのに、恐怖よりも安心感がある場所です。

海に関わる曲や歌もたくさんありますね。海に関するお気に入りの曲はこれです。


そうそう、昔々東京で友人たちから「海に行きたい」と言われて、海まで遠かったので神保町にあった「うみ」という回転寿司屋さんに連れて行ったのですが、最高に美味しい回転寿司屋さんで、全員それで満足して帰ったことがあります。鮮魚や生シラスもある珍しいお店でした。ひとつのコラムに3回も食べモノの話が出てくるのだから、海の魅力は私にとって、そこなんじゃないかと思えてきました。全くもってお恥ずかしい。海の偉大さ、その魅力を伝えようとしていましたが、結局は食べ物。これではまるで「母の心子シラス」。






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