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セルフ「いいね」をする心理

SNSにある「いいね」や高評価の機能。誰かが押してくれるとうれしいものですし、モチベーションが上がります。私も押してもらえるとうれしいです。たくさん「いいね」をいただけると、幸せな気持ちになります。ただし、「いいね」が少ないと「マニア路線を走っている渋い顔のテンダー式蒸気機関車のジェームス」になった気持ちで、それはそれで楽しいのです。ぼくはメジャーなトーマスではないし、親友のパーシーでもない。ぼくが主役になる回は少ないけれども、それでいい、それがいいと感じています。

また読んでいて超共感する投稿には1回どころか5回、10回と「いいね」を押したくなるものもあります。高評価のみを推すことができる、今の社会ではこの形がとても良いと思うのです。書き手には読んだ方の反応はうれしいものですし、読んだ方も手軽に相手にメッセージを伝えられるので、深過ぎず浅過ぎず、今の社会にマッチした機能的なものだと考えられます。普段からあまり会話をしていない相手に、コメントを送るのはちょっと敷居が高いですよね。でも「いいね」だったらできる人は多くいるのではないでしょうか。感動や感謝を伝えるため、軽い共感の結果、心は動かなかったけど、既読感覚と様々な使われ方をします。

そんな中で、この「いいね」を見ていると稀に、自分の投稿に自分でつけている人がいます。それはそれでほっこりする行為だと思うのですが「これはどういう心理なのですか?」と聞かれることもあるので、この「セルフいいね」について少し説明したいと思います。

まずセルフいいねをする理由はたくさんあると思います。どんなアカウントかでも推測できるものが異なります。

1. 自信や注目して欲しい感情の現れ

「良い投稿ができたな」「この投稿は見てもらいたいな」という気持ちから自分の投稿を自分でいいねをする心理が生まれることがあります。いつもセルフいいねをしている訳ではないけど、たまに自分の原稿にいいねをしているというものが特にこれにあてはまるでしょう。誰かの投稿に対して数が目につくことはありますが、誰がいいねをしているかを見ている人はそんなにいないと思います。あまり詮索しながら見るのが楽しくないと思います。でも、何かのきっかけで誰かセルフでいいねをしているのを見ると、「あー見てもらいたいんだなー」もしくは「いいねを増やして評価されている投稿にしたいのかなー」と感じると思います。それは人として誰もが持つ感情だと思うので、ほっこりします。

「自分の投稿に自信があったとしても、私はセルフいいねをすることは恥ずかしい」

そう思ったあなた。その感情も自然です。対人的に気を遣いやすい人や人の視線を気にすると、なかなかセルフいいねはできませんね。また、そう思った人は周りにちゃんとしたフォロワーさんに囲まれているのだと思います。けして数が多くなくても、気心知れた人がたまにいいねをしてくれる。その世界に満足していると、それ以上のものを求める必要もなりますし、自画自賛なんて恥ずかしいと思えてくるのも自然です。自画自賛にコンプレックスがあると他人の自画自賛に敏感になる傾向がありますから、あまり気にせず、ほっこりすればいいと思います。

2. 人の評価を過度に気にする場合

「注目されたい」「評価されたい」というプラスの発想ではなく、いいねの数が少ないことに対する人からの評価が下がる不安を感じるときもセルフいいねに走りがちです。いいねの「数字」をまるで「点数」に感じてしまう人がいます。これは管理教育の中で、テストの点数主義を長く過ごしてきたことがひとつの要因と考えられます。

いつもは10いいねは貰えるのに、この投稿は5いいねしかないと思うと、まるで、自分の考えが否定されているように感じたり、ひどいときには人格否定をされていると感じることがあります。

実際には全く違います。人がいいねをするのは共感だけでなく、既読感覚でつける方もたくさんいます。自分は「評価」だと思い、相手は「既読サイン」と思う。このギャップに苦しむことはありません。また、ネガティブな内容が含んであると、人はいいねを押しにくい傾向があります。今やいいねを押しただけで罰金の対象となる時代です。既読感覚なので投稿時間にも影響があることを知りましょう。

私はいいねを追わないように、次回の念を込めて本当につまらない投稿を差し込んでいくようにしています。そうしたらそれもまた楽しくなってきて、最低記録の更新を目指すようになりました。だから、本当にくだらないツイートにいいねをしないでください。いつか「0」いいねを達成することが私の夢でもあります。これ、やってみると楽しいです。

3. おじさん

私は「おじさん・オブ・おじさん」なので気持ちがわかります。おじさん・オブ・おじさんなんて言うと、インリン・オブ・ジョイトイみたいです。もうこの例えを出すところがもうどっぷりおじさんです。おじさんは年齢を重ねた結果、脳の構造から自意識過剰な状態になる人が多くいます。すると自画自賛よりも、もっと無意識なところからセルフいいねを押してしまいます。注目して欲しいと感情というよりも、もっと原始的な行動だと思われます。そもそもSNSの立ち位置がわかっていなくて、自分で押すものと感じている人もいるので、あまり「痛い」とか言わないであげてください。

またおじさんはギャンブルにハマりやすいのですが、それはこの SNSでも通じるものがあります。自分の投稿によっていいねが変わるのは、強い刺激になり、いいねを求めて行動をしてしまいがちです。ギャンブルと同じように多くのいいねを獲得するとドーパミンが放出され快楽状態をつくります。これが繰り返されて病みつきになるのです。この報酬系の回路によって、女性よりも男性がはまりやい構造をしています。ただし、女性がハマりにくい訳ではありません。人と人の繋がりを重要視する女性にもこのいいねは麻薬になりかねません。

4. わずかな繋がりを感じる証

友人に関する考え方も変わってきました。友人は濃さよりも数と考える人と数よりも濃さだと考える人がいます。博報堂生活総研の調査によると、近年では濃さの変化、「深いつきあい志向 vs 浅いつきあい志向」という質問に「深いつきあい志向」と答えた割合は1999年では57.9%、2020年では54.1%と微減しています。「友人は多ければ多いほどよいと思う」と答えた割合は1999年では57.2%、2020年では15.4%と大きく減少しています。やや深さを求める傾向がある一方で、リアルでは友人の数はいらないと感じている人が多くいるのです。

そんな中で友人よりも煩わしくないけれども繋がれるSNSに依存していく傾向は強くあり、この薄い繋がりを重要視した結果、いいねを通して人との繋がりを感じることができ、その繋がりがなくなると不安になるので、注目を浴びたい、不安を減らしたい気持ちからセルフいいねになる可能性はあると思います。自分をよく見せたいとか、他人から注目を浴びたいとかというよりも、孤独になりたくないという感情です。自分が他人に期待している行動を自分がすることで、不安を取り除こうとする不思議な行動ともいえます。

セルフいいねは、「よく見られたい」というプラスの欲求と「評価されない」というマイナスの不安が強く背景にあると思われます。

セルフいいねの先にある危険性

フォロワーさんの数が数千、1万位上あるアカウントかつ、商業的な匂いがするものは戦略的に「いいね」をひつとでも増やしたいという心理があるのではないかと考えます。100、200と「いいね」が付いているにも拘らず、「いいねをもっと増やして、商業的に成功したい」という気持ちから、自分の「いいね」を増やす行動をする人がいます。こうした戦略的いいねを多用してくる人はこじれると少し危険かも知れません。

この背景にあるのは強い欲です。心理背景から考えると、別にアカウントを持っていて、そこからも「いいね」を押してくる人も多いはずです。一般的な人から理解されにくい行動ですが、人の欲とは無尽蔵なものです。またこうしたアカウントのツイートの内容が「自分は正しい」「あいつは悪い」といった好戦的なものが含まれていると危険です。この欲の深さは「自分の商材を売りたい」「サービスを普及させたい」というものを超えて、他人を攻撃する裏の顔を持っている可能性を考えます。

またセルフいいねが強い欲の形としてあるような人は、次第に「いいね」をしてもらえることが礼儀だと強く感じたり、恋愛表現の一つのような錯覚を持ってくる人もいます。「この間のぼくの投稿に、なんでいいねをしてくれないの」というDMが来ることもあってそれは恐怖です。「いいね」はいいねなんだけど、いいねだけではなくて、よくつけ忘れることがある「既読サイン」ぐらいの認識で良いと思います。こうした感覚を持っている人の中には自分の投稿から、いいねの数が少ないものを削除する人もいます。いやいや私は勲章だと思いますよ。SNSという戦場を走り抜けたひとつの勲章です。

いいねの数はある人にとっては優越感にもなり、ある人には劣等感にもなります。これが歪むのが怖いです。

そして基本的に自分の投稿を「好き」と言えて、それは自我自賛だ、痛い人だなどと言わない社会になって欲しいものです。攻撃コメントを自動的に抑制する機能などがこれから増えてくるといいのですが。ツイッターに新しい機能がツイッター。

おじさん・オブ・おじさん


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