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Farm to Table

ピー…ピピッ、カシュッ
決められた位置にスマホをかざすと、電子音とともに小さな解錠音がする。疲れた体に力を込めてドアを開けると、部屋の中からはたくさんの良い匂いがした。
「ただい、わっ!?」
匂いに誘われるようにノロノロと中に入った私は、ぎゅっと、後ろから抱き締められてしまった。
「おかえり、今日もおつかれさま。」
左耳をダイレクトにくすぐる心地良い低音と吐息。ここが天国か…。なんか天使が見える気がする。ん?…違う、待て。ちょっと待って。
「だめ!今日暑かったから汗くさいってば!それに恥ずかしいし!」
天国から緊急帰国した私は焦って身をよじるけれど、もがけばもがくほど、どんどん深く抱き締められていく。
「誰も見てないよ。ここには僕らだけ。ね?」
あまーい言葉。こんなセリフ、本当に言う人がいるんだなぁ…。後ろだから顔は見えないけど、画になるなぁ…。
「…って、いやいやいやいや、ダメだってば!」
とろける脳がギリギリのところで再起動するも、さらに追い討ち。
「お腹のすく匂いだね」
お腹…?聞き間違いかな。汗の匂いが美味しそうなわけないし。それとも汗臭過ぎて、やまちゃん壊れちゃった…?
「そ、そうだね!いい匂い!ねぇ、今日は何作ってくれたの?」
きっと晩御飯のことだろうと思い至って、慌てて言葉を返す。
「んー?さて、なんだろうね?」
髪に顔を埋めるように頬ずりしてくるやまちゃん。あーぁ、汗くさくないときにしてくれればもっと嬉しいのに。

「んんんー!今日もおいしい…!いくらでも入っちゃう…!」
たっぷり1時間半にわたるマッサージでほぐされた体に、彼の作った絶品晩ご飯がどんどん入っていく。こんなにいっぱい食べたら引かれちゃう、と頭では分かっているんだけど、手が止まってくれない。毎晩こんな感じだから太っちゃう…って最初のうちは心配したんだけど、逆に要らないお肉は減るし、欲しいお肉は増えるし、スタイルも良くなってきた気がする。あと、健康になった。よく眠れるし、スパッと起きられるようになったし、仕事中に体がダルくなったり、頭がぼーっとすることも無くなった。絵に描いたような絶好調。
「毎日リゾート気分…!」
「ようこそ、ホテルリンクスへ。そう言ってもらえて嬉しいよ。」
漏れた本音に決まり文句を被せながら、やまちゃんがデザートを運んできてくれる。
「本日のデザートはタルトタタンでございます。」
芝居がかった言い方、それに負けないレストランみたいに盛り付けられたデザート。一口食べるタイミングで、さりげなく適温の紅茶が出て来る。完璧なタイミング。
「山ちゃん、あたし幸せー!」
「それは何よりでございます。」
頭をやさしくなでてくれるやまちゃん。彼氏と別れて、仕事にも生活にも疲れてボロボロだったあの頃、なんとなく始めた出会い系アプリで偶然知り合って、話の流れで私の家で一緒に住むことになったパティシエのやまちゃん。その正体は私のことを世界一甘やかしてくれる王子さまなのだった。
「へへへへへ。」
デレ倒してしまう。夢みたいにしあわせ。世界一しあわせ。

何カ月経ったか、あるいは何年経ったか。忙しい仕事と優しいやまちゃんの間を往復する日々。どんなにボロボロになるまで働いても、ツヤツヤにお手入れしてもらえるから、また頑張れる。頑張ると仕事が増えてクタクタになる。クタクタになるとやまちゃんが死ぬほど甘やかしてくれる。私だけの、秘密の王子さま。

「お腹のすく匂いだね」
「だめだってばー」
何十回も繰り返したやり取り。しあわせへのルーティーン。
「もうそろそろ、食べ頃かな」
やまちゃんの声と言葉が、いつもと違う。ルーティーンにひびが入る。いや、たまたまだ。きっと、たまたま。
「今日も綺麗だね。」
右耳を撫でる低音が金属みたいに冷たくて、吐息は心なしか荒い。
「やま、ちゃん…?」
意識の方は緊張しているのに、体の方はリラックスしてしまっている。仕事の疲れと、これから来る癒しを全力で待っているんだろう。だらしなく四肢を投げ出してしまっている。本日の業務は終了しましたと言わんばかり。
「母は獲物の身内を助手にしたばかりに暖炉にくべられた。」
彼の指がマッサージを始める。
「父は手下も含めて頭が弱かったから、しょっちゅう獲物に気付かれた。」
体が温まって、私の意識は眠りへと吸い込まれていく。
「だから僕は独りが良いんだ。助手は使わない。油断もしない。頭も使う。労力は惜しまない。」
きもちいい。あたまがうまくはたらかない。
「ようこそ、ホテルリンクスへ。」
しあわせがわたしをつかまえて、はなさない。
「僕のお菓子の家からは、逃げられないよ。」
それもいいかなぁ。ずっと、いっしょにいられるし。
「本日のメインディッシュは、君だよ。」
彼の言葉を遠くに聞きながら、私は天国を感じる。

「いただきます。」
夢に沈んでいく中で聞こえた、私の大好きな彼の声。やっぱり、いい声。

「ごちそうさま。」

~FIN~

Farm to Table(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛(https://note.com/hanananokoe/)
『お腹のすく匂いだね』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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