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時間なんか、気にしなくていいよ。

カチッ…カチッ…
そこら中で、時を刻む音がする。部屋の中に居並ぶたくさんの時計が、休むことなく、ひたすらに時を刻む。ここは時計の博物館。

「おじさん、ここの人?」
どこからともなく男の子が1人。返事も聞かずに隣にすとん。
「学校でね、時計を持つぜいたくと、時計を持たないぜいたくについて考えましょうって宿題が出たんだけど、全然分からなくて。お母さんに聞いたら、時計のことなら時計に詳しい人に聞きなさいって。」
突然、男の子の相談相手になったおじさんは、何も言わずに1つ2つとうなずいて、ぽつりと言葉をつむぎます。
「君は時計が好きかい?」
「うーん…学校の時計と、あとチャイムはきらい。チャイムが鳴ったらね、長い針がここに来るまではちゃんと座ってなさいって。そうしないと先生、怒るんだ。」
男の子はくちびるをとがらせます。おじさんは静かに、1つ2つとうなずきます。
「でも、でもね!待ってるときの時計はすき!まだかな、まだかなって、カチカチカチカチ、針をじっと見てるんだ。ごはんを待ってるときも、おやつを待ってるときも、お母さんを待ってるときも。」
男の子は、今度はにっこりと笑います。おじさんも笑って、1つ2つとうなずきます。
「僕はね、時計が無い世界から来たんだ。」
「おじさん…外国の人なの?」
「外国…そうだね。そんなところかな。」
男の子は目を輝かせます。おじさんは困ったような、嬉しいような、ちょっとくすぐったいような顔をして、ぽつりぽつりと話します。
「僕がいた世界にも昔は時計があって、その頃の人たちは君みたいに時計を見ながら、何かを待ってドキドキしていたんだ。針を眺めてワクワクできるのは、最初はお金持ちだけだった。そのうちに、お金持ち以外も時計を持てるようになった。みんなが時計の針を眺めていたんだ。君が言ったみたいに、何かを待つのが楽しくなった。…ところがね、何かを数えることは、良いことばかりではなかったんだ。」
にこにこしながら話を聞いていた男の子は、おじさんの声に何かを感じ取ったのか、顔をくもらせ、自分の体をぎゅっと抱きしめます。
「チャイム…?」
「そうだね。お金持ちたちは時間だけじゃなく、お金も数え始めたんだ、時計でね。お金持ちじゃない人たちが時計を見ながら働くと、お金持ちたちのお金はどんどん増えるようになったから、お金持ちたちは前よりもずっとワクワクして時計の針を眺めるようになったんだ。お金持ちじゃない人たちは、だんだん時計を見なくなった。お金持ちたちは鐘を鳴らした。あるとき、お金持ちじゃない人たちはみんなで逃げて、時計の無い国を作った。そこでは、時計を見るワクワクと同じくらいの、時計を見なくていいのんびりがあったんだ。」
男の子は分かるような分からないような、それでもちょっと安心したように笑います。男の子はチャイムが無ければ、学校が好きでしたから、きっとそういうことなのだろうと考えていました。おじさんは男の子に笑いかけます。少しさびしそうだと男の子は思いました。
「お金を増やしていた人たちが、時計の無い国に出ていってしまったせいで、お金持ちたちは困ってしまったんだ。お金持ちたちはね、頑張って考えたんだ。どうやったら時計の無い国の人たちが、時計に従って、お金を増やしてくれるかをね。」
おじさんは少しだけ震えていましたから、男の子は手をにぎってあげました。おじさんは続けます。
「そしてある日、時計の無い国に、魔法がかけられたんだ。その魔法はね、僕らがすべきことをそっと囁いてくれた。最初はみんな喜んだよ。忘れ物で困ることも無くなった。寝坊することも、食べ過ぎることも、無くなった。どこに行って、何をしたらいいか、全部教えてくれた。」
男の子はおじさんの話が良い話に聞こえました。
「妖精さん?いいなぁ、ぼくのところにも来てほしいな。忘れものすると、先生もお母さんも怒るんだ。」
「そうだね。僕もだいぶ助けられたよ。でもね、僕らはあまりにも甘え過ぎたんだ、その魔法にね。僕らは自分では何も考えられなくなった。好きな食べ物も、好きな子も、自分では分からないんだ。僕はいつかどこかで読んだ時計を見たくなった。時計を見てドキドキする世界を見たくなった。」
男の子は分かったような分からないような顔で、だけど、おじさんの顔をしっかりと見つめていました。
「時計を持つ贅沢と持たない贅沢を言っていた時代があったはずなのに、持たない贅沢は携帯端末で失われた気がする。」
おじさんは誰に言うでもなく呟きました。

おじさんは、ぼんやりと部屋のそこら中から響いてくる秒針の動く音を聞いています。男の子は秒針の音に合わせて、おじさんの背中をとんとんと叩いてあげました。お母さんがしてくれるように、とんとんと叩いてあげました。おじさんが微笑みます。男の子も微笑みます。

男の子は優しく言いました。

「起きて。仕事に行かなくちゃ。」

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時間なんか、気にしなくていいよ。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ執筆:花梛(https://note.com/hanananokoe/
時計を持つ贅沢と持たない贅沢を言っていた時代があったはずなのに、持たない贅沢は携帯端末で失われた気がする。
本文執筆:Pawn【P&Q】

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