smart crest ―大判・小判・太鼓判―
0.関東 某宴席 2017
「巷じゃ、2020に経済危機が来るって囁かれとるようですなぁ」
「そりゃ、金を注ぐ先も無いですしな。来るでしょうなぁ…。まぁ、我々の所には来ませんがなぁ」
「おい、酒が足りん。もっとよく周りを見んか!」
「しかし、我々もそろそろ、次の儲け話を決めませんとな。また省庁やら企業の若手にネタを出させてコンペでもしますか。五輪以上のネタが出てくれば良いんですがね。」
「若者の抱く夢を金を持つ我々が叶える!いやぁ、我々の行きつく先は、この世でもあの世でも!天国に違いありませんなぁ!!」
「では、天国に乾杯しますか、かんぱーいッ!」
高く、高く。笑いが広がる。今夜も天上から天下へ、ぽたり、ぽたりと金が滴る。そして、それ以上の勢いで、今夜も金が、ごうごうと舞い上がり、彼らの喉を潤していく。
1.京都 満天堂 開発研究室 2019
「にしても、なんでうちがハンコなんスか?」
「子どもが乱暴に扱っても大丈夫なデバイス作りってことに関しちゃ、定評あるからな、ウチは。あと『アイデアというのは、複数の問題を一気に解決するものである』ってやつ、あの言葉が好きなんだとさ、プロジェクトリーダーの官僚さんが。」
日本を代表するゲーム会社、その開発研究室で、ラフな格好の男が二人。
「有名だもんなー、本宮さんのセリフ。俺も好きなんスよね。親近感湧くなー。」
「実際のところさ、このハンコで今ある複数の社会問題を解決したいんだってさ。教育に福祉、経済に政治。アイディアまだまだ募集中。去年の洞爺湖出張、あったろ?俺はそこで会ってるんだけどよ。ちょーっとイイ感じだったぜ。役人なんだけど、ビジネスマン。かと思えば、熱っぽく構想語ったりしてよ。良かったぜ。あの人が仕切るなら、悪くねぇ。俺はそう思う。」
イスに座ったまま、大きく伸びをして、天井を見つめたまま、ニヤついて語る男と、それを横目で見ながら、パソコンに向かう男。
「だーから俺のこと誘ったんスか。まぁ、でも…ウチ向きの案件だと思いますよ。ハンコも、ICタグも、枯れッ枯れで干からびたまくってる技術。まさに枯れた技術の水平思考。うってつけ。」
口調とは裏腹に、表情は崩れず、仕事の指は止まらない。
「うちなら、全部やれちまう。大規模サーバに顧客管理、無線通信に、デバイスの設計、デザイン、製造に流通。ぜーんぶやれちまう。なぁ、俺のいるうちに、こんな楽しいこと、まーだ残ってたんだな。岩原さん生きてたら、俺よりはしゃいだんだろーなー。」
表情、声、そのどれもが、本当にわくわくしていた。うきうきしていた。この男の頭の中では、数か月前の会議以降、クレストを使う人々が生き生きと動き回り、クレストを使った様々な試みが浮かんでは消えてを繰り返していた。アイディアノートは何冊になったか分からない。
「使いたくてたまんねぇハンコにしようぜ。なぁ?」
その言葉は、誰に宛てられたものか。先人か、件の官僚か、隣の同僚か、自分自身か。ニヤニヤしながら、男はもう1度、大きく伸びをした。イスが立てたギシギシという音が響き、やがて霧散した。
2.北陸地方 建設現場 2021
最近の工事現場は本当に静かだ。子どもの頃は、もう少し音がしたような気がする。警備のおじさんが吹き鳴らすホイッスルの音が懐かしい。今はホイッスルの音が無線で直接、トラックの車内に流れる。さすがに工事用の重機やトラックは自動運転にはなっていないが、車の各所にはカメラとセンサーが取り付けられ、巻き込み事故を防止すべく、周囲を警戒しては、運転手に様々な指示を柔らかい声で囁きかける。
「しかし、信じられませんなぁ。」
ぽつりと呟くのは県の職員だ。東京から様子を見に来た僕の案内役として随伴してくれている。まぁ、監視役だろうと思う。
「本当に、そのー、全国で同じような工事を…?」
未だに信じられない、担がれているのではないかという声だ。まぁ、僕だって初めて聞いたときには信じられなかった。
「えぇ、全国で展開中ですよ。予定通りです。五輪後に干上がるはずだった建設業界からは、嬉しい悲鳴が届いていますよ。」
「あ、いえ、その、そちらではなく…。小学校や中学校が、無くなるというのは、そのあまりにも…」
戸惑い、いや疑問と憤り、納得できない、理解できない、今からでもごねれば修正が効くと思っている声だ。あぁ、そっちだったか。溜め息をつきたい気分になりながら、僕はとびきりの笑顔を作り直す。この計画が決定し、動き出してもなお、食い下がる勢力は少なくない。行く自治体、行く自治体で、必ず絡まれる。1人見たら、その後ろに最低でも10人いると思わなくてはならない。だから、見かけたら徹底的に分からせる必要がある。ここで潰さなければ、次に視察に来る同僚の仕事が増えるだけだ。何より、現場の人間が理解者ではないというのは、非常に良くない。子どもたちの利益にならない。
「では、やはり子どもは、決められた時間、決められた空間に、個性も特性も意志も尊重せず、ただただひたすらに縛りつけておくのが、正しい教育、効率の良い教育、効果の高い教育だとお思いですか?」
僕の笑顔に対して、向こうもスイッチが入ったような、なんとも言えない顔つきになる。自信のある持論をするときの、一方的な演説をするときの、授業するときの、あの顔。あぁ、面倒だな。多分この人、教育委員会系か、教員系公務員様だ。
「もちろんじゃないですか。私も、あなたも、そうやって教育されてきたはずだ。そうやって育ってきたから、今だってお約束した時間通りに、約束した場所で合流し、こうして会話し、議論することができます。違いますか?全員で教師の授業を聞き、団結して行動し、学び合う。同じ釜の飯を食ったような一体感、連帯感の中で、全員でこの国を、故郷である地域を、良くしていこうという気持ちが養われるのです。」
もはや、僕に対しての言葉ですらない。滔々と、うっとりしたような目をして話す。酩酊どころの話ではない。泥酔だ。見ているこちらが恥ずかしくなってくる。昂った彼の"授業"は続く。
「もちろん、具体的な計画書も、国から発表された資料も、拝見しました。実に情熱的で、意欲的で、合理的な施策でした。地域の保育園、幼稚園、小学校、中学校、児童・生徒に関する様々な施設や機関、窓口を1つの建築物に集約する。出産・育児・教育に関するすべてが1か所にまとまる。いやはや、実に素晴らしい発想です!しかし、しかしです。あれだけはいただけません。そう、授業の撤廃と!登校義務の完全撤廃!これだけは!」
隣にいる僕との距離は1メートル程度。にもかかわらず、彼の声は、教室の後ろの子どもに聞こえているかと叱責を飛ばすような大きさと鋭さを備え、鞘から抜き放った刀のようにギラついている。大義が自分にあって、斬れぬものは無いと言わんばかりだ。
「授業こそ教師の華!教室こそ教師と生徒のふれあいの場!それを、その美しい笑顔を!何の権利があって、現場から奪おうと言うのか!部活に!内申書!あなた方は潰すばかりだ!連綿と継がれてきた歴史を!技を!伝統を!我々の仕事を何だと思っているのか!」
歴史と伝統はほぼ同じ意味だ。ここはいつから第2次世界大戦前夜のドイツになったのだろうか。鼻の下にヒゲまで見える。もうそろそろ、良いかな。僕はこみ上げる笑いとあくびを腹筋と胸筋と表情筋を締めて閉じ込める。溜め息を細く鋭く吐く。
「地域や所得の隔たりによる、教育と能力開発の機会の差を可能な限り無くし、ある程度の基礎学力と常識を備えた人材を社会に送り出す。しかし時代は過ぎ、我々は今、専門性の高い知識と児童心理を理解した熟練者による質の高い授業を、オンラインで届けることができる時代を迎えました。分かるまで何度でも同じ説明を受けることができ、必死で黒板の内容をノートに写し、教員の心象を良くするために無駄に頷き、笑みを浮かべる必要が無い時代です。」
ゆっくりと、冷静に。穏やかに、温かく。子どもに言って聞かせるように。真摯に、淡々と、語り掛ける。
「今の時代。学校に通わなくてはいけない理由は、ありません。」
「しかし、集団行動が、」
「ディスカッションなどの協調行動、調理、図画工作、そして体育は選択制にはなりますが、実際の空間で、教員が授業として行います。そのときには個々人の特性や性格、学齢を考慮したうえで、4~5人から、10人単位、同年齢から縦割りまで様々な集団を都度構成し、集団の中での個人としてのふさわしい振舞いを学んでもらいます。社会性を精神論ではなく、明確なスキルとして位置付けることで、体系的に身につけてもらいます。現在、文部科学省が中心となって社会性スキルの策定と指導法の検討を行っています。」
「が、我慢を教えなければ、」
「我慢とは具体的にはどのようなスキルでしょうか。自己の衝動の抑制であれば、さきほどの社会性スキルとして学んでもらいます。また、我慢や抑圧はキラーストレスとして寿命を縮めるという研究もありますね。殴らなければ体罰にならないという時代も過去のものです。それに、衝動性の強弱は個々人で異なるものです。それぞれの特性に合わせた教育を行うには、現在の教室管理型教育では、あまりにも手狭です。」
「リーダー教育が」
「1人のリーダーを育てるために、その他大勢の生徒を手下として育てるのが教育なのでしょうか。」
「思い出が」
「検討させていただきます。」
もう、良いかな。この人にだって立場があるし、理解者として動いてもらわないといけない。
「教育には、問題が山積しています。登校義務を無くしたところで、不登校の問題のすべてが解決するかは、私たちにも分かりません。人が2人以上いれば優劣がつき、生物は群れを優先するあまり、個の排除に向かい、いじめが起こります。親子関係の問題も、もっと複雑になるでしょう。虐待、医療ネグレクト、育児放棄…。このようなことを無くしていくには、現場で、顔をつき合わせて、コミュニケーションで解決していく、従来の手法が不可欠です。我々は、あなた方を、現場を、必要としています。今までも、これからも。」
目をしっかりと見て。言葉を紡いで。
「それでですね。工事計画に照らし合わせると、1週間ほどの遅れが生じているようです。うまく調整していただけますでしょうか。」
僕は終始、笑顔を崩さない。バッグから朱肉を出して、クレストを押し付けて、視察記録の書類に捺印。微笑みかけて、書類を手渡す。明日は青森、その次は三重だ。まだまだ、僕の旅は続く。
3.東京 中央公園 2023
「まるで闇市だな。戦後かよ。」
目の前には、学園祭や縁日のように露店が並ぶ。そこに溢れる人々は、手にドル紙幣を握る。ブラ下がった段ボールには、「にんじん1ドル」の文字が並ぶ。アメリカでもないのに、ワシントンが大活躍している。
「国税は何て言ってるんだ?」
「紙幣・貨幣の完全撤廃とは言え、ドルはどうしようも無いみたいです。外貨収入に関する処理を真っ当に行えば、問題無いんだそうで。」
「で、その処理の代行を安く請け負って稼いでるわけだ。」
「ちょっとしたビジネスチャンスってことで。このドルシェの流行りは全国に広がりますぜ。」
「なんだ、そのネーミングは。」
「ドル・マルシェですよ。」
「英語とフランス語混ぜんな、気持ち悪いな。」
「分かりやすさが大事なんですよ、あぁいう層は。」
「クレストが窮屈だと漏らす層は一定数いるとは思っていたが、まぁ…なんだ。随分楽しそうな顔だな、現金扱ってるってだけで、お祭り騒ぎだ。」
「見えて、触れる物が好きなんじゃないですかね。俺は稼げるなら、なんでも良いですけどね。」
「見えて、触れる、ね…。銀行振り込みじゃ稼いだ気にならねーってのと、同じ理屈か。贅沢なもんだ、まったく。」
「ほんとに。良いカモです。搾れるうちは、搾りますよ。法律に追いつかれるまでのチキンレースです。」
「心臓に悪いレースだな、そりゃ…。ま、頑張ってくれ。じゃーな。」
「また寄ってください。儲け話、用意しておきますよ。」
「俺は自分で動く気は無ぇんだよ」
言いながら、俺は踵を返す。歩きながら、受け取ったドル紙幣の束を数える。これをどう洗うか。どう化かすか。どう増やすか。腕の見せ所だ。クレストが出来て、世の中はまた、楽しくなった。働き方はホワイトで、生き方はクリーンで、しかし、相変わらず欲望は真っ黒だ。まだまだ退屈しなくて済む。
笑いをこらえて、俺は車に近づいてクレストをかざす。ピピッという音を聞いてドアを開け、乗り込み、クレストをスロットに挿し、指紋を認証して、画面に浮かぶテンキーで暗証番号を押し、エンジンをかける。多重認証によって、車を運転する権利は少しだけ差別的になった。ぶっちゃけ安心だ。頭のボケた奴、イカれた奴は多重認証はできない。暗証番号を覚えられないやつはタクシーに乗るか、歩けという話になった。暴走事故のニュースも最近は聞かない。良い事づくめだ。
個室と化した車内で、俺はこらえていた笑いを爆発させる。とても、いい気分だ。少し遠回りして帰るとしよう。ハンドルを握ると、ロックがかかっている。あぁ、感情が昂るとロックがかかるんだった。まぁいい。しばらく、このまま笑っていよう。
今日は良い日だ。
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