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反転する半島 ・ 相似形 ・ 岩戸に封じられた神

早いもので9ヶ月。

前回の更新からだいぶ時間が経ちました。その間何度か記事を書こうと試みたものの、うまくいきませんでした。
というのも最近の古代史の情報開示、そのスピードについていけなかったのです。
様々な古代氏族の末裔がメディアに登場し、家に伝わる歴史を語る様は僕が古代史を調べ始めた10年前ではとても考えられないことで、おそらくは上から開示のGoサインが出たのでしょう。堰を切ったように現れる古代の名家出身の方々にとても驚き、時代は変わるもんだとしみじみ思いました。 

末裔の方々がそれぞれ語る歴史観はとても興味深かったのですが、いかんせん一族によって伝わる話には差異があり、こちらの頭は混乱するばかりで、どうにも記事にまとめきれませんでした。

そんな状況で僕にできることと言えばただ一つ。妄想的歴史解釈です。
幸い僕には旧家の口伝のようなバックボーンもないですし、自分の発想を縛るものがありません。
迷った時に誰しもが考えること、つまり初心に帰って自分の遺伝子の赴くまま、勝手気ままな考察を展開していきたいと思います。

前回の記事で千葉県市原市にある姉埼神社の主祭神シナトベを取り上げました。
僕はだいぶ前からこのシナトベが気になっているのです。
だから今回もこの女神から話を始めたいと思います。
つまり前回の続きとなる内容です。

シナトベというトベの名を持つ女神。トベとはヤマト王権以前の女性首長に付けられた称号で、千葉だけでなく全国的に見られると前回の記事で書きました。
いわゆる縄文の母系社会を基調とする大和朝廷以前の豪族です。
和歌山の名草戸畔が有名ですね。
このトベという女神をトップに据える一族は全国各地に点在しており、なおかつ彼らは互いに交流を持っていたと思うのです。

こちらの動画がとても参考になりました。

Youtube 羊のワールドウォッチchより引用

この動画に出てくる地図で各地のトベ族が確認できます。
画像にあるように彼らは縄文母系社会のネットワークで連携していました。おそらく祭祀によって繋がっていたのでしょう。
しかしながら近畿で勃興した大和朝廷により、トベの称号を持つ女神を崇める一族は西側から駆逐されていきます。

そして故郷を追われたトベ族は、たぶん東に逃げたでしょう。

僕が思うに姉崎神社のある一帯は、縄文の女神を崇拝する一族の最後の拠り所であった可能性が高いのです。

だから市原市にある3世紀の古墳から近畿、東海、北陸のデザイン様式をした土器が発掘されるのだと思います。それは3世紀の時点で各地から千葉の市原に人の移動があったことを証明する遺物です。

では全国のトベ族が信仰した縄文の女神とは一体どのような神だったのでしょう。
そのヒントは神門古墳付近にある神社にあると僕は考えました。

千葉県市原市神門古墳付近

まず神門古墳のすぐ上に戸隠神社があります。戸隠神社といえば天岩戸伝説で有名ですが、じつは戸隠の地主神とは水と豊作を司る九頭竜神です。戸隠山の名前の由来も、龍が岩の戸で隠れ封じ込められていることからそう呼ばれるようになったという言い伝えがあります。

この島では九頭竜という龍の話を至る所で耳にします。全国各地に様々な説話が残されているんですね。そのなかでも僕が注目したのが白山信仰における九頭竜伝承です。
というのも神門古墳のすぐ下にある上下諏訪神社。ここの境内には古墳があるのですが、その頂上に祀られているのが白山比咩なのです。諏訪神社といえばタケミナカタですが、その境内の一番高いところに祀られている白山神社を僕は不思議に思っていたのです。
そもそも白山開山の起源は、泰澄という奈良時代の修験道の僧の前に十一面観音の化身である九頭竜王が現れたことに始まります。そこから白山は修験道の聖地となりました。ゆえに白山比咩や同一視される菊理姫は九頭竜とゆかりが深いんですね。

そして意外なことに千葉県の市原市、旧上総国は白山信仰が盛んなのです。

千葉県にある白山神社

千葉県の白山神社は旧上総国である中部に密集しているのです。
石川の白山から遠く離れた房総半島に乱立する白山神社。
そして上総国の首都と呼ばれた市原市に鎮座する戸隠神社。
どうもこのへんの地域には九頭竜信仰の痕跡があるような気がするんです。

千葉県君津市に鹿野山という山があります。
かつてここを拠点とした豪族に阿久留王と呼ばれた人物がいました。
阿久留王は朝廷に対する逆賊としてみなされ、ヤマトタケルにより鹿野山麓の鬼泪山にて葬られます。
鬼とされた阿久留王が涙を流して投降したことから鬼泪山と呼ばれるようになりました。
そしてこの鬼泪山には「阿久留王伝説」とは別の「九頭龍伝説」が存在します。
要約すると、鬼泪山に全長10mで九つの頭と尾を持つ大蛇が棲みつき村人を襲っていた。その大蛇をヤマトタケルが3日かかって退治したというものです。
つまり登場人物が違うだけで内容は全く同じ話なのです。
やはりこのあたりにはかつて九頭竜を信仰する勢力がいて、その勢力は大和朝廷と対立していたということなのでしょう。
そして神門古墳を築いた勢力、さらにいえば上総国を創った勢力は九頭竜を信仰する民族だったのではないでしょうか?
上総国一宮の玉前神社の主祭神、玉依姫にも龍神伝説がありますし。
やっぱり上総国は九頭竜をはじめとする龍神信仰の名残があるように思います。

ここまで九頭竜について述べてきましたが、白山神社の主祭神、白山比咩も謎に満ちた存在です。
僕はこの「比咩」という表記がとても気になるんですよ。

神社に祀られる女神の表記には姫、媛、比賣、比売など様々なものがありますが、
この「比咩」という表記にはある種特別な意味が込められている気がするんです。

僕の印象では神武天皇以前の古い女神にこの「比咩」という尊称が用いられているように思うのです。
つまり「大和朝廷成立以前の古い女神」にです。
その白山比咩が祀られる白山神社が至る所に見られる上総国。
ここで上総国で女神を首長にしていた「トベ族」と繋がってくるのです。
彼らもまた、女神崇拝という祭祀形態において白山比咩信仰に近い思想を持っていたのではないでしょうか?

僕は古い時代に遡れば遡るほど統治体制の中で女神が重要なポストを占めていたと考えています。たとえ政治は男が担っていたとしても、祭祀は女性。しかも祭祀王の方が偉かったのではないかと思います。
それが歴史のある時点から男主体の統治体制に切り替わったと推測しています。たぶん西洋思想の影響もあるでしょう。

女神が首長を担っていた時代、社会制度も母系社会だったでしょう。女性を神として崇めていましたから、母方の血筋を重んじたはずです。

そこで上総国の式内社を調べてみました。思った通り、主祭神が女神の神社がほとんどです。島穴神社のシナツヒコを除いて、すべて女神が祀られているんです。

上総国式内社一覧 千葉まほろば神社より引用

こういった背景からも、やっぱりこの土地は女神崇拝が根強い地域だと言えそうです。白山神社がたくさんあるのも理解できます。そして首都である国府に鎮座する戸隠神社。気になりますね。この戸隠神社が鍵を握っていると僕は考えました。

この島の古代史研究ではさまざまな歴史解釈が議論されています。
そのなかで僕が好きな一説があります。

戸隠神社といえば天岩戸伝説が有名です。スサノオの狼藉に憤慨したアマテラスが岩戸にこもり、世界が闇に閉ざされたあの話です。
日本神話における一大事件ですから、たくさんの方の考察対象となっています。
そんな数ある天岩戸伝説の考察で僕が支持する見解というのが、

「岩戸に隠れたアマテラスと岩戸から出てきたアマテラス。はたしてこれらは同じ神であったのか?」とする説です。

つまり岩戸に隠れたアマテラスとは現在あらゆる神社に祀られている「あのアマテラス」ではなく、この島で太古の昔から信仰されてきた「別の女神としてのアマテラス」なのではないかということです。

この島では歴史のある時点からそれまで信仰されていた女神を封印し、新しい別の神をうちたてた。そんな気がするんです。

冒頭にも書きましたが戸隠山の名前の由来は、龍が岩の戸で隠れ封じ込められているからとあります。そもそもこもるという字は「籠る」。龍が含まれていますね。

やはり封印された神とは九頭竜に代表される龍神であり、水の神であり、女神だったと思います。
それはこの島の神話における菊理姫や瀬織津姫のような存在なのかもしれません。
もっと言えば、縄文人たちが夥しい数を残した土偶、それらのモデルとなった存在なのかもしれません。

僕は今この瞬間が、時代の大きな変わり目であるという認識を持っています。自然災害、世界情勢、人の価値観の変化。どれを見ても変革期の渦中にいる気がしてなりません。そしてそれはすなわち、封印された古代の神の復活を予期させます。

人は行き詰まると原点に帰る習性がありますね。現代に生きる僕たちは、まさにその必要があるように思います。長い長い歴史の中で、なにか大事なことを見失っている気がします。

僕たちの遺伝子に受け継がれた遠い遠い過去の記憶は、いったいどんな対象を心の中心に据えていたのか?何を大切に想い、どのような価値観で日々の暮らしを営んでいたのか?

僕はそれが知りたくて、東国の古代史を調べているのです。

さて、唐突に話は変わりますが僕は最近、千葉で一番美しい海と噂される勝浦市にある守谷海岸に行ってきました。
白い砂浜、透き通る水、穏やかな海面。噂通りの素晴らしい海でした。

守谷海岸 ちば観光ナビより引用

ここを訪れたのはもちろん美しい海もさることながら、ほかの目的もありました。旧上総国の南端でもあるこの海岸は、付近に洞窟遺跡が多数存在する、古代の痕跡を残す土地なのです。
僕は以前からこの守谷海岸の西端にある荒熊洞窟遺跡(守谷洞窟)に一度訪れてみたいと思っていました。

荒熊洞窟遺跡(守谷洞窟)入り口

開口部を見ただけでも胸がワクワクしませんか?僕はこの神秘的な景観を目にした時、まるで自分が発見したかのように喜びました。
守谷海岸付近には少なくとも5箇所の洞窟遺跡が発見されており、発掘調査の結果、弥生時代後期と古墳時代前期を中心に縄文時代後期から使用されていた場所のようです。

上記の荒熊洞窟遺跡からは土器、獣骨、骨角器などが採取されているのですが、付近にある他の洞窟群からは縄文土器や人骨、貝斧などが見つかっているそうです。
どうやらこの地域は縄文の時代から人が暮らしていた場所のようです。まあ、そうでしょう。僕は古代人の気持ちがわかります。あんな綺麗な海を目の前にしたら、ここで暮らしてみたいと思いますよね。

荒熊洞窟自体は奥行き10mほどの洞窟というより岩穴に近い遺跡なのですが、突き当たりにある岩肌の一部が他とは違う、明らかに人工的に手を加えられたような表面をしていています。まるで鏡石のように磨かれている感じで、先刻線も見受けられました。女陰の形にも見えますね。
スペース的にも祭祀場か何かとして使用されていた場所なのでしょうか?

荒熊洞窟遺跡(守谷洞窟)内部

洞窟内部は空気もひんやりとしていて、なんとなくおごそかな雰囲気が漂っていました。古代の人たちはここでどのような儀式を執り行っていたのでしょう?
それにしても洞窟って不思議です。この非日常的な空間が感性を刺激するというか、想像力を掻き立てられる気がします。世界中の洞窟に太古の時代に描かれた壁画が存在するのも、こうした特殊な空間のおかげなのでしょう。  

さて、洞窟内部も充分興味深かったのですが、僕がいちばん目を惹きつけられたのは、入り口に立っている謎の木像でした。

荒熊洞窟入り口にある木像

なんの説明書きもなく、開口部に謎の木像がポツンとひとりで立っているのです。

木像自体はおそらく近代に造られたものなのでしょうが、着ている衣装が明らかに日本ではありません。インドの袈裟に見えるのです。表情はとても穏やかで、仏像のような風体をしています。手に持っているのは玉と、男根の形をしたような棒ですね。
そして注目すべきは頭部の意匠です。

木像の頭部の意匠
頭部を上から写した画像

頭を囲むように複数の顔が並んでいます。僕は数えました。9つありました。
そして9つの顔が並ぶ頭部のてっぺんに鎮座するのがこちら

和装をした、おそらく女神なのです。
僕はこれを見た時、九頭竜を従えた女神だ!と思いました。
同時に胸の中で点と点が結びついたような感覚に襲われ、ひとりで興奮し、感激しました。
やはり上総国は九頭竜信仰を現代まで受け継ぐ、女神の聖地なのだと!
今まで調べてきたことが頭の中を走馬灯のように駆け巡り、目の前の木像に集約していきました。
作者はまったく誰かわかりませんが、おそらく房総半島の真の歴史を知っている人でしょう。
「この土地はもともと九頭竜信仰の厚い地域で、女神を崇めた民族が住んでいた場所なのだと」そう作者が訴えかけているように思えました。
こうした歴史を木像の意匠で表現し、古代遺跡の洞窟の前に設置したのだとしたら。想像するだけで、僕は熱いものが胸に込み上げてきました。

とにかく上総国の古代史を調べている僕にとってこの木像は非常に感慨深い作品で、思わずかなりの時間、像の前に立ちすくみ、細部まで見入ってしまいました。

改めて思いますが、こういった土着の信仰を何代にも渡って絶やさず守り抜いている地元の人に敬服します。
自分たちにとっての本来の神を忘れまいとするその姿勢に、僕は民族としての誇りを見るのです。
やっぱり行ってよかった守谷海岸!

最後に余談ですが上総国に密集する白山神社の主祭神、白山比咩は菊理姫と同一視されますね。
その理由の一つが、
百から一を引くと白(白山)になる。100-1=99→菊理姫(ククリヒメ)
というものです。
白山があるのは石川県。石川県も半島を持っています。今年の元日、地震の被害にあった能登半島です。
そういえば、房総半島と能登半島。形が似ていると思いませんか?

房総半島に広がる太平洋側の海岸線は九十九里浜
白山信仰のお膝元、能登半島に入り込む九十九湾

僕はこれらの地名の一致を偶然とは思いません。

「白山開山の起源は、泰澄という奈良時代の修験道の僧の前に十一面観音の化身である九頭竜王が現れたことに始まります」

11X9=99

この島に暗号のように散りばめられた地名と伝承。
暗号とは、特定の誰かに向けた合言葉。
いつの時代か、解かれることを待っています。

世界各地で頻発する紛争、株価の崩壊、荒れ狂う自然災害。元日に能登で地震が起きたと思ったら、一昨日、気象庁は南海トラフ地震臨時情報を発表しました。
この島の揺れも収まりません。

古代の先人たちが残した「あいことば」は、解かれることを待っています。


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