見出し画像

ピアス、開けてみようかな

「名は体を表す」ってよく言いますね。まさに言い得て妙。上手い表現です。
名前はそのものの本当の姿をよく表していると思います。

であればある対象の実体を、名前からたどれたりもするわけで。

例えば名前くらいしか情報のない、歴史上の人物を探る時、この慣用句が僕の背中を力強く後押してくれるのです。

神々の系図を見ていると、昔の人たちは神様に、よくもまあ長い名前をつけたもんだと、表に並んだ漢字の多さに圧倒されます。
しかしなかには特徴的な名前を持つ人物がいるもので、系図上で異彩を放つその字面、どうしても目がいってしまうのです。
名前って不思議なもので、そこからさまざまなことをイメージできたりするものです。

あなにやし~神話と神様と神社のこと~ より引用

上の系図は日本の神々の系譜の一部分を切り取ったものですが、この時代の神話にはなぜか「耳」が名前につく人が多く登場します。

ニニギの父親 天忍穗耳(オシホミミ) 
大物主の義父 陶津耳(スエツミミ)
神武とアヒラヒメの子
・手研耳(タギシミミ)
・岐須美美(キスミミ)
神武とヒメタタライスズヒメの子
・彦八井耳(ヒコヤイミミ)
・神八井耳(カムヤイミミ)
・神沼河耳(カムヌナカワミミ)

たくさんいますね。徳島の三木家で今話題のオシホミミ。大物主の奥さんの父スエツミミ。神武天皇に至っては、2人の妻との間にできた5人の子供、そのすべてに耳ないし美美(ミミ)という名前を付けています。
もちろんこの系図から外れた歴史上の人物にも耳の名前を持つ人はいるのですが、いわゆるこの島の権力の中枢に、これだけ耳の名を持つ人々が集まるのは、この時代だけなのです。

僕はニニギの頃から弥生時代が始まったと考えていますから、切り取ったこの系図の時代は縄文最晩期〜弥生初期くらいと推定します。

気になるんですよね、僕は。この時代の耳の名を持つ人物が。縄文から弥生への移行期となる時代ですから、特にね。たぶん激動の時代だったでしょう。

上にあげた耳の名を持つ人物で、まず気になったのは、オシホミミとカムヤイミミです。
この2人、似たようなエピソードを持っているんです。

前回の記事にも登場したオシホミミ。この人は天孫降臨するニニギの父親なのですが、本来、最初にアマテラスとタカミムスビから天孫降臨の命を受けたのは、オシホミミだったのです。
しかしオシホミミは天降りの準備をしている最中にニニギが生まれたので「この子を降ろすべきでしょう」と息子にその大役を譲ります。それで結局ニニギが天降ることになり、葦原の中つ国を統治する運びとなります。

いっぽうカムヤイミミは、なんと天皇の座を弟のカムヌナカワミミに譲るのです。

ことの発端はこういう経緯です。
父である神武天皇の次代を巡って、異母兄弟同士の争いが起きるのです。
アヒラヒメの子、タギシミミは皇位につくため腹違いの兄弟であるカムヤイミミの殺害計画をたてます。その陰謀を知ったカムヤイミミとカムヌナカワミミの同母兄弟はともに宮殿に忍び込み、タギシミミを討ちます。このときカムヤイミミは武器を持ったまま、手足が震えて立ちすくみ、手を下すことができませんでした。それを見かねたカムヌナカワミミは兄の手から武器を取り上げ、タギシミミを殺害します。
弟の勇ましさに感心したカムヤイミミはその後、
「私は仇を殺すことができなかった。オマエが殺害した。だから、兄ではあるが、国は治められない。オマエが天皇になって、天下を治めよ。私はオマエを助けて神を祀る仕事をしよう」とカムヌナカワミミに皇位を譲るのです。

この2つの話、なんだか似てる気がします。これは「神話あるある」ですが、神話を読んでいると似たようなエピソードを何度も「コスる」場面に出くわします。そこに僕は引っかかるのです。おそらく大事な話だから「コスっている」のだろうと。

オシホミミとカムヤイミミのエピソード。共通している点は「耳」の名を持つ人物が、国の統治権を譲る話ということです。
そして時はともに縄文から弥生への移行期。
おもしろくなってまいりました。
統治権を譲った側が「耳」に関係した人物ならば、耳をたよりに縄文の歴史を辿れるかもしれません。

縄文で耳というと、やっぱり僕はこれが思い浮かびます。

みみずく土偶 茨城県利根町 立木貝塚出土 縄文時代(後期)
ブログ とーこんこめぇーてーより引用

また出てきました。みみずく土偶。
僕はこれらの土偶、耳に特徴があると思うんです。みんな大きな耳飾りをつけています。ピアスかな。だとしたら耳によほど大きな穴を開けなければなりません。
縄文の時代にそんなことができたんでしょうか?

土製耳飾り 縄文晩期
桐生市役所 ホームページより引用

どうやらできていたようです。縄文人は耳に大きな穴を開けていました。縄文遺跡からはかなりの大きさのピアスが出土しています。
上の画像の耳飾りは栓状耳飾りと呼ばれるタイプのもので縄文時代中期から晩期まで作られたピアスの一種だそうです。なかには直径10cm近くあるものもあるようで、耳たぶに開けたピアスホールを時間をかけて押し広げ、嵌め込むようにして装着したと考えられています。現代にもいますよね。ピアスの穴を拡張している人。縄文の時代から続いていたんですね。

現代人はファッションでしている人が大半でしょうが、世界にはそれを風習として伝承し続けている部族がいくつも存在します。

エチオピア ムルシ族
タイ カヨー族

インドのパールバティも耳が長い。

南米にもその痕跡があります。ペルーはインカ帝国から。

インカの立像 
画像は全て神話とか、古代史とか。から引用

世界各地で見られますね。
そして極め付けは絶海の孤島イースター島から。

池田東吾ホームページ より引用

みんな耳が長い!
そもそもモアイ像とは長耳族という民族により6世紀ごろから作られはじめたそうです。長耳族ってもうそのままですね。

いろいろな例をあげてきましたが、これら世界各地に広がるピアスホールの拡張文化は長耳風習と呼ばれます。
長耳風習を世界に広めたのは縄文の海洋民族だったのか否か。
実際のところどうなのかはわかりませんが、土偶や世界各地の遺物から見てもわかるように、少なくとも人類は太古の時代から耳を重要な器官と考えていたようですね。

以前の記事にも書きましたが、日本人の耳って不思議です。虫の声を言葉として聞けますし、グツグツやヒソヒソといった言葉の音を聞いただけでその情景を具体的にイメージすることができるのです。こういった擬音語・擬態語をオノマトペと言いますが、その数が日本語は飛び抜けて多いそうです。
やっぱり僕たちは特殊な耳を持ち、それを大事にした民族なのかもしれません。

オシホミミから統治権を譲られ葦原の中つ国の王となったニニギは、その瞳に写る美醜の差を理由にイワナガヒメを拒否し、コノハナサクヤヒメを選びました。そして御代の栄光と引き換えに、永代の寿命を失いました。

カムヤイミミは武器を持ちましたが、手足が震えて立ちすくみ、敵を討てませんでした。
そして権力の座を弟に譲り、自分は祭祀の道へ進みます。争いを放棄して、悠久の昔より継承される神に仕える身となりました。

僕はそんなカムヤイミミが大好きです。
彼の子孫が治めた土地で、僕はこの世に生を受けました。
土地の影響を受けたからなのか、争いが嫌いで、権力にも興味がありません。

耳を大事にした人々は、見えるものより聞こえるものを大事にしたのかもしれません。王の煌びやかな権力は目に見えますが、神の姿はどんな眼鏡をかけても見えません。

そういえば、この島のゆるぎない言霊信仰は、神とは見るものではなく聞くものだと教えてくれているようですね。

最後に。沖縄、琉球神道の最高神女は聞得大王(きこえのおおきみ)と呼ばれます。

ピアス、開けてみようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?