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ガラテヤ人への手紙 第1章

パウロの召命体験

‭ガラテヤ人への手紙 1:1 口語訳‬
[1] 人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによ
って立てられた使徒パウロ、 

後で詳しく述べますが、
当時は、キリスト教会の中に、ユダヤ主義者という人たちがいて、教理をめぐって、パウロと激しく対立してきました。 

ユダヤ主義者たちが、パウロを攻撃する材料として使ったのが、パウロの「使徒性」でした。

つまり、パウロは生前(公生涯)のイエスに直接出会って召命(使徒職への任命)を受けていないから、使徒ではないと主張したのです。

それによって、パウロの権威を失墜させようとしたのです。

それに対する反論が、前掲したこの1章1節です。 

つまり、パウロは生前(公生涯)のイエス・キリストではなく、復活のイエス・キリストに出会って、回心し、使徒職に任命されたのです。


その時の出来事は使徒行伝9章に記されています。


当時、熱狂的なユダヤ教徒であったパウロ(ヘブル名はサウロ)は、
キリスト教徒を迫害し、撲滅すべく、馬に乗って、ダマスコに向かっていました。

その時に彼は復活のイエス様と出会ったのです。
その時の出来事を聖書は以下のように伝えています。

‭使徒行伝 9:3-5 口語訳‬
[3] ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 [4] 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 [5] そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 

これが、パウロ(サウロ)と復活のイエス様との出会いでありました。 

そしてこの体験がきっかけとなって、
サウロは劇的に回心し、キリスト教に改宗し、ほぼ同時に彼は使徒に任命されたと確信しました、

そしてこの体験は、彼の活動の原動力になりました。
そのことを、安久実保先生は『主と共におらせてください』という聖書講解で、分かりやすく伝えています。 


ただ主イエス・キリストとその父なる神とによって使徒とされたことが、
パウロの言葉と行いとどんなに大きな試練にも耐える力と突き進む勇気によって、また、彼の愛と執り成しの深さ、自分を何ものともしない自由さ、教会に対する責任感によって、証明されています。・・・彼の働きは真実なので、その働きはとても大きく広がりました。

安久実保著『主と共におらせてください』


召命(神様から伝道者として選ばれ、使命を与えられること。現代では、聖書の言葉を通して、神様からの呼びかけを聞きます。)は、ふるいにかけられます。

現代でも、神学校を中途退学したり、牧師になってから、数年で辞めてしまう人もいます。

また聖書に出てくるマルコのように再び伝道者として復帰する人もいます。

しかし、召命体験は、どんな時でも、神様(復活して今も生きて働いておられるイエス様)がいつも共にいてくださることを信じ、神様の愛と全能の力を堅く信じていますから、

安久実保先生がおっしゃったように、

試練にも耐える力と突き進む勇気、
(隣人、特に教会の兄弟姉妹への)深い愛と配慮、
教会に対する責任感などが与えられるのです。

パウロの時代も、今も、それは変わることはないのです。


執筆の動機


‭ガラテヤ人への手紙 1:4, 6-8 口語訳‬
[4] キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。 
[6] あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。 [7] それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。 [8] しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。 


この手紙が、いつ、どこで書かれたのかは、諸説あります。

この手紙は、紀元57年か58年の冬、パウロが第3回伝道旅行で、コリントに滞在していたときに書かれたと思われます。

この同じ時期に『ローマ人への手紙』も書かれたと思われます。手紙の主題はどちらも信仰義認の教理を確認することです。

しかし、ローマ書のほうは、自分の神学をじっくりと時間をかけて体系的にまとめ上げたのに対して、

ガラテヤ書のほうは、教会内に起こった危急の問題に緊急に対処しなければならなかったので、急いで書かれたものです。

6〜8節にそのことが書かれていますが、
まず6節でパウロはいきなり驚きの言葉を書いています。

「 あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。」 
と驚きを隠せない表現をしています。


これは最初の所で述べましたユダヤ主義者たちが、ガラテヤの信徒たちを惑わして、ガラテヤの信徒たちがユダヤ主義者たちに巻き込まれていったのです。

ユダヤ主義者というのは、
ユダヤ教からキリスト教に改宗した人たちのことです。
彼らは、キリスト教に入信してからも、
割礼を受けていることを誇りとし、
律法を順守していました。
それだけでなく、
異邦人キリスト者にも割礼を受けることや律法を守ることを強要していたようです。

ガラテヤの信徒たちは、
世の人々が詐欺師に見事に引っかかるように、ユダヤ主義者たちに言葉巧みに騙されたのです。

ユダヤ主義者たちは先ほど申しましたように、まずパウロの使徒性を否定しました。
パウロは生前(公生涯)のイエス様から直接、使徒に任命されていないのに、自分を使徒だと勝手に言っている。
そのような人の言うことは間違っているから、従うべきではないと言ったと思います。

そして、ユダヤ教の伝統の長さも手伝ってか、
ガラテヤの信徒たちは、ユダヤ主義者たちが言っているように、割礼を受けて、律法を守ったほうがいい、そのほうが、きっと神様に喜ばれると思い込まされてしまったのでしょう。

でも、そうなれば、イエス・キリストの十字架による救いの業は無駄になってしまいます。

神様がせっかく用意してくださった救いの道(律法の行いによらず、キリストの十字架によるあがないの業を信じる信仰によって救われる)を拒否してしまうことになるのです。

パウロはガラテヤの信徒たちが、いとも簡単に信仰義認から離れてしまったことをいぶかり、それでも、何とかして、彼らを正しい信仰に戻すように、この手紙を急いで書いて送ったのです。


〜〜〜 つづく 〜〜〜


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