一方通行⇔双方向。有り難う⇔当たり前。貰うばかりで、与えることの出来ない自分に義憤を感じる。
どうも。
長澤です。
今日は、情緒的人生論を語ろうと思います。
人生には、三段階の幸せがある。
1、Take&take(もらう。さらにもらう。与えられるばかり。別名、クレクレ星人)
2、Give&take(与え、与えられ。世間では、常識と呼ぶ。)
3、Give&give(与え、更に、与え、与え続ける。)
誰が言ったかは、覚えては、いないが、番号が、大きいほど、幸せは、大きい。
しかし、世間は、恵まれつつあるJapan。1の人が、増え続けある気がする。
別に、愚痴なんて、無いけどさ。(半分、本音。半分、強がり)
私も、ずっと、1だったけど、本の世界に、出会ったり、人の温かさに触れたりして、少しずつ、番号を高い方へと、持って行きたい。と、思うようになった。
例えば、相手は、仕事で、義務的に、与える立場にあったりもするが、やはり、自分も相手も、人間。
ただ、与えられるだけじゃ、情けない。(単に、自分のメンツを潰されたくないだけの見栄かもしれない)
何気ないあいさつ。
「おはよう」
「こんにちは」
「こんばんは」
「またね」
「いただきます」
「ごちそうさま」
「ありがとう」
「ごめんなさい」
何気ないあいさつにも、愛の言葉の波動がある。
そんな小さな小さな愛言葉に、愛と、幸せを感じられる幸せな人に、なりたい。
人は、原理的に、独りでは、生きていけない。
人と人が、交わり、その社会性の中でしか、生きていけない。
そして、そこに、幸せの宝箱がある。
例え、寒空の下でも、苦渋を飲まされる様な環境下でも、そこに、幸せを、見いださなければ。
建設的にかつ、争い事もなく、怒るのではなく、笑顔で、交わり、人の営みを続けて。
理想論なのは、わかっているが、それでも、そんな日への願望を胸に。
明日、一週間後、一カ月後、一年後、何十年後、いつも、笑顔で。
共に、笑える日を夢見て。
Dear.Friends
From.Something.
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