諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)

人はなぜ人間というのか。
人との間があるってこと。
人間は一人では生きていけない。
このことは若い時には感じにくいことかもしれない。
それは自分を守ってくれてる存在に気付きにくいからだ。若気の至りとはこういうこと。
若い時に一人で生きていけるなんて思いは私もあったけど、それは無知ゆえの愚かさだ。
人がこの世で一人で生きていけるなんて、今自分たちが食べてるものは誰がそこまで加工して運んだの?あなたが今いる場所に居られるのは誰のおかげ?あなたが今生きていられるのは酸素があるからでしょ。その酸素を誰がつくってるの?
そんなことを考えたらキリがないほどに私たちは全てのものの恩恵にあずかっている。
だから、誰一人何とも繋がってないなんてことはない。
この諸法無我とは小さな気付きに感謝できた時の喜びを表してると私は思った。

人間という生き物はとても弱い。
生物体系で言えば百獣の王なのかもだけど、
肉体がある以上頭で考えてること、思っていることを自由に具現化できない分だけ、人は嘆き悲しみ苦しむのである。
だから、あらゆるものと繋がって自分を鼓舞して生きていくことが求められる。

そうでなければとてもこの世で生きていくことは出来ない。

だから全てのものと繋がって自分の存在意義を人々は見出し、それぞれの思いで生きているのである。

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