ALL EYES ON...?
数日前からインスタのストーリーで何人もの人が同じ画像をシェアしていて、それが何のための画像かわかってからなんとなく見るのが億劫になっている。
画像はAIで生成されたものらしく、現地で実際に起きている暴力の数々には触れないクリーンな画像であるおかげで、世界中で何千万と拡散されているらしい。
この「シェアの気軽さ」が不気味に思えてならない。
話しにくい話題に触れるハードルが下がるのはすごく良いことだと思う。だけど私個人は、画像が拡散されはじめてからの方が何倍も、この紛争に触れるのが怖く感じる。
画像の拡散は大きな波になって、大きな動きになって、今や世界中の人たちが連帯している。でも、そのうちの何人がシェアボタンを押す前に一度立ち止まったんだろう、何人が自分で情報にアクセスしようとしたんだろう、
もちろん多くの人に現状を知ってほしいと思うけれど、私も知らないことだらけだし、知れる情報には限りがあるし、皆それぞれ生活があるから、知らない人や知ろうとしない人を責めようとは思わない。
あれを「承認欲求のためにやっている!」と非難するつもりもない。
そうではなくて、生成段階で既に人の手を離れた画像が、誰のものかわからない訴えが、本来語られたであろう本当の言葉の数々を覆い隠してしまうくらいに広まっていることが、すごく怖い。
気軽であって良いのは声をあげるというアクションだけで、その中身が軽くあってはならない。きっとあの画像をきっかけに、やっと行動に移すことができたという人もいると思う。であれば、そのあとで自分なりの声も届けてほしい。
この文だってすごく浅いものだし、誰の目にもつかないかもしれない。それでも、どんなに無知でも小さくてもいいから、せめて自分自身だけでも重みを持っていると感じられるような主張が、多く届くようになってほしい。