知的財産法(1)・・・模倣と創造と知的財産法
by 弁理士 遠山勉
模倣してはいけない・・ってホント?
知的財産法というと、すぐに、「模倣してはならない」と頭に浮かぶのではないだろうか。
とりわけ、ネット社会となった現代において、いわゆる「パクリ」疑惑が多方面で取り沙汰され、炎上する例が多くみられる。
ネット上で炎上するものは、「見てすぐわかる」ものが多く、そのほとんどは著作権法における著作物の模倣問題である。しかし、知的財産として保護されるものは、著作物に限らず、特許法で保護される「発明」、実用新案法で保護される「考案」、意匠法で保護される「意匠」、そして、商標法で保護される「商標」がある。
その他に、不正競争防止法では、知的財産に関連する特定の行為を不正競争として禁止している。不正競争行為とされた事件は例えばコメダ珈琲事件がある。
これら事件から窺える世界観は、「模倣はしてはいけない」・・である。
そして、模倣を規制するのが知的財産法である。この視点では、「模倣」は「悪役」、「創造」は「ヒーロー」である。
しかし、本当にそうであろうか。
と言ったのは、かの夏目漱石である。【夏目漱石(1913)『模倣と独立』青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1747_14970.html)】
人の成長には学びが必要であり、学びには模倣・情報のコピーが伴う。そして、学びなくして創造はない。産業発達史を見ると、洋の東西を問わず、技術伝搬という名の「模倣」がなされ、産業が発展している。知的財産法は確かに模倣を規制してはいるが、本来は人の成長に必要な学びと創造に必要な模倣を前提とし、その行き過ぎを例外的に規制するものであることを忘れてはならない。
模倣とは何か
模倣とは、「まねる」ということであり、「模」は、「木製の器を作る型」を意味し、「倣」は、「あることを手本として同様に行う」ことを言う。(三省堂・大辞林)。
本稿では、この定義を前提に議論を進める。
<模倣対象の言葉>
模倣対象を示す言葉として、「模範」という言葉がある。模範とされる対象については、積極的に模倣することが推奨される。同義の言葉に「手本」という言葉もある。他にも、モデル、見本など類義語はたくさんある。「模範」という言葉を聞いたとき、皆さんはどう思うだろうか。そこには、「見習うべき」という思いが浮かぶのではないだろうか。すなわち、「模範」とは、「模倣」を前提としたそれを奨励する言葉なのである。
<模倣方法の言葉>
次に、模倣方法についての言葉を探してみよう。まずは、「学ぶ」がある。学ぶの語源は、まねぶ=真似ぶ、にありと言われる。そうだとすると、これは「模倣」を前提としていることになる。次に「習う」。習うは、知識や技術を他人から教えてもらうことを言うが、そこでは、知識の伝搬(コピー)が行われる。「学習」は、模倣を通じて、先人の知恵を身につけることに他ならない。他にも、「倣う」:既存の先行例をまねること・・などもあるが、いずれも「模倣」を伴うものである。「人の真似をするのが人間の殆ど本能」と言った夏目漱石の言葉は、言い得て妙である。
次いで、「トレース」「カバー」「サンプリング」「引用」などの言葉がある。「トレース」は、他人の写真などを上からなぞってイラストにするなどの行為で、古塔つみさんのトレパク疑惑で問題とされた。「カバー」は、「ある演奏者・歌手のものとして発表された楽曲を、他の人が演奏したり歌ったりすること(デジタル大辞泉)」。「サンプリング」は、「さまざまな曲を抜粋して組み合わせ、新しい曲を作ること(デジタル大辞泉)」。「引用」は、「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること(デジタル大辞泉)」。これらは、既存の情報を「参考」として、それになんらかの「個性」を付加したものであり、独自性は付加されるものの基礎に模倣対象が存在することは間違いない。模倣からさらに独自性を出していくことになるが、さらに模倣から独自性へと発展する言葉として、換骨奪胎や守破離などもある。「換骨奪胎」とは:、「(骨を取りかえ、胎(子の宿る所)を自分のものとする意) 先人の詩文などの表現法を借りながら趣旨に変化を試みて、独自の作品を作りあげる技法。(精選版 日本国語大辞典)」であり、「守破離」とは、「剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。(デジタル大辞泉)」である。
<模倣結果の言葉>
模倣対象を模倣した結果、なんらかの成果が生まれるが、その成果と模倣対象との対比結果により、両者間の差分が大小によりその評価が異なる。
模倣対象と模倣結果の差分がゼロの場合、それは「剽窃、盗作、贋作、Copy(写し)、Clone(クローン)、 Replica(複製)」などと評価されよう。差分が多少あるものの限りなく模倣対象に近い場合でも、「パクリ、Imitation(模倣)、二番煎じ、Fake(偽造)、 Dummy(替え玉)」と評価される。これらは、 Replica(複製)以外は、否定的評価を受ける。
模倣の中でも、「Parody(パロディ)」や「Homage(オマージュ)」と言われる場合は、単なる模倣とは異なる。
Parody(パロディ)は。「文学などで、広く知られている既成の作品を、その特徴を巧みにとらえて、滑稽 (こっけい) 化・風刺化の目的で作り変えたもの。日本の替え歌・狂歌などもこの一種。(デジタル大辞泉)」
Homage(オマージュ)は、「敬意。尊敬。また、献辞。賛辞。(デジタル大辞泉)」であり、先人への敬意を表して、先人の作品のモチーフ等を取り入れた作品を創ることを言います。例えば、Jacques Ibertは、「モーツァルトへのオマージュ」という曲を作っています。
パロディやオマージュ作品は元の作品を基礎に新たな創作要素を加えているため、二次創作といわれよう。
なお、もし、一つの模倣が社会的に広がると、それは「流行」、と評価される。ファッションの世界の「流行」は模倣の連続である。それが「悪」と呼ばれることは少ない。
創造とは何か
「模倣」に対し、「創造」とは、「それまでなかったものを初めてつくり出すこと」(三省堂『大辞林』)をいう。また、「創造とは、人が異質な情報群を組み合わせ統合して問題を解決し、社会あるいは個人レベルで、新しい価値を生むこと」(日本創造学会)という定義もある。模倣とは真逆である。
参考にすべき対象物を見つけてそれを意図的に模倣する能動的行為はタルド(*1)の言う「意識的模倣」であり、模倣しないことを意識し、逆のことをするのであれば、それは、タルドの言う「反対模倣」である。それは、人間が社会活動するにあたって、「模倣をするか、しないか」という規範の問題となる。
<独創の中の模倣>
模倣的要素がない創作物があったとしたらそれは「独創」と言えるかもしれない。「模倣をするか、しないか」いう基準でみたら、「独創」は模倣をしなかった、ということになる。
もし、創造が模倣と対立するものであるなら、創造は善で模倣は悪となる。
しかし、独創に至る創作行為を振り返ってみたい。その創作者が「独創」といわれる作品を創作するに至る前に、どれだけ学び、習い、知識を身につけてきたのであろうか。多くの模倣を繰り返し、多くの情報を頭にコピーしてきたはずである。情報・知識のコピー(模倣)と蓄積・そしてその融合の繰り返しが新たな創造を生むというのであれば、創造には模倣が併存していることを意味するのではないだろうか。もちろん、融合部分がほとんどなく、出力された知識が入力された知識と同一であれば、それは単なる模倣(パクリ)と評価されてしまう。融合部分が小さく創造の程度が低いと、オリジナリティがなく凡庸であるとの評価になる。
ここでは、模倣は必ずしも悪ではなく、「模倣は創造の母」ということになろう。そして、模倣と創造は、突き詰めると最後には一体構造になるのではないだろうか。独創性が強くなると、模倣の痕跡が外部から見て取ることができない。しかし、創造過程をみると、先人の知恵を拝借した部分は確かに存在する。模倣は、独創とされる最終成果に一体化したのである(*2)。
以上のような観点からすると、すべての創造は、意識的にせよ無意識的にせよ、学習を通じてなんらかの「模倣」がベースにあると評価されよう。
知的財産法と模倣と創造の関係
上記のように模倣と創造との関係をみたとき、知的財産法=模倣はしてはいけない、ということならば、新たな創造は生まれ難くなることであろう。
知的財産法は、模倣をコントロールするように規制はしているが、そのすべてを悪とするのではなく、人間の創造行為がむしろ模倣ありきで成り立っていることを前提としていることに気づかなければならない。
知的財産法の代表格でもある特許法の目的をみてみよう。
もし、特許法が模倣を防止するだけのものだったら、「この法律は、発明の保護することを目的とする。」だけで足りる。しかし、この法律は、発明の保護だけではなく、その「利用を図ること」により、「発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与する」ことを目的としている。
すなわち、特許法は、産業の発達には「模倣」が必要であることを前提としているのである。そして、それを前提として、発明の奨励を妨げるような不当な模倣を防止するように、発明の保護を図り、技術の「累積的進歩」を企図している。
なお、一般に「模倣」というとき、それは、模倣対象への意識的なアクセス(依拠)をその要件とするが、特許法は、そのような模倣を規制対象としてはいるが、意識的、意図的でなくとも特許発明の技術的範囲に属する発明についても規制の対象とする。すなわち、特許発明に依拠せずに独自に発明したものでも、許容されない。これは、特許法がインセンティブとして特許権者のみに独占権を付与し、発明の奨励による産業の発達を企図しているからで、産業立法たる所以である。
特許法は意識的に「模倣」したか否かを問題とするのではなく、公開された特許発明と同一の発明を第3者が権原なく実施したか否かを問題とする。特許権者以外の第3者は、公開された特許発明について、それを実施しないよう注意義務が課されるのである(過失の推定:特許法103条)。よって、特許法では、「模倣」という文言は出てこない。この点は、実用新案法、意匠法も同様である。同じく産業立法である商標法では、保護対象が創作物ではないが、商品・役務の識別標識であるが故に、同時に複数の者に商標権を付与することはない。「模倣」が規定の中に出てくるのは、知的財産法関連では、不正競争防止法と半導体集積回路の回路配置に関する法律のみである。
これに対し、著作権法では、他人の著作物に依拠しない限り、同一の著作物につき、複数の者が著作権者になりうる。(*3:依拠性については下記を参照のこと)
著作権法は、産業立法ではなく、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与する」ものであり、ベルヌ条約の下で無方式主義を採用していることから、同一の著作物が互いに依拠することなく創作されたのであれば、公平・公正の観点、文化の発展の観点から、複数の著作権が成立するのである。
(*3)依拠性について
参考資料
4IP-Law 知的財産法条文ネットワーク・・産業財産件をハイパーリンクで対比できるように掲載。
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