001:黄泉の守り神の仕事

 明治時代は兎に角激動の時代であった。
 倒幕から始まった時代ではあるが、そのお陰で日本の方向性が何もかも変わったのである。
 一つ例を挙げるとすると、今までの日付の基準は天保暦を利用していたが、明治6年からは西暦と一致した新暦を採用。これにて、世界と一致した日付を歩むことになった。
 当然、それは黄泉の国にも適応されており、細かい調整が非常に大変であった。黄泉の国にある昔の記録は当然のように旧暦基準の為、日付の照らし合わせ等で大分手間取っていたし、今でも旧暦カレンダーを独自に発行して使っている。平成になればインターネットの存在で大分楽になるが、今は大正初期。そんな便利なものは今はまだ無いのである。
 そんな感じで、黄泉の国の住人達は先帝の大喪儀を切っ掛けに、明治はこんなに大変だっただとか、江戸からの移り変わりは凄かっただとか、国会議事堂に行ってみたかっただとか、思い思いに色々な事を口にし、語り合っていた。

 ただ、とある少年だけは違った。

 少年は、明治時代、ずっと勉強や鍛錬に明け暮れていた。ここの住人として生まれて、成長してから、この日の為に――「黄泉の守り神」になる為に。
 少年は鴨頭草色に煌めくマントを靡かせ、その下に見える青いラインが入った白の軍服を覗かせながら、黄泉の国の神々が集う総本山・比良坂院へと向かっていた。
 比良坂院は黄泉と現世を繋いでいる黄泉比良坂の中に堂々と聳え立つ宮廷みたいなもので、その中にはイザナギとイザナミを祀っている祠がある。普段、イザナギとイザナミはそこで眠っているが、何かあれば目を覚まし、黄泉と現世に影響を及ぼすという言い伝えが、住民達に伝承として伝わっている。
 少年は比良坂院に通じる石の階段を登り始めたところで、強い風に見舞われた。

「おっ、と……」

 少年は、黒髪の坊ちゃん刈りの上に被っている白い軍帽を手で押さえて、風で飛ばないようにしていた。それから、水縹色の青い猫目で、空へと目を向けた。

「……あれ?」

 階段の先の向こう側から、似たような白い軍帽がこちらに向かって舞い降りてきたのである。
 少年は少し背伸びをして、その軍帽を手に取り、それをジッと眺めた。特に何も変哲の無い軍帽であり、大方、誰かが今の風で飛ばしてしまったのだろう、と、再び顔を上げた。
 途端、

「おーい、その帽子、ワシのじゃあ〜。すまんのぉ、拾ってもらって」

 透き通った少年の声が、此方の耳の中へと飛び込んできた。

「ぁ……」

 その姿を見た瞬間、つい、見惚れてしまった。
 すぐ目に付いたのは臙脂色のマントだが――その次に目に入ってきたのが、背筋が震える程に中性的で、綺麗な顔だった。
 女顔、と言うには凛々しさがあるが、男顔というにも可愛らし過ぎる顔立ちであり、中性的だとか綺麗な顔以外に向こうの顔を表現する言葉が思いつかない。ただ、本当に「美」がそこにあるのである。その上で、向こうは赤褐色の長い髪の毛を右耳の後ろで軽い団子を作って、そこから適当に肩に流しており、その髪型が余計に女性的かつ、向こうに似合っていた為、性別が分からなかった。
 あちらは蘇芳色の赤みを帯びた丸く垂れている瞳で、此方を見つめながら、「ああ」と何かに気が付いたように頷き、そこから少年に向かって階段を降り始めた。
 そうして少年の元まで来ると、ニコッと優しく笑みを浮かべて、言い放った。

「君が今日からワシらと一緒に働く事になるキミカゲくん、じゃったかのぉ?」
「えっ……あ、はい、そうですけど……」
(この人も守り神の一人……なのか)

 と、少年・キミカゲは目の前の人物の服装を見た。臙脂色のマントの下には自分と似たような白い軍服を纏っており、こちらと違って赤いラインではあるが、それ以外はほぼ同じデザインなのは確認出来た。あと、ズボンを履いているので男。キミカゲは、まぁそうだよな、と、溜息を吐いた。
 相手はそのまま告げる。

「ワシはハミズ。守り神の中でも一番年上じゃ。分からんことがあったら、いつでも聞きなせぇ」
「よ、よろしくお願いします……」

 キミカゲは少し緊張した面持ちで、ハミズへと帽子を渡した。
 ハミズは、「ありがとう」と笑みを浮かべながら受け取ると、そのまま自分の頭の上へと乗せて、被せた。

「にしても、この時期に守り神に昇格はちぃとばかりタイミングが悪すぎたのぉ」

 と、ハミズは歩き始めた。ハミズは少し歩くと、キミカゲを手招きして、一緒に来るように指示。
 キミカゲも頷いて、彼の後ろを歩き始めた。
 ハミズは話を続ける。

「先帝が殂落し、黄泉の方もかなりゴタゴタしておるからのう。45年振りなんじゃよ、天皇陛下が此方へやってきたのは」
「えっ、崩御なされるとこっちに来るんですか……?」
「というよりも、隠居をする、と言った方が正しいけぇなぁ」

 キミカゲの質問に、ハミズはそう答える。

「天皇が崩御すると、『お隠れになる』って言うじゃろ? 現世の解釈だと色々説はあるが、此方だと天皇は神の子孫であるから、黄泉の国で神々と共に隠居する、という意味になるんじゃよ」

 と、

「無論、他の皇族に関しても丁重に扱っておってのう。降嫁した内親王についての扱いは本人達の状況によるが、皇族のまま逝去された場合は基本的にこの世界で隠居じゃの。神の血を引いてる以上、迂闊に転生も出来ん。で、そういったお偉いさん達を守るのがワシらの役目その1」

 ハミズは人差し指をビシッと立てて、そう言い、

「第2に、一般人の死者の住処を守るのじゃが、ワシらのメインの仕事は基本これじゃ。彼らが転生するまで、外敵を許さないように黄泉の国の門番をするんじゃよ。キミカゲくんには、今後その役割を担ってもらうってことじゃな」
「はい、ボクもそのつもりで守り神の試験受けてますから。重々承知です」
「ならよろしい」

 ハミズはキミカゲのハッキリとした受け答えに満足げに頷き、続ける。

「3つ目は……その他、閻魔大王様の雑用や諸々じゃの。閻魔大王様も暇じゃないから、基本人手が欲しいんじゃ」

 ハミズは苦笑しつつ、これはそんなに重要ではないようで、次に移る。

「で、4つ目は、現世に行った時や此方で悪霊が発生した時、ワシ等がそれを処理するってところかのぉ。多分これがワシらにとっては一番需要じゃろう」

 と、

「今の時期、陛下への後追い自殺や、大帝陛下交代によって神によるご加護が不安定になりがちでのう。あと、災害や人為的な被害で人々が大量に死んでしまった時も、湧きやすくなる。今、他の守り神達が大喪儀の為に現世に行っておるが、そういう背景もあるんじゃよ」
「別に単にお見送りに行っているわけでは無い、ってことなんですね。お見送りも仕事のうちだと思ってたんですけど」
「うむ、それはそうじゃな。でも、現世に行く理由はそれが一番大きいんじゃよ」

 ハミズはコクコクと頷いて、黄泉の国の中でも有数の繁華街へと出た。
 どうやら、ハミズには此処での行きつけの喫茶店があるようで、そちらにキミカゲを案内しているようだった。キミカゲはいつも通りの繁華街の光景が、今までと違く感じるようで、何処か落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見渡していた。
 ハミズはクスクスと小さく笑みを浮かべながら、そわそわしているキミカゲを手で招く。

「ほら、こっちじゃよ」

 キミカゲはハミズにそうして招かれるがままに、喫茶店へと向かう。
 喫茶店は西洋の雰囲気を取り込んだ、この時代にはよくある喫茶店を模しており、店内は黄泉の住人達で溢れかえっていた。木製の壁や床はキミカゲ達をホッとさせる何かがある。
 ハミズはキミカゲと共にカウンター席に着席すると、すぐ水を渡しにやってきた店員に対して言った。

「牛乳入りコーヒー二つ頼む。支払いはワシ持ちで」

 と、店員にお辞儀し、キミカゲへと目を向ける。

「まぁ、そんな感じで早速じゃが、今日はキミカゲくんの仕事はないから、明日になるな」

 と、

「明日、先帝が京都の伏見で埋葬される手筈となっておる。大喪の礼が執り行われた後、そのまま柩が、直接御霊霊柩車に乗せられる感じじゃったかのぉ。そこで、キミカゲくんにはワシ含めた他の守り神達と一緒に、伏見でお参りをしてほしいんじゃよ」
「了解しました。顔合わせも兼ねて、ですね」
「うむ、そういうことになるな。皆、癖はあるが悪い奴らでは無い。何かあったら、肝心な時に助けてくれるじゃろう」

 ハミズはコップに入った水を飲みながら、そう言う。
 キミカゲも喉が渇いたのか、コップに口を付けて水を喉に流し込んだ。そして、思う。

(ここの守り神って皆少年の姿って聞いたけど、本当に少年の姿なんだなー。守り神って言うから、ゴツいお兄さん達が来るかと思って拍子抜けしちゃった)

 と、キミカゲはハミズの姿をよくよく観察し、勝てない何かを感じ取った。

(ってか、この人……見た目は勿論、所作に隙が無さすぎる。一連の動作が無駄に綺麗だし、ホントーに育ちが良い神様って感じ。あと、さっきからお母さんのような匂いするけど、絶対この人から漂ってるよなぁ!)

 ――まず、キミカゲは表面上は真面目そうに振る舞っているものの、根は見た目相応の少年である。
 守り神になる以上、ずっと無邪気で子供のままというわけにもいかない為、ある程度節度を持って仕事をこなすのが、キミカゲにとっては精神衛生上良いのである。別に猫被っている訳ではなく、キミカゲにとっての守り神像を反映しているだけなのだ。
 だから、目の前にいるハミズはある意味、キミカゲにとって理想的な守り神像なのである。落ち着きがあり、しっかりしていて、神に相応しい所作や立ち振る舞いをよく知っている。
 ハミズは続ける。

「一応、先帝には君に会う前に謁見しておってのう。特に大した話はしておらんのじゃが、嘉仁親王が後をちゃんと引き継いだことを伝えたら、どこかホッとしておった」

 と、

「先帝の男系男子は嘉仁親王以外赤子のうちにお隠れになってしまってのぉ。奇跡的にも成人出来た嘉仁親王自身も身体が弱く、ワシらも心配しておったよ。特に先帝にとっては唯一育った男系男子故、ちょっと過保護になってしまうところもあったからのぉ」
「過保護って父親として? それとも、跡継ぎとして?」
「多分両方じゃないかのぉ」

 ハミズは苦笑し、

「まぁ、神の子であっても親子関係というのは切って離せないもんじゃ。それが皇族という立場なら尚更。ワシは気付いたらここに生まれてて、閻魔大王様に育てられていた故、この手の親子みたいなのはちょっと羨ましいと感じるかのぉ」
「……ボクも、ちょっと羨ましい、って思っちゃった」

 キミカゲはコク、と頷いた。

「生まれた時からずーっと守り神になるべく修行させられてきたし、何より親なんていなかったから。親じゃなくても兄弟とか、そういった肉親がいたら、また何か違ったのかなぁって思ったりします」
「守り神は数百年に一度、沙羅双樹の花の中から生まれる、本当に特殊な立ち位置じゃからのぉ。そう考えると、ある意味、ワシらは兄弟なんじゃろうなぁ」
「……」
(兄弟、かぁ)

 この人と自分が、と、キミカゲはまじまじとハミズの姿を見てしまう。
 ハミズと自分は一切似ても似つかないし、何よりも肝心の歳が盛大に離れている為、兄弟と言われてもなかなかしっくり来ないものがある。沙羅双樹から生まれた場合、血縁関係がどうなるのかよく分かってないが、少なくとも兄弟扱いにはならないだろうな、と思う。
 ただ、一方で、ハミズが肉親だと言ってくれるのであれば、それに甘えてみても良いかな、なんて思ったりもした。キミカゲは守り神になったと言えども、まだまだ甘えん坊で、青臭い一面がある。本人もそれを自覚しており、何とか隠し通すつもりだが、ハミズにはそれを隠さなくても良いような気もしてくるのだ。

 そのうち、頼んだコーヒーがこちらへと届けられ、2つ、テーブルの上に置かれた。
 2人がそれを頂こうとしたところで、後から入ってきた客が、噂をしながら入ってきた。

「現世で明治天皇の大喪の礼が始まったらしいけど、乃木将軍が自刃したって」
「奥さんも一緒だと聞いたけど、裕仁親王どうなるんだ? 教育係だったんだろう?」
「……!」

 ハミズはそれを聞いた瞬間、思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、動揺を隠せずにいた。
 確かに日露戦争後、彼は自刃しようとして明治天皇から「こちらが死んでからにしてほしい」とお願いされていたのは知っていたが、本当に実行するとは思ってもみなかったようだ。
 同時に、これは明日も結構な大仕事だと、ハミズは頭を抱えていた。

(乃木大将、肝心な時に死んでくれおって……!)

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