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負の感情を無かったことにしないで

スピリチュアルに目覚めようとしている人の中に
見られる傾向の一つ。

「負の感情を無かったことにする」ということを
今日は書いてみようと思う。

負の感情とは
「怒り」「悲しみ」「嫉妬」「恐怖」などのことを言う。

逆に正の感情はと言えば
「歓び」「愛おしさ」「楽しさ」「ワンネス」などだ。

一般的に、負の感情は波動が低く、
それらを持つこと、表現することは
スピリチュアルな生き方をする上でNGと思われている。

でも。本当にそうだろうか。

自分の内側に確かにある感情にフタをして
泣きたいほどに悲しいのにポーカーフェイスを
つくっているときほどアンバランスなときはない。

自分では負の感情を抑えているつもりでも
それは成功しているとは言い難い。

体の緊張にそれは出るし、オーラにだって表現される。
霊的な力が微弱な人だって、観察する力があれば
違和感に気付く。

本来の自分を認めることなく、
繕(つくろ)うこと。

これこそが『不一致』、『分離』の体験だ。

スピリチュアルな生き方をする人が目指す
「ワンネス」から最も遠い在り方である。

私の知り合いのKさんは
会うたびに別な色のオーラで登場する。

「こんにちは~」と笑顔でやってくるけれど、
オーラに嘘はつけない。

時に悲しみをオーラに映し出し、
時に激しい憎悪を持ち込んでくることもある。
もちろんKさん特有の、少し天然な楽しさを
まとってくることもある。

私の耳に入るKさんの評判は「ちょっと怖い」、
「瞬間湯沸かし器」、「何を考えているか分からない」。

自分に不一致な人はこんなふうに相手を不安にさせ、
混乱させる。

あなたがスピリチュアルな生き方を目指すのであれば、
『自己一致』していることが何より大切だ。
しかしながら、これは最も難しいことの一つだ。

でも一度そのゾーンに入ることができれば
むしろそこから出ることはできなくなる。
なぜなら、そこは非常に心地よいからだ。
「ワンネス」の世界だもの。

スピリチュアルな生き方は特別なことではない。
ときどき「フェスティバル」と言う人もいるけれど
私はむしろ「ケ」の日だと言う。
「ハレの日」でなく「ケの日」。
つまりごくごく日常であるってこと。

今、同じ空間に、3次元に住む人と
もう少し霊的に進んだ人とが混在していると言う。

最近ハヤリのスピリチュアルは、3次元にとどまらず
先へ進もうというのがうたい文句だ。

「先」というのは、3次元でなく4.5次元など、
いわゆる高次元のこと。

高次元に身を置くと、とにかく平和だ。
外側に起きていることに心を乱されない。
とは言え不測の事態だって起こるのが3次元のエネルギーが
残る今の地球だ。
そんな時、私は何が起きているのか自己分析する。
そしてどう在ろうかを決める。
時に守護霊や高次の存在たちにサポートを願うときもあれば、
好きなこと(たいていは料理だが)をして
クリエイティブな体験を通じてワンネスに戻っていく。
その手段に瞑想を選ぶ人もいるだろうし、
愛する人と一緒に過ごす穏やかな時間という人もいるだろう。

負の感情は、自分がいまどこに『在る』かを
探るヒントにもなる。

負の感情を無かったことにする必要は無いし、
総力をあげて、その感情や出来事から
無理やりポジティブな側面を探し出す必要も無い、と思う。

そうしたことは一見すると効果的で霊的成長を
進める上で後押ししてくれると思うかもしれないけれど、
前述のとおり『自己不一致』を強め、
『分離』に寄るだけだ。

私がスピリチュアルな生き方に気付いたのは、
ほんの15年程前のこと。

霊能力自体は生まれつきのものであるが、
能力の有無と高次元に生きるとはまったく別なチャネルの話。

私がスピリチュアルな生き方を選択したのは
自己肯定感が低く、人間関係に悩みを抱えていたからだ。
そのときある幸せに気付かず、
誰か(世間)が設定した幻の幸福を追い求め、
愛されることを拒否して埋まらない内側の欠乏を
外から満たそうと必死に頑張っていた会社員時代。
仕事が終われば美味しいお酒と料理を楽しみ、
海外旅行で気分転換し、買ったきり一度も着ていない
服にあふれた部屋で眠る。
週末はいろんな習い事に挑戦し、流行りのスポットには
いち早く出掛けるという一見するとアクティブで、
実は空虚な生活。

そこから出るきっかけになったのは心理学との出会いだ。

何がどうしてそうなったのか、
それは高次元からの導きとしか思えないのであるが、
ある講座を申し込んで受講の初日。
始まった講座に違和感。
間違えてヒプノセラピスト(催眠療法士)養成講座に
申し込んでいたことが判明。

それが心理学に触れる初めての体験。
そして私は心理学という学問の深奥に、
真理(=スピリチュアル=光)を見出すこととなった。

真理を知るにつれ、石膏の塊を体から剥がすように
自分の内側で眠り、早く外に出たがっていた
本来の自分<True Colors>に出逢うことになった。

そしてそこから急速に導かれて
作家としても活躍のスピリチュアルカウンセラー
並木良和氏と出会うことに繋がる。

負の体験や感情を出すことはネガティブだというけれど、
それはあくまで『出し方』と『聴いてもらう相手』に
よるだろう。

スピリチュアルなゾーンに生きている人は、
負の感情をうまく隠すことに長けているわけではなく、
ワンネスに在るからこそ、負の感情を体験していないだけ。

自分自身が優れた人間だとは思わないし、
等身大であるとしか言えないけれど、
カウンセリングをしているときに
目の前で涙を流すクライアントさんを見ていると
どこか懐かしく、かわいらしく、愛おしさを刹那的に感じる。

これがディセンション(アセンションの逆。次元下降)の
魅力なのかな、と思ったりもする。

自分のために泣いていい。
泣けるうちは。
美しいではないか、真珠の涙。
いずれアセンションしていけば、
その体験は遠い過去のものになる。
今、泣きたいから泣く。
その方が自己一致した姿だと思う。

スピリチュアルな生き方に苦行はいらない。
知識と体験、そしてトライ&エラーで積み重ねていけば
よいと思う。

それは長い道のりのようだけれども、
実は変容というのは一瞬でもたらされる。

時に変化が速すぎて、恐いと思うときもあったな。

そんな時は守護霊に
「ちょっと待って。少し時間がほしい」と願い出たものだ。

ラグビーで言うところの
「カモン、レフェリー!」みたいに。

今日言いたいのは、自分をだいじにしてほしいってこと。
自分の体も、心も、感情も。

それが一番の
スピリチュアルな生き方ではないでしょうか?




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