SNSを活用した自殺対策事業/自分自身の改善の経緯

 以前にも書いたような気がするが、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの代表の方が取材を受けた記事を読んだ。

 この方の考え方などについてたまたま知る機会があったが、自殺対策にここまで注力して行動を起こせること、その精神が素晴らしいと思った。こういう人が世の中にいてくれて良かった。現在SNSでの相談を行っていたり、その他ポータルサイト(この辺は関連組織がやっていることもあるのでどれがどれとは言えないが)などの事業もある。
 関連する下記のサイトでは、トップに書いているように、「「死にたい」という気持ちや「生きていても仕方ない」という思いを今私たちが生きる社会への警鐘であると捉え、同じような気持ちを持つ人たちが出会い、つながり、支え合えるようなコミュニティやネットワークを創っていくことを目的に「ネットの居場所」」として、機能している。

 その中で、生きづらさを感じる人が書く経験談のページがあり、ほとんどは現在進行系でつらい方がつらいことを書いているが、たまにましな精神状態になった方が経験を書いていて、希望を持てた。自分も誰かの参考になればいいなと思い、去年の10月くらいに投稿した。その頃、というか去年の4月から10月くらいまでは人生で一番といってもいいくらいましな期間だった。今読むと考えは違うだろうし、読むのも恥ずかしいので読まないが、投稿したときにスタッフの方が書いてくださる感想はとても良かったので、何回か見ている(それぞれの感想も経験談と一緒にサイトに掲載されている)。

感想1

投稿ありがとうございます。

あなたにとって、哲学や社会学などで他者が積み上げてきた思考に触れることが「閉塞的」だった視界を広げることにつながったこと、そしてそれからあなた自身が学びながら、いろいろなものを見聞きしながら考えてきたことが、丁寧に書かれている経験談だと感じました。

「わたしは人生のパケッケージがインストールされていない状態で生きていて、何もわからず、みんなが普通につかめることもつかめずに混沌としているのがつらかったのですが、」という表現がとても印象的で、同時にとても頷きながら読みました。

パッケージ化された「人生」みたいなものが、世の中に明確ではないにしろ存在しているような感覚を私も感じることがあります。それは相対的に強い力を持つ属性の人や、相対的に優位である人の中でしっくりくるように長い歴史の中で積み上げられてきたものなのではないかと思います。逆にいうと、想定されているのは一部の人なのだとも思います。それはさまざまな差別の歴史でも言えることかと思います。

そして、あまり強く疑問を持たないでいることが得意な人もいれば、そのまま周りに合わせていくことはむずかしいタイプの人もいると思います。


「そんなことでは他のところ(社会)でやっていけない」「休む人は甘えている」といった言説は、その人の置かれている状況の差異や、その人の抱えているものの負荷の差異に目を向けない暴力的な主張だと私は感じました。あなたは社会に多く存在するそのような言葉について、そしてそういう構造を持つ社会について、自分の視点で考えてきたのだろうと感じました。


「それから何年かかけて色々な本を読み始めましたが、長い文脈があってそういう思想があるとわかるような本質的な文に触れると、今まで支配されていた特定の人に都合の良い考え方から開放されて、社会の構造がわかるようになりました。」という部分にも経緯と理解の双方について賛同する気持ちを抱きました。あなたが書かれていたように本にも「平積みにして売り出されているようなもの」の他にもたくさんのものがあり、それも玉石混交であるのですが、他者が多くのことを考え積み上げてきた歴史に触れる一番着実な方法のひとつが読書であることは確かだと思います。

言葉や本というメディアの問題点や難しさもありつつも、そこに書かれているものがまた別の誰かの意識や理解を変化させ、次の知恵を編み出してきたことは、言葉の大きな可能性であると私は思います。そして死にトリの経験談もまた、そういう可能性のひとつだと私自身は捉えています。


話が戻ってしまうのですが、私は「人生のパッケージ」が窮屈であることがこの社会の大きな問題なのではないかと、あなたの文章を読んでいて感じました。それはもちろん、だからパッケージなんか何もない方がいいということには直結しません。それはバリエーションが増えていくべきということなのかもしれないし、そもそもその中に想定されているのが誰なのかをもっと意識すべきということもあるかもしれないと思います。


最後の段落にあった友達の「できることなら何も考えず幸せそうに生きている人みたいになりたかった」というあなた自身もそう思うと書いている感覚と、「そういった気持ちを味わったことのある人にしかできないことがある」という考えを読んで、その両方があなたの本心なのだろうと感じました。


感想2

とても丁寧な文章を送っていただき、ありがとうございました。また、このサイトを利用してくれていることもとても嬉しく思います。私も経験談を読むことが楽しみですし、感想を書くことは自分の感じることを見つめ直したり、価値観を広げる貴重な機会になっています。あなたの経験談を読んで、それと同じような気持ちなのかなと想像して、勝手に仲間のような気持ちになっています。

私は子どもの育ちについて学ぶ機会があるのですが、子ども自身の経験と、大人による子育ての二つが子どもの育ちに大きな影響を与えると理解しています。そのことは経験談を読んでもその通りだと思うことがたくさんありますし、実際にいろいろな人たちと関わることでそれを痛感しています。あなたの経験談を読んで、それに加えて情報化が進んだ今の時代は「大人の関わり」ということだけではなく、「どんな情報を得たか」という要素も大きく影響しているのかもしれないと思いました。子どもの経験の質が変わったと言ってもいいのかもしれません。高度に情報化が進んだ社会では実際に経験したことよりも、情報として頭に入ってくる方が多いかもしれないので、どんな情報を得るかは子どもの育ちに影響が大きいのだろうと思います。子どもはそれだけ環境によって左右される柔軟な存在なのだろうと思います。

また、同時にそうした影響を受けたとしても、何時からでも学んだり、経験をしたり、人や情報との出会いによって、変わることができることをあなたの経験談は教えてくれています。誰もが新しい情報を素直に受け取ったり、すんなりと学び直すことができるわけではないかもしれませんが、その人なりの力を発揮して、自分を変えることができると私は思っています。私はあなたが自分にとって必要な情報を吟味し取捨選択することができるようになった様子を読み取りましたが、どのようにして獲得していったのかそのプロセスが気になりました。

あなたはコミュニケーションが苦手だと書いていました。コミュニケーションは相手から受け取ることと自分から伝えることの相互作用です。私はあなたが苦手だと思っているのはおそらく伝える側のことだけであって、もう一方の周囲を観察したり、見極めたり、意味を考えたりという受ける側のコミュニケーションは得意なのではないかと感じています。受け取るのはとてもできるのに、伝えることが難しかったら、自覚としてはとても歯がゆく、コミュニケーションが苦手だと思っても無理はないと思いました。でも、あなたの経験談はとてもわかりやすく、まとまっていて、あなたの個性や存在感が詰まっていると感じました。自分なりの感じ方や考え方の力を感じました。だから、伝えるということも、その場ですぐに伝えられないだけで、じっくり考えることができたのならそんなに苦手ではないのではないかと感じました。(ただし、コミュニケーションは得意でも、苦手でもどちらでもいいと私は思っています。どうしても、苦手はダメで得意がいいという価値観があるのも良くないですね。得意不得意は誰にもありますし、それらはお互いに理解し合えることが大切だと思っています)。

誠実な経験談に触発されて、ちょっと分かりにくいことを書いてしまいましたが、率直なあなたの発信を読み、そこからもう少し議論を広げたり、対話で深めたくなり、こうして一人であれこれ考えてしまったことをお伝えします。最後の方に書いてくれた、つらい経験をしたり、深く物事を考えたことがあるからこそできることがあるのは本当にその通りだと思います。死にトリもそうした経験があるからこそできることがあると思い、社会参加の機会をつくっています。これからも、死にトリに限らずあなたの発信を待っています。

https://shinitori.net/story

 「それは相対的に強い力を持つ属性の人や、相対的に優位である人の中でしっくりくるように長い歴史の中で積み上げられてきたものなのではないかと思います。逆にいうと、想定されているのは一部の人なのだとも思います。それはさまざまな差別の歴史でも言えることかと思います。」というところや、
 「「どんな情報を得たか」という要素も大きく影響しているのかもしれないと思いました。子どもの経験の質が変わったと言ってもいいのかもしれません。高度に情報化が進んだ社会では実際に経験したことよりも、情報として頭に入ってくる方が多いかもしれないので、どんな情報を得るかは子どもの育ちに影響が大きいのだろうと思います。子どもはそれだけ環境によって左右される柔軟な存在なのだろうと思います。また、同時にそうした影響を受けたとしても、何時からでも学んだり、経験をしたり、人や情報との出会いによって、変わることができることをあなたの経験談は教えてくれています。」というところなど、たしかになと思った。どちらの方も言語化がめちゃくちゃうまいなと思った。

 今は頭が働かなくてほとんど何も考えられないが、この頂いた感想を読み返したり、冒頭で書いたNPO法人、他にもいろんな活動をしている団体のことを思うと、わたしもいつか何かやりたいなと思う。

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