抗うつ薬の影響か、ほとんど感情がない。多分5月くらいから薬を飲み始めたけど、3月くらいの時点ですでに以前は好きだったものを積極的に楽しめなくなった。以前は『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』を2年半くらい毎週聞いていて、楽しみにしていたが、聞けなくなった。お笑いを見ることがあれば楽しめるが、余暇にそれに時間を費やそうと思えなくなった。絵も描けない。以前は何か実際に行動を起こしてこの社会を変えなければならないという焦燥感からボランティアに参加することもあったが、そういった政治への情熱も消え去った。朝の通勤時には資格の勉強の動画を見て、帰りの電車ではラミーキューブ(ボードゲームの一種)をしている。何なら昼休みもしている。
新規の本を探す余裕がないので(そもそも何事にも関心を持てない、というのもあるが)、以前読んだ本を読み返している。『闘争領域の拡大』をたまにパラパラと読んでいる。買った当時(去年の秋)くらいからかなり気に入っていて、最も好きな小説のうちの一つだったが、今読むと今の状況や心情にぴったり当てはまるところが多くて読んでいて心地良い。
昨日、(朝銭湯に行って精神科に行って図書館にカードを作りに行った後)休日出勤したが、デバッグのやる気が起きなかった。ソフト作成と書類作成はできるが、デバッグのやる気が起きない。泣ける。「いくつもバグがあるらしい。僕は二時間バグを探す。しかしひとつも見つからない。僕は本当にぼんやりしている。」とあるが、よくわかる。でもそうは言ってられない。今日は休んで好きなことをして明日は気張って頑張ろうと思った。
「彼は話を大胆に一般化する」こういったことは精神科医に往々にしてあることだ。精神科医だけではない、そのへんの人でもやりがちなことだった。それに続く、「そういうこともあるかもしれない。でも、少し疑わしい。たとえば出張などの移動は、明らかに外から押し付けられたものだ。でも僕はあれこれ議論したくない。彼には理論がある。それはいいことだ。結局のところ、いつだって理論がある方がないよりはいい。」という、これに対する態度も今のわたしにはよく理解できる。許せる内容のことで自分と違う考え方の人を見たとき、真に理解し合えなかったとき、同じことを思う。
「 僕はいきなり泣き出した。」よくわかる。3,4年前は一人で作業しているときはたまに泣いていた。この辺りの描写でよく出てくるが、何かの拍子で突然意味もなく泣ける気持ちがよくわかる。
「鬱病というやつだ。 これで晴れて、僕は鬱病患者である。 ありがたい形式だと思う。 僕は自分が特に落ち込んでいるとは感じていない。むしろ周りが浮かれているように思う。」よくわかる。
「「この業界にいると、ときどき、ものすごいストレスがかかってくる......」
「えっ、それほどでもありませんよ」僕は言い返す。」とてもよくわかる。わたしもこの主人公と同じような業界にいるが、それほどでもない。筋違い。これを適当に同調せず、わざわざ反論するいかれ具合も好きだ。ディスコミュニケーション。
『闘争領域の拡大』はどの章も好きで、描写もいい。友達は「闘争領域つまらんやろ!残酷なだけや。地図と領土のほうがいいで!」といい、「闘争領域みたいな明るくておもろい本あったらおしえてほしい」と言うと、「闘争領域は暗くてつまらないやろ!」と言うが、わたしはそうは思わない。同僚のティスランが童貞だと告白するところや、冒頭の「十五分間、二人は陳腐な言葉をうだうだと並べた。彼女には好きな服を着る権利があるし、男の気を惹きたいとか全然そういうのじゃないし、ただ単にくつろげるから、好きだからそれを着ているんだし……云々。くだらない、滓の極み、フェミニズムの成れの果て。ある時、僕は大きな声で言ってみた。「くだらない、滓の極み、フェミニズムの成れの果て」しかし彼女たちには聞こえなかった。」のところも大好きだ。
でも、今一番好きな箇所は以下の文かもしれない。
犬がかわいい。