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世界史漫才11:曹操編

 苦:今回は後漢末期の武将・政治家の曹操(155~220年)、『三国志演義』の悪役です。『三国志』マニアが多いこの現代日本ではあまり取り上げたくない人物です。今の中国の総理は知らなくても900人を越える『三国志演義』の人名・馬名は知っている人たちもいますから。
 微:ジョン・ウーの『レッド・クリフ』も公開されたしな。でもいいじゃん、何万人いるかわからない郷土史マニア、考古学マニア、戦国時代マニア、明治維新マニアを相手にするより。
 苦:自称「漢王室の血を引く」劉備とか、「天候を自在に操った」諸葛孔明とか、もうパスしたいです。
 微:そんなことを言うと、マニアがネットから攻撃してくるぞ。あいつら『三国無双』のためにぶっとい回線にしてるから、平気で重いウィルスでも迷惑メールでも送ってくるぞ。
 苦:諸葛孔明の扇から放たれるビーム砲で焼いてほしいですね。
 微:オマエ、自分もゲームやってるだろ! ボケ役にツッコミをさせるな!
 苦:曹操ですが、後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作りました。自身は魏皇帝になってはいないものの、廟号は太祖、後世に魏の武帝とも呼ばれます。
 微:李氏朝鮮のトムヤンクンじゃない、大院君みたいなもんだな。
 苦:曹操は宦官の養子で、若い頃は放蕩を好み、世評は芳しくありませんでした。
 微:それでお忍びで山梨に行ってたんだな、庶民的だな。
 苦:無理にボケなくていいから。まだカボチャは存在しないので、そんな料理ありません。ただ大尉の橋玄は曹操を高く評価し、有名な後漢の人物鑑定家の許子將を紹介します。
 微:さしづめ、「トンデモ鑑定団」だな。
 苦:その許子將から曹操は「子治世之能臣亂世之奸雄」(治世の能臣、乱世の奸雄)と評されました。
 微:ワタシは風邪で頭が痛いとき、薬局で『頭痛にノーシン』を差し出されました。」
 苦:こっちの頭が痛いよ! 184年に黄巾の乱が起こると、騎都尉として討伐に向かい、その功績で済南の相に任命されます。現地で汚職官吏を罷免し、淫祠邪教を禁止して平穏な社会を実現します。
 微:有能じゃないか、曹操。
 苦:さて、当時、10人の宦官「十常侍」が後漢宮廷の実権を握ってましたが、何進の檄文が発端となって189年に袁紹と袁術が宦官を皆殺しにしました。しかし、その檄文にいち早く反応した董卓が洛陽に上洛し、少帝弁を廃して献帝を立て、宮廷を牛耳るようになります。
 微:ついに登場したか、董卓。ハーゴンを倒したらラスボスが出てくる感じだな。
 苦:董卓の仲間に入れられそうになった曹操は洛陽から脱出し、故郷に帰ります。この帰郷の際に起きた呂伯奢一族殺害事件が『三国志演義』での曹操の悪役のイメージを決定付ける逸話になっています。
 微:いや、実際に「忠」を体現しているよな。少し力業も多いけど。
 苦:ここから呂布やら色々な連中が入り乱れ、同盟や裏切りを繰り返して、10年経たない間に208年の赤壁の戦い、そうジョン・ウー監督の『レッド・クリフ』の世界になります。
 微:おいおい、話を端折りすぎてないか。
 苦:いいんです。主だったところだけ、解説すると、196年に逃げてきた献帝を自らの本拠である許昌に迎え入れ、曹操は司空・車騎将軍に任命されます。
 微:明治維新も”玉”を握った側が官軍になったわけだし。司空って何だ? 既に空軍があったのか?
 苦:いい質問です。周では監獄や土木工事を担当した役職、つまり強制労働や人民徴発担当です。今で言う行政権を手に入れたと思えばいいでしょう。200年に官渡の戦いで最大の敵袁紹を破って華北の統一にあと一歩に迫り、204年に袁氏の本拠冀州の鄴を攻め落とし、ここに本拠地を移します。
 微:まさに明治維新の東京遷都!
 苦:205年には張燕が十数万人の軍勢とともに降伏し、207年には袁氏に味方した烏丸(うがん)族20数万人を降伏させました。袁氏一族を滅ぼし、曹操の勢力は圧倒的なものとなります。残るは荊州の劉表、江東の孫権、寄る辺の無い劉備だけとなり、自ら丞相となり天下統一への道を固めます。
 微:それで『レッド・クリフ』の吹き替えでは「丞相」と呼びかけられるんだな。
 苦:208年の冬、曹操は15万の軍を南下させ、劉表の後を継いだ劉琮を降し、長江を下って孫権領へ攻め込もうとします。劉備は荊州を放棄して住民を見殺しにします。そして舞台は赤壁へ移ります。
 微:ホント、劉備こそ悪役というか、脇役だよな。息子もバカだし。
 苦:諸葛孔明の七光りですね、「彼が仕えたんだから大人物だろう」と。しかし呉征服を目的とした赤壁の戦いで孫権軍の周瑜の家来黄蓋の策略に引っかかって曹操軍の軍船は火攻めに遭うわ、疫病に悩まされるわで撤退を余儀なくされました。
 微:武漢から謎のウィルスが蔓延したのに、それを公表しなかったんだな。
 苦:それは2020年の話で、ゼロが1つ多いよ! 天下は265年の晋による統一まで魏・呉・蜀の三国分立で安定してしまいます。
 微:そうでないと三国志にならないわな。
 苦:なお、晋の建国者司馬炎は「死せる孔明生ける仲達を走らす」の司馬仲達の孫です。
 微:さしづめ、今の日本は「生ける公明党、死せる自民党を給付金と休業協力金で走らす」だな。
 苦:これこれ、論評程度にとどめなさい。その赤壁の戦いですが、史書によって異同があります。一致している点で大事なのは、孫権陣営を開戦に説得したのは都督周瑜であること、劉備は諸葛亮を使者として派遣して孫権と同盟を結んだこと、孫権は周瑜・程普ら数万の水軍を劉備の救援に派遣したこと、周瑜らは赤壁で曹操軍を撃破したことで、MVPは周瑜です。
 微:郵政民営化反対という一点で一致した野党とはえらい違いだな。
 苦:クライマックスの火攻めですが、周瑜の部将の黄蓋が曹操軍の船団が互いに密集していることに注目して火攻めの策を進言したこと、そして自ら曹軍に対し偽りの降伏をして曹操軍を油断させたところを油をかけ薪を満載した船に火を放ち敵船に接近させたこと、折からの強風にあおられて曹操の船団は燃え上がったこと、以上3点も一致しています。
 微:諸葛孔明が超能力で風を起こしたのではないと。ただ送風機を使っただけだと。
 苦:そんなものないよ! 『呉書』周瑜伝の注に引かれた「江表伝」は周瑜らは渡渉し陸上から曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走したと書かれています。『蜀書』先主(劉備)伝は、「劉備は孫権陣営の周瑜・程普らと力を合わせ、赤壁で曹操を大いに破り、曹操軍の軍船を燃やした」と書き、『魏書』武帝(曹操)紀の原書には、「公(曹操)は赤壁に到着し、劉備と戦うが、不利」としか書かれていません。
 微:中国の正史がいかに王朝側の都合で書き換えられるか、よくわかるな。これをアベちゃんも参考にして財務省公文書を改竄させたんだな。
 苦:アソウ閣下の時代に公文書管理法で作成・保存が徹底されたはずですけどね。なお、『三国志演義』はあくまで読み物です。当然ながら、周瑜が諸葛亮にわざと「10万本の矢を集めて欲しい」と難題を与え、諸葛亮が夜霧に乗じて船を出し、曹操軍から10万本の矢を船に射掛けさせて矢を回収した話もウソです。火攻めの問題だった、その時期には吹かない東南の風を諸葛亮が祭壇を作って祈祷して吹かせた話もウソです。
 微:どこでも有名人には捏造された伝説はくっつくもんな。聖徳太子の八人の人の話を聞いた伝説、義経と弁慶の五条大橋の戦いの話、一ヶ月一万円で生活する伝説。
 苦:最後のはテレビの企画だよ! 赤壁の古戦場と伝えられる場所は、長江・漢水沿いに数カ所存在します。確定していないんです。有名なのは北宋の文人蘇軾が名作「赤壁の賦」を書いた岸壁ですが、明らかに間違ってます。ですが一番有名で困ったもんです。
 微:偽物とわかっているのに名所とは、さすがパチモン天国にして著作権の無法地帯の中国!
 苦:さて、赤壁で敗れて撤退した後の曹操ですが、213年に魏公、216年に魏王に封じられ、後漢皇帝が治める帝国内の一藩国という形で魏を建国します。漢王朝が国教としていた儒教道徳に従い、董卓の死後に行方不明になっていた献帝を探し出して保護したのは曹操だけで、それに献帝も報いたと。
 微:実は曹操が最初から拉致・監禁してたりして。
 苦:んなわけねえよ! 一方、漢王室の血を引くと自称していた劉備は一族のことを放置したままです。
 微:確かに。献帝が生きていたら、自分が皇帝になれないもんな、劉備は。
 苦:まさにその通りで、献帝の承認のもとに魏国を建て、そして禅譲によって新しい王朝を開いたものの、自身は帝位に就かなかった曹操の振る舞いこそ、儒教の大義名分論にもっとも適った行動なのです。
 微:劉備は住民ほっといて逃げるか、親戚を殺して国を奪うかしかやってないもんな。
 苦:そして曹操は220年に病のため亡くなりますが、政治家としての曹操は明らかに名君です。農政では黄巾の乱で荒れ果てた華北を屯田制で再開発し、この政策により曹操軍は食料に事欠かないようになり、各地の食い詰めた民衆達を大量に集める事もできました。
 微:ニュースでは”年越し覇権村”と紹介されたそうです。
 苦:無視無視。曹操は『孫子』に注釈できるくらい、当代屈指の優れた戦略家・軍略家でもあり、軍の統率にも大いに長けた稀代の名将の一人と言えるでしょう。特に曹操が袁紹・呂布・袁術らと比べ明かに勝っていたのは、部下の進言・献策を的確に見極めて取捨選択し、利己心無しに受け入れる能力と、人材登用の適材適所をわきまえていたことです。
 微:アベもガースーもそれに似たこと言ってたな。
 苦:『三国志演義』の影響で悪役イメージの強い曹操ですが、1950年代以降からは急速に再評価が進んでいます。近代の中国においては、思想的な枠組みを超えて合理性を追求した曹操が、多くの知識人によって再評価されました。特に毛沢東は再評価を盛り上げ、文化大革命の時の批林批孔運動でも、曹操は反儒教の人物として肯定されています。
 微:しかし便乗して曹操を持ち上げた人間を殺していくという、毛の策略っぽいな、その話。
 苦:それでも、ただの悪役から「多少味のある悪役」に評価を変えてきた程度で、圧倒的大多数は劉備を心情的に支持していることは変わりがありません。個人的見解ですが、実力と権謀術数でのし上がった曹操は、中国人にとって毛沢東と中国共産党と同じものとして扱われている気がしています。
 微:それで能力は怪しいけど親愛なる将軍様の三男は100%の支持を得ているのか。
 苦:大統領が罰ゲーム化している韓国の方が民主化が進んでいるのも困ったことなんですが。

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