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微苦笑問題の哲学漫才12:カント編

 微:今回は「ドイツ観念論哲学の祖」イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724~1804年)です。
 苦:キミ、ドイツ語の原文読めた? 日本語訳も読んだ? 自慢じゃないけど、オレには無理だった。
 微:似たようなもんです。でも責任果たしますね。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、認識論における自称「コペルニクス的転回」をもたらしました。
 苦:自称「ギタリスト」=無職の路上ミュージシャンみたいなもんか?
 微:そんな自意識過剰なバカと一緒にしてはいけません。
 苦:ああ、頭の中で「♪ネットで探せるエイブル~ 」がリフレインする。止まらない・・・
 微:オマエは松任谷由実か! カントの両親は、彼をエマヌエルと名づけたんですが、ヘブライ語の知識からイマヌエルと自ら改名しました。「イマヌエル」が「神とともにあり」を意味するからです。
 苦:本当はシルヴィア・クリステルと混同されるのを避けたかったんだろ。
 微:時間の順序が逆だよ! さて、カントは規則正しい生活習慣で知られていました。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したというエピソードはもう紹介しました。
 苦:『時計じかけのオレンジ』ならぬ『時計じかけのオジン』だな。
 微:面白くないです(キッパリ!!)。カントは早朝に起床して少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行い、帰宅すると決まった道筋を決まった時間に散歩しました。
 苦:それが京都の北白川にある「哲学の道」だな。
 微:ケーニヒスベルクの話だろ! そうは言っても、若い頃は友人と夜中まで飲み歩くもあり、この規則正しさは年を取って生活が単調になった結果ではないか、とも言われています。
 苦:一歩間違うとケーニヒスベルクの回遊魚か徘徊老人だな。
 微:1804年に逝去したのですが、確かに晩年は老衰による身体衰弱に加えて老人性認知症が進行していたのも事実で、膨大なメモや草稿が残ったのですが、著作としてまとめることは不可能でした。
 苦:それを継承したのが同じドイツのカール・マルクスです。
 微:まあ、そうでないと思想家ではないかも。カントの生まれたケーニヒスベルクは第2次世界大戦後、ソ連領の飛び地となりました。現在もロシア領カリーニングラード市で、ドイツではありません。
 苦:「ロシアの尖閣諸島」「ドイツの魚釣島」と呼ばれてるんだよね。
 微:そんなこと言ってるのはオマエくらいだよ! 1740年にはケーニヒスベルク大学に入学しますが、ニュートンらによって発展を遂げつつあった自然学に関心が向かいました。
 苦:たぶん、変数eが壁となって途中で「文転」したんだな※。(※執筆者の実話です)
 微:それは自分のことだろ!1746年、父の死去にともない大学を去ります。学内の文書に学位授受についての記録が残っていないことなどから、正式な卒業ではなく中途退学に近いものであったようです。
 苦:中退者の方が成功する早稲田大学もあるから、同じタイプの大学なんだろ。
 微:卒業後の7年間はカントにとっては苦しい時期で、家庭教師を掛け持ちして生計を立てていました。
 苦:生活のために大学の非常勤講師をかけもちしているオーバードクターたちと同じような境遇だな。
 微:それは文科省の政策で大学院大学化するという愚作を大学側が犯した結果です。1755年に、カントはケーニヒスベルク大学哲学部に学位論文『火について』を提出し、マイスターの学位を取得します。
 苦:キャンプ場で初心者へのやさしい指導で人気者だったそうです。
 微:ひろしかよ!! 同年9月に就職資格論文『形而上学的認識の第一原理の新しい解釈』で公開討議をおこない、冬学期より同大学の私講師として職業的哲学者の生活に入りました。
 苦:無職を「詩人」と誤魔化すようなもんだな。(※レンタルビデオの会員登録時の筆者実体験です)
 微:ただ私講師というのは大学から給与は支払われず、聴講生からの聴講料しか収入はありません。
 苦:つまり投げ銭生活だな。Youtubeもない時代に。
 微:ちなみに、若き日のショーペンハウエルがベルリン大学の私講師となって、敢えてヘーゲルの講義とぶつけて講義をしましたが、あえなく敗れています。
 苦:若さゆえの過ちだな。
 微:そしてようやく1770年にケーニヒスベルク大学哲学教授に就任します。カント46歳の時でした。
 苦:デビュー20周年記念で紅白に出場できた演歌歌手みたいな悲しさを感じるな。
 微:カントはブレイクしたから全然違うんです。「あなたとは違うんです」を指さしたそうです。
 苦:それはこっちのセリフだろ! 読者が混乱するじゃねえか!
 微:大学教授としてのカントは、元々は自然科学の人間なので、地理学、自然学、人間学など様々な講義を担当しながらも穏やかな学者生活を送っていました。
 苦:ユーティリティー・プレイヤーとして重宝されたんだな。
 微:ですがあの『純粋理性批判』の出版で劇的に変わり、カントは一気にドイツ哲学界の喧騒にみちた論争の渦中に入りこんだのです。
 苦:ドッキリでいきなり歌舞伎町に放り出され、それが生中継されました。
 微:「テラスハウス」かよ!! 『純粋理性批判』はその難解さと斬新な思想のために同時代の読者に正しく理解されず、さまざまな議論が起こりました。
 苦:実はそこはウォール街の株式取引所で、誰もデリヴァティヴ取引を理解できなかったそうです。
 微:あれも難しいけど、株から離れろ!
 苦:いや、株価が本来の価格を反映するようになったら、日本もアメリカもえらいことになるしな。
 微:年金が心配です。カントは小著『プロレゴーメナ』を出版して自身の哲学的立場を明らかにするとともに、『純粋理性批判』第2版からは前半部の超越論的演繹論を改稿しています。
 苦:恥ずかしくなって「告白」的部分を削除したんだな。
 微:カントの当初の構想では、『純粋理性批判』は単独でその批判の全貌を示すものになるはずでしたが、構想の大きさと時間の制約により理論哲学の部分のみを出版したものです。
 苦:日本のアニメで言うと、「人類補完計画」みたいな「畳むのが不可能な大風呂敷」だったわけだ。
 微:エヴァ・オタクに喧嘩を売るんじゃないよ! 残りの「実践哲学」と「美と趣味の批判」は後に『実践理性批判』と『判断力批判』として出版されますが、本題のコペルニクス的転回に入りますね。
 苦:追及をかわすために、地球にあるローマ教皇庁を中心に世界は動いていると言い訳したんだろ?
 微:それは皮肉としては優秀ですが、哲学的には無意味です。「コペルニクス的転回」とは、人間の認識は外部にある対象を受け入れるものだという従来の哲学の常識に対し、カントは人間は物自体を認識することはできず、人間の認識が現象を構成するのだと説きました。
 苦:???
 微:事物そのものは人間の認識の中にはありません。事物は悟性の機能によって「これは○○である」と認識内において現前(represent)します。そしてたいていは一致します。
 苦:それでも、たまにマナカナの区別が付かない時があって混乱するわ。
 微:みんなそうだよ!! ピカソの作品とモデルの女性との関係を思い出してもらいましょうか。対象である事物とピカソの認識の再現前(representative)である作品の差。
 苦:なるほど、それはわかりやすい。
 微:あるいは、民度も文化度も高いはずの宝塚市にけったいな首長が当選しつづけた過去というか。
 苦:つまり人間は議員や首長の適格性の判断を誤る動物であり、同じ物を見ても見え方は別だと。
 微:ここから、人間の認識自体を問う近代的な認識論が成立したのです。なお、比喩的に「コペルニクス的転回」は物事の見方が180度変わってしまうような場合にも使われますが、現代ではクーンの「パラダイム転換」と同じような意味でいいでしょう。
 苦:「一発屋」のクーンか。まあ、ソクラテスの「アレテー」に始まり、フッサールは「エポケー」、デリダが「脱構築(ディスコントラクション)」と、西洋哲学史は一発屋の歴史でもあるよな。
 微:「一発屋」でも名前が残ればいいんです。「平成」の元号掲示、「あなたとは違うんです」より遙かにマシです。で、今回も話題は認識論一本に絞りますね。
 苦:さしずめキミは一本屋だな、ネタ不足で。
 微:はい、正直言って難しく、「なんでそこまで追求するんだ!」って叫びたいです。なぜ、ドイツ人はあそこまで粘着質なんですかね。同じ高緯度でもスウェーデンなんて下ネタに走っているのに。
 苦:それは北欧は夜がやたら長い上に、外は寒いし、人口密度が低いから議論よりもそっちなんだよ。
 微:妙に納得しちゃいますね、その説明。さて、辞書的ですが、『純粋理性批判』は人間の理性が担う諸問題についての古典的名著だそうです。
 苦:キミも苦しいんだな。
 微:ライプニッツなどの存在論的形而上学と、ヒュームの認識論的懐疑論の両方を継承し、かつ批判的に乗り越えた西洋哲学史上最も重要な著作の一つです。
 苦:はいはい、お約束ですね。
 微:カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリ=先験的にそなわっていて、感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性などの12種の純粋悟性概念(カテゴリー)が含まれることになります。詳しくは直接自分で読んでね。
 苦:丸投げしないでくれー。できないからコンビを組んでるんだから。
 微:カントは、理性がそれ独自の原理に従って事物を認識すると考えるが、その原理は経験に先立って理性に内在的なものであり、理性自身はその起源を示すことが出来ず、またこの原則を逸脱して自らの能力を行使することもできないと考えました。
 苦:???
 微:すなわち「認識」という機能を担うとされる理性そのものは、理性からは認識できる範囲外にあることを哲学の原点としたんです。
 苦:???
 微:ウィトゲンシュタイン的に換言すれば、「言語は語り得る以上のことは語り得ない」のと同様に、経験は経験以上を知り得る事ができず、原理は原理に含まれる事以上を知り得ないのです。
 苦:自分の成功体験を普遍化する和田秀樹批判か?
 微:学歴バカは関係ないです。カントは理性が関連する原則の起源を、経験に先立つアプリオリ=先験的な認識として、経験を基礎とせず成立し、かつ経験のアプリオリな制約である超越論的な認識形式に求めました。というか求めざるを得ないところまで考え抜いたんです。
 苦:力石徹の減量エピソードに匹敵するな。
 微:しかしこれは一方で、人間理性が、われわれの認識能力を越えるものに、認識能力を適用することができないということを意味します。キミは神に出会ったことがありますか? もし出会ったとして、それが神であるという確信や認識の根拠はどこにあると思いますか?
 苦:自称「神」は見たことがあるなあ。それと貧乏神なら家に住み着いていると確信できるぞ。
 微:カントはすべての人間的認識は超越論的制約のもとにおかれており、ゆえに伝統的に考えられてきた直接知、知的直観の可能性を否定します。
 苦:これを禅宗の人が聞いたら、どう反論するのか? 鈴木大拙は何か言ってた?
 微:そこまで手が回っていません。正直に告白します。ただ、繰り返すと、神やイデアといった超越的なものも人間理性にとって認識可能である、とした伝統的な形而上学を否定したのです。
 苦:では、『旧約聖書』に出てくる何人もの預言者はどうなるんだ? あ、奇蹟があるか。
 微:ですが理性にはおのれの認識を拡大し、超越的なもの、自由や善悪のような価値を把握しようとする形而上学への本性的素質が「生まれながらにあり」「そういうこと」にしないと価値と道徳の実践がつながらないのです。
 苦:よくわからんけど、そういうふうにできている、と。
 微:まあ、孟子の「四端の心」みたいなもんです。しかしカントは理性の認識可能対象の拡大へのこの欲求を「理性の僭越」として批判し、認識(recognize)されえないものは、ただ思惟(think)することのみが可能であるとしました。
 苦:さっきからキミの言っている先験的とかアプリオリがわかんないんだけど?
 微:それこそ「超越論的認識不足」ですね、しかもアプリオリに理解可能性を否定している(笑)。

作者の補足と言い訳
 ソクラテスとは違った意味で「近所にいて欲しくない人ランク」上位に入ります。独身だったのも賢明な選択だと思えます。またカントに褒められるような人、「人格者」はこの世に存在したのでしょうか。あるいは父の罪を庇う子を擁護する孔子との論戦を「同時通訳ライブ」で見てみたいので、○福の科学の○川さん、どうでもいい人間の魂を憑依させないで、ぜひこのドリームマッチをやって下さい。そうすれば、幸○実現答からも国政選挙で当選者が出ると思います。
 カントについて感慨めいたものは正直言って浮かびませんが、彼の認識を巡る議論は、素晴らしいと思います。その厳密さと理性の限界をどこまで設定し得たのか、は素人の筆者には判定できません。しかし、再び認識を巡る議論は「主観」「表象」を主題にせざるを得なくなったのであり、間主観的共同性の問題はウィトゲンシュタインの言語分析につながっていきます。
 ただ、日本ではドイツ観念論哲学の業界用語は、西田幾多郎も絡んで「厳密さを失わないための術語」と、禅宗関係の「語り得ぬものを語る」”隔靴掻痒”的難解語が混在しており、さらにそこにマルクス主義の業界用語も重なっているため、近づきにくいままです。岩波文庫の翻訳もしんどいですよね、理解するのが(ワタシがヴァカなだけだと思いますが)。
 どなたでもけっこうですので、日本の大学で哲学を教えて給料をもらっているセンセイ、もう少し近づきやすい翻訳や解説本を出してくれないでしょうか。レッドデータ・ブックに「哲学者」「哲学科」が登録される日は近いと思います。

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