見出し画像

世界史漫才再構築版35:シェイクスピア編

世界史漫才再構築版35:シェイクスピア編
 微苦:ども、微苦笑問題です。
 苦:今回はイギリスの戯曲作家・文豪ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare,1564~1616年)です。
 微:「言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得する。」
 苦:いきなりシェイクスピア名言の引用かよ!
 微:お主、できるな。それでオマエは授業中によく詰まるんだな。
 苦:そんなことはありません、たまにです。話をもどしますと、シェイクスピアはエリザベス朝演劇の代表的な作家で、彼の文章が近代英文法の土台になったとまで言われています。
 微:「習慣も大事だが、なかには守るより破ったほうがいいものもある。」
 苦:また引用かよ。最も優れた英文学の作家とも言われています。昔は文学部の英文科には必ず一人はシェイクスピアの教授がいました。
 微:いたいた、だいたいがじいさんだったな。毎年同じ授業をしていて。確か講義ノートの表紙には”1592年作成”って書いてあったぞ。
 苦:それじゃシェイクスピア本人だろ! 1592~1612年にかけての約20年間に劇作家として活躍し、四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』が有名です。
 微:ウォシュレットもなく、デズデモーナのような彼女がいるリア充でもなく、その上ネスレのインスタントコーヒー「プレジデント」も飲んでないキミにはダメージの大きいラインナップだな。
 苦:うるせえよ! また、昭和50年代の古いCMを。
 微:そこは「うっせーわ」と返さないと。最初見た時、「マクベスの子孫はインスタントコーヒーしか飲めないくらい没落したのか・・・」と悲しかったな。
 苦:そんな誤解するのはオマエくらいだよ。また『ロミオとジュリエット』、『ヴェニスの商人』、『夏の夜の夢』、『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残しました。
 微:昔、没落後の『少年チャンピオン』の「七色いんこ」で見たわ。ヤンキー度が突き抜ける前。
 苦:36の戯曲が彼の死の直後に全集として出版されています。今、吉田鋼太郎一座が全幕上演あと少しまで来ています。
 微:「険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である」だな。
 苦:ただ、活動期間から本当に一人で書いたのか、ずっと作者複数説が存在します。
 微:36個か、花登筺先生には負けてまんな。先生は新幹線の中でも画板を首からぶら下げて脚本を書いていたくらいですからな。そりゃ仕事に賭ける姿勢というか執念が違います。
 苦:レベルが違いすぎるだろ! そっちは乱作家、こっちはイギリスの文豪です。
 微:オマエが威張ることじゃねえだろ。大学1年の英語の授業で福田恆存の訳で逃げたくせに。
 苦:しかも、シェイクスピアの人間観察眼と内面の心理描写は、19~20世紀の心理学・精神分析学を先取りしたとも言えるくらいすごいです。
 微:大阪人に対する観察力とゼニに絡んだ心理描写で花登筺先生の上を行く人はいてません。
 苦:キミは香川登志緒か! いつの間にか上方芸能史に話が変わっとるやないか! もうええわ、と言ったら終わりませんので話を戻します。シェイクスピア戯曲は「名言のデパート」状態です。
 微:その伝で言うと、森喜朗は失言の総合商社だな。
 苦:「愚者は己を賢いと思うが、賢者は己が愚かなことを知っている」と返しておきます。
 微:そっちより「運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ」の方が適切だと思う。
 苦:戻しますね。後代の人も名言も、それらをアレンジしたものが多いです。スマイルズの「天は自ら助くる者を助けく」は、「天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない」の二次利用です。
 微:スペインのファナ女王やテューダー朝末期の姉妹の軋轢を見て「次女、狂女、公女」って的確に言い表しているしな。
 苦:それはスガーリンの「自助、共助、公助」だろ、原稿さえまともに開けない。
 微:そうだったか、「安心安全」呪文で頭がおかしくなっていたわ。
 苦:ロックのネタではレッド・ツェッペリンの『天国への階段』の一節「彼女は光輝くものすべてを黄金と思っている」は「輝くもの、必ずしも金ならず」を踏まえています。
 微:ガンオタのセリフ引用とはレベルが違うな。「坊やだからさ」「大佐、邪魔です!」とかな。
 苦:今の私には「これが若さか」が重く響きます。さて話を戻すと、シェイクスピアはストラトフォードの中心にあったグラマー・スクールに通っていた推定されています。
 微:家庭教師を雇えるほどではない、という意味だな。まあ、公教育は19世紀末からだし。
 苦:エリザベス朝時代のグラマー・スクールは学校ごとに教育水準の高低差はかなりありました。
 微:今も昔も学校間格差、学力格差はあったんだな。で、グラマー・スクールって何だ? モデル養成学校?
上に、今でも世界各地でシェイクスピア劇は上演されてます。
 苦:そういうコテコテのオヤジギャグはいいの、もう! 基本はラテン語を習う学校です。
 微:教授陣はチャラいイタリア人ばかりだったそうです。
 苦:それはラテン系! シェイクスピアが通った学校はラテン語文法や文学について集中学習が行なわれており、講義の一環として学生たちはラテン演劇というきつい洗礼を受けていました。
 微:死語の学習だけに、私語が絶えなかっただろうな。
 苦:それはキミの授業です。さて、卒業後しばらくして、1582年に18歳のシェイクスピアは26歳の女性アン・ハサウェイと結婚します。
 微:普通、逆だろ。日本だったら、教科は言いませんが、教師が在学中に目を付けた生徒と結婚するとこれくらいの年齢差だよな。「イングランドのマクロン」と呼ばれてるんだろ?
 苦:そのネタもう聞き飽きたよ!! 「ぼんやりしている心にこそ恋の魔力が忍び込む」です。実は婚約成立の時、既にアンは妊娠3ヶ月だったため、式を急ぐ必要があったようです。
 微:デキ婚かよ。これこそまさに「若さゆえの過ち」だな。
 苦:しつこいよ!! なお、結婚後、ロンドンの演劇界に名を知られるようになるまでの数年間については記録がほとんど残っていません。
 微:財務省が計画的に大型シュレッダーを予約して処分したそうです。
 苦:最初から議事録作製を予定していなかったかもね。それにしても同時代の証言がないのが不思議です。自宅に籠もっていたんでしょうか。
 微:育休を取ってたんだろ。衆議院議員同士で結婚して、育休中に浮気したバカがいたよな。
 苦:宮崎ですね。まあ、公務出張で参議院議員今井と不倫密会した神戸市議会議員もいました。
 微:浮気者、汝の名は瀬戸大也なり!
 苦:もう、そっとしといてやれよ!! それは『ハムレット』の「弱き者よ、汝の名は女なり」が正しいよ! メダルのがしたけど、復帰したんだからそっとしといてやれよ。
 微:今井に戻すと、元アイドルとか女子アナに執着する人、「トロフィー・ワイフ」好きは一定の率で存在するな。逆に元アイドルから動くと自称サーファーとか入墨師とか自滅パターン。
 苦:何の分析してるんだよ。ストラトフォードからロンドンへ移った理由も一切不明なので、シェイクスピア研究者の間では「失われた年月」と呼ばれているそうです。
 微:私の妻の結婚前の年金記録がすべて消えていたのと同じだな。
 苦:全然意味が違うよ! それは社会保険庁のミス、こっちが言っているのは研究上の空白の時間。
 微:その"lost"って「失われた」ではなくて「道を見失った」の意味じゃないのか?
 苦:1920年代のアメリカ、フィッツジェラルドに代表される本家「ロスジェネ」はそうですね。
 微:日本の第2次ベビーブーム世代は「奪われた世代」と訳した方がいいぞ。
 苦:シェイクスピアがロンドンへ移った当時、エリザベス朝演劇の興隆に伴って、劇場や劇団が次々と設立されていました。演劇バブルとでも言えるでしょう。
 微:そこを新型感染症が襲って自粛を強要されたんだな。
 苦:それは2020年の世界中です。そんな中、シェイクスピアは俳優として活動するかたわら次第に脚本を書くようになり、両分野で注目されるようになりました。
 微:日本の1980年代だな。野田秀樹や三宅裕司が劇作家・俳優として活躍するわ、山海塾みたいな白塗り無言劇が出てくるわ、パナウェーブのようなぐるぐる白塗り集団がでてくるわ、と。
 苦:最後は失禁教祖を崇める謎の新興宗教だろが! 話を再び戻すと、1594年の終わりごろ、俳優兼劇作家シェイクスピアは宮内大臣一座として知られる劇団の共同所有者になっていました。
 微:宮内とオリックスグループを批判しない密約を交わしたそうです。
 苦:21世紀じゃねえよ!! どういう手練れを使ったのかわかりませんが、大臣の人気取りを請け負ったのでしょう。当時の劇団の名称はスポンサー貴族の名前が付けられますので、一目瞭然です。
 微:ナベツネ・ジャイアンツみたいなもんか。
 苦:実態はそうでも、名称としてそんな球団はありません。その劇団の本拠地でもあった劇場グローブ座の共同株主にもなっています。
 微:ネーミングライツ商法はこの頃からあったのか。しかしZOZOタウンスタジアムは恥ずかしい。オーナーが金持ちなだけのいかがわしいオッサンだから余計にに恥ずかしい。
 苦:剛力が困るだろ。しかも、1603年にジェームズ1世が即位した際、新国王が自らパトロンとなり、「国王一座」へと改称するほど、シェイクスピアの劇団の人気は高まっていました。
 微:「それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない。」
 苦:また引用かよ。1612年頃にシェイクスピアは演劇界から事実上手を引き、1613年に故郷ストラトフォードへ引退したと見られています。
 微:月影先生みたいに、自分の理想とする劇団の担い手になれる子どもを探していたりしてな。
 苦:果たして北島マヤは見つかったんかいな。そして1616年4月23日にシェイクスピアは52歳で没しました。死因は腐りきったニシンから伝染した感染症らしいですが、詳しいことは不明です。
 微:それを自分から食べたのか、奥さんに食べさせられたのかで意味が180度変わるぞ。
 苦:「いかに美しいものでも行為によっては醜怪になる。腐った百合は雑草よりひどい臭いを天地に放つ」と自分で言っておきながら。
 微:かなりのケチというか吝嗇家だから財産を残せたんだよな。
 苦:そういう推測は置いといて、シェイクスピアは故郷ストラトフォードにあるホーリー・トリニティ教会の内陣に埋葬されました。
 微:魔法陣で封印しないと、後世に災いをもたらすと怖れられたそうです。
 苦:『悪魔くん』かよ!! 内陣に埋葬されるのは名誉なことなんです。『ダ・ビンチ・コード』でも有名な人の墓は建物内にあったでしょ。ニュートンの墓もね。
 苦:内陣埋葬の栄誉を授けられたのは、劇作家としての名声の力によってではなく、440ポンドもの十分の一税を教会に納めていた高額納税者であったためです。
 微:さすが理念なきイギリス国教会!! 名誉より金銭の方が力があるんだな、昔も。「貧乏でも満足している人間は金持ち、それも非常な金持ちです」なんて書いてるくせに。
 苦:まあ、作品の設定に合わせて台詞は決まりますから。なお、シェイクスピアの未発表作品が副葬品として墓の中に眠っているという伝説がありますが、確かめた者は誰もいません。
 微:墓を暴いたら、骸骨化したシェイクスピアがまだ書いてそうだな。
 苦:『ワン・ピース』じゃねえよ! さて空白期間のことは既に言いましたが、シェイクスピアにに関する資料が少なく、手紙や日記、自筆原稿なども残っていません。
 微:まあ、息子の嫁に口述筆記させた滝沢馬琴という例もあるが。
 苦:また、法律や古典などの知識がなければ書けない作品もあり、彼の学歴からみてそれを書くことは不自然ですから、別人が使った筆名ではないかと主張する人もいます。
 微:戯曲界の佐村河内守かよ!! 監修者的な人を持っていた、で解決するんじゃないのか。
 苦:ですから、英文学者でまともに別人説を取上げる人はほとんどいないようです。また"シェイクスピア"というのは一座の劇作家たちが使い回していた筆名ではないかと主張する者もいます。
 微:東映の戦隊シリーズの作者”八手三郎”みたいなもんだな。実はスタッフ全員という。
 苦:ただ、集団制作だと、『スーパーマン』『バットマン』みたいに発展性も革新もなくなります。
 微:確かに戦隊シリーズを考えたらそうだわな。『バットマン』の創造性は、もはや映画監督にかかっているし。
 苦:交代で書いたという説は、創造を理解していない学者もどきの説でしょう。さて、シェイクスピアと言えば、いくつか頼んでないのに既に登場していますが、数々の名言・名セリフです。
 微:「見せてもらおうか。連邦のモビルスーツの、性能とやらを。」とか?
 苦:それはシャアだろ! 『ハムレット』の「生きるべきか、死すべきか、それが問題だ」とかだよ。
 微:まあ、確かに作品の評価はその文学的価値や学問的価値よりも、その中にある名言の数で決まると言われてるもんな。カール=マルクスにしてもそうだし。
 苦:「悲しみが来るときは、単騎ではやってこない。かならず軍団で押し寄せる」とか。
 微:アウンサンスーチーさんが聞いたらこみ上げるものがあるな。
 苦:もう一つ、「誰の言葉にも耳をかせ。口は誰のためにも開くな」。
 微:アホウ太郎に贈りたいな。
 苦:続いて『マクベス』からは「消えろ、消えろ、つかの間の灯火、人生は歩いている影にすぎぬ。」
 微:社会保険庁の額になってるんじゃないか? 色々消失してるし、不具合は放置だし。
 苦:オマエくらいだよ! 次は『ヘンリー八世』から、「男は結婚式の日には泣こう」。
 微:ううう、前にネタにした人物だけど、彼の人生を思うと、重い言葉だな。それと「人間は負けたら終わりなのではない、辞めたら終わりなのだ」とか。
 苦:それは1972年のウォーターゲート事件で追い詰められたニクソンだよ!
 微:「バレなきゃ、イカサマじゃねえんだぜ。」とか。
 苦:それはジョジョだろ!(ペシッ!!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?