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世界史漫才再構築版43:ナポレオン編(前編)

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:最近、ネタつくりに行き詰まってます。
 苦:お客さんに言うことじゃねえよ! 今回は「エロイカ」こと皇帝ナポレオン1世です。
 微:同性愛者のイギリス貴族のことだな。
 苦:それは青池先生のマンガ!! フランス革命の「自由」「平等」の理念を輸出し、19世紀を大きく変えた人です。
 微:末端価格で80億円相当にのぼったそうです。
 苦:覚醒剤じゃねえよ!! 対抗意識も含め、色んな意味で国民国家を広めた人です。
 微:つまり「非国民」というカテゴリーを生んだ同調圧力の元凶だな。
 苦:それは第2時世界大戦中の日本です。前回で少し触れましたが、理念系というか純粋化した状態の国民国家とは一つの言語・歴史理解・感受性を持つ国民から成る凝集力の強い国家です。
 微:甲子園球場のライトスタンドでデカい態度ででかい声出しているおっさんたちだな。
 苦:まあ、そうですが次世代の再生産があのメンバーではできません。凝集力は一体感あるいは仲間意識から生まれ、それを創造するのが言語の統一、それと不可分の教育です。
 微:まあ、生まれるというより、湧いてくる感じだな。
 苦:もっと言うと、地図によって明示される領土が国民にイメージされなければなりませんし、その地図に示される範囲が新聞や雑誌の流通圏であり、官僚の異動の範囲です。
 微:兵庫県なんていまだに県民意識なってないぞ。まあ、知事がやらかして被害者同盟意識は生まれるかもね。
 苦:つまり、日本で言うと青森県で起きた災害に対して日本中から支援物資が届き、災害復旧に税金が投入されることに誰も異論を挟まない、青森側も標準語で感謝を表する状態です。
 微:まあ、実際に話をすると何語かわからないんだが。これは鹿児島でもそうだけど。
 苦:この、「顔も名前も知らないし、会ったこともないけど"われわれ"というイメージというか幻想が成り立つ」状態、それができているのが国民国家です。
 微:オレ、中学、高校と「友達」「仲間」意識なかったぞ。緊急連絡網にも名前なかったし。
 苦:あるいは誰も住んでないけど尖閣諸島に誰もが神経質になる状態です。主権とも関連しますが、「領土が侵された」という認識は、敵意と怒りを通して国民意識を生み、増幅します。
 微:フォークランドのおかげで長期政権になったイギリス首相もいたな。
 苦:まあ、竹島ネタで一体感を醸し出す韓国もあります。
 苦:逆に日本は、沖縄への政府の態度を見る限り、沖縄県も包摂した国民国家にはなっていない。
 苦:個人的見解ですが、1億人を超えて国民国家も国民経済も不可能です。逆に日清戦争の頃の人口は5000万人くらいだったはずです。敵国の設定による一体感も、距離と人口に左右されます。
 微:その点、太平洋を越えてアメリカに敵国認定された日本は格好の国民団結のネタだったと。
 苦:ローズヴェルト大統領の陰謀説もそこに原因があります。ただ陰謀論は成り立ちません。
 微:右曲がりの人たちは不思議だよな。反米右翼なら理解できるけど、親米右翼って何?
 苦:思考停止したエセ右翼でいいでしょう。話を戻すと、フランス革命後のフランスをまとめあげ、帝政を敷き、ナポレオン戦争で全ヨーロッパを席巻した新しい時代を作った人です。
 微:ただし、生粋のフランス人じゃない。
 苦:はい、1769年にかつてジェノヴァ領だったコルシカ島で父カルロ・ブオナパルテの第二子として生まれました。出生時の名前はナブリオーネ・ブオナパルテでした。
 微:カプリオーネが好きそうというか、嬲りものにするのが好きというか。
 苦:名前も血筋もイタリア系です。幼い頃に父と一緒に本土に渡り、1779年にブリエンヌ陸軍幼年学校に入学、1784年にパリの陸軍士官学校に入りました。
 微:オレも陸軍土管学校で、掘削と配管を勉強したよ、ツルハシもって。
 苦:紛らわしいボケはいいよ!! ナポレオンの士官学校卒業試験の成績は58人中42位でした。
 微:大したことないな。遅咲きタイプか? それとも「遊び人」から「賢者」コース?
 苦:通常の在籍期間が4年前後のところを11ヶ月で、しかも16才で修了してますから非常に優秀な成績です。実際、この11ヶ月での卒業は開校以来の最短記録でした。
 微:チートだな、裏技を使ってというか。あるいは無線で正解番号を打電してもらったか。
 苦:ゲームや免許から離れろ!! 1785年に砲兵士官に任官しますが、1789年のバスティーユ牢獄襲撃を機に自身も革命に参加し、ジャコバン派を支持する小冊子を出して逮捕されました。
 微:ビッグサイトでもトゥサン・ルヴェルチュールと同人誌を売ってたそうです。
 苦:ヲタかよ!! コルシカでも革命派として迫害され、一家ですぐにマルセイユに移住ました。
 微:”ルーラ”を使ったんだな、戦闘中は使えないけど。
 苦:1793年に陸軍大尉として復帰した時、イギリス艦隊に占拠されたトゥーロン攻略作戦に才能を買われて参加します。自分が立てた作戦で勝利に導き、准将・旅団長に昇進します。
 微:忙しいやつだな、進んだと思ったら、どうせ次は戻るんだろ?
 苦:はい、ご明察通り、1794年のテルミドールの反動ではナポレオンはロベスピエールの弟と繋がりがあったために投獄されます。
 微:ロンダルキアの迷路に放り込まれたそうです。
 苦:釈放された後に総裁政府の総裁ポール・バラスに登用され、1795年にパリで起きた王党派の「ヴァンデミエールの反乱」を鎮圧して師団長に昇進します。
 微:もうこれは26歳で将軍じゃないですか。銀河英雄伝説並みの出世だな。
 苦:市街地での散弾式大砲使用という無茶というか大胆な戦法を使ったんですね。この勝利とあり得ない戦術から「ヴァンデミエール将軍」の異名をとりました。
 微:自分には”スクルト”の呪文をかけて防御していたんだろうな。
 苦:お前には誰も寄って来ない”トヘロス”がかかりっぱなしだよ! 1796年には貴族の未亡人でバラスの愛人でもあったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚します。
 微:この払い下げには五代友厚が関わったそうです。
 苦:鉱山かよ!! ご褒美なのか、同年にバラスからイタリア方面遠征軍の司令官に抜擢されます。ナポレオンが任されたのはイタリア側からオーストリアを攻略する作戦担当の軍でした。
 微:それもアルプス越えルートだよな。絵画にはなってないけど。
 苦:ナポレオン軍は連戦連勝でミラノから1797年4月にウィーンに迫り、10月にカンポ・フォルミオの和約を結ばせます。
 微:高齢者を騙して不利な契約を結ばせて成績を上げていたそうです。
 苦:その簡保じゃねえよ!! ナポレオンの活躍で1793年以来の第一回対仏大同盟は崩壊しました。
 微:高校生が「大仏」大同盟と、巨大仏サミットと誤答するやつだな。
 苦:しかし、最大の敵で強力な海軍を有するイギリスに対してフランスは決定的な打撃を与えられませんでした。
 微:昔の怪獣映画だと、「エビラ対ギララ」みたいなもんだな。あり得ないというか噛み合わない。
 苦:そこでイギリスとインドとの連携を絶つ目的で1798年7月、ナポレオン軍はエジプトに上陸し、ピラミッドの戦いで勝利してカイロに入城します。
 微:その時、兵士への「カバンの中のカメラが諸君の仕事ぶりを見ている」の名言を残すんだよな。
 苦:それは大阪の橋下知事(当時)!! 「ピラミッドの上から四千年の歴史が諸君を見ている」だろ!
 微:「私に明かりがくっきりと見えます」とも呟いていたそうです。
 苦:ガースーかよ!! でもその直後にアブキール湾の海戦でネルソン提督率いるイギリス艦隊にフランス艦隊が大敗し、ナポレオンが率いる軍はエジプトに孤立してしまいました。
 微:途中で”トヘロス”が切れたんだな。
 苦:ゲームはもういいよ! 12月には第二回対仏大同盟が結成され、1799年にはオーストリアがイタリアを奪還し、民衆の間では総裁政府を糾弾する声が高まっていきました。
 微:5人が交代で批判を受けたのでダメージは小さかったそうです。
 苦:日替わり定食かよ!! ナポレオンは密かにエジプトを脱出してフランスへ帰還し、民衆の歓呼と共に11月、ブリュメール18日のクーデタで統領政府を樹立しました。
 微:孤立していたエジプトのナポレオン軍はどうやって帰国したんだよ、おい。
 苦:さすがにイギリスが「封印船舶」で届けるようなことはしてません。ナポレオンは自ら第一統領となり、実質的独裁者となりました。
 微:まあ、矢面に立つんだからケケ中よりはまともだな。
 苦:統領就任後、「アルプス越え」で北イタリアに出撃し、1800年6月のマレンゴの戦いでオーストリア軍に勝利、別働軍もオーストリア軍を撃破し、翌年2月にオーストリアは和約に応じました。
 微:馬ではなく象に乗っている絵にしたかったそうです。
 苦:ハンニバルかよ!! ナポレオンはライン左岸を獲得し、北イタリアもフランスの保護国としました。第二次対仏大同盟も瓦解し、残るイギリスとも1802年3月にアミアンの和約で講和します。
 微:電光石火の早業だな。しかし、不思議だっただろうなあ、「なんでフランスはこんなに強いんだ?」って頭抱えるくらい。
 苦:遠征と並行して内政面でも諸改革を行いました。全国的な税制の整備を進め、産業全般の振興に力を注ぎ、1800年には中央銀行のフランス銀行を設立しました。
 微:これで三菱と同じようなパターンでナポレオン財閥が完成に近づいたわけだ。
 苦:個人銀行ではありません。1804年にはナポレオン法典を制定しました。
 微:「余の名誉は余の奉天にある」と石原莞爾がパクリたかったそうです。
 苦:無視ね。これはフランス最初の全国民に適用された統一民法典で「万人の法の前の平等」「国家の世俗性」「信教の自由」「経済活動の自由」等の近代的価値観を取り入れた画期的なものでした。
 微:これがあまりに短期間で完成したんで国民も「見た、聞いた、書いた」って言ったんだろ。
 苦:それはカエサルのパクリ!「余の名誉は幾度かの戦勝にではなく、余の法典にある」だよ! 
 微:日本もボアソナード経由でナポレオン法典系の民法のはずだったのにな、残念。
 苦:穂積八束ね。皇帝を目指していたナポレオンは1801年に教皇ピウス7世との間でコンコルダートを結び、国内の宗教対立を緩和します。
 微:まあ、関係悪化させたのはジャコバン派だし、ヴァチカンも勢力圏回復だからまとまるわな。
 苦:また王党派・ジャコバン派などの前歴を問わず人材を登用し、国内を融和に導きます。
 微:岸田が余りじゃない甘利を担ぎ出したようなもんか。
 微:それでは人心を失います。そして1802年8月2日に終身統領となりました。
 微:簡保の外交員にダマされて余計な終身特約を付けたな。
 苦:1804年12月2日に戴冠式を行い、「フランス人民の皇帝」に就き、フランスの政体は第一帝政に入りました。
 微:カール大帝とオクタウィアヌスを合成した訳だな。
 苦:彼を人民の英雄と期待し『ボナパルト』の題名で献呈する予定で交響曲第3番を作曲していたベートーヴェンは、失望して『英雄』に変更したのは有名な話です。
 微:野茂と組んだら黄金バッテリーだな。ナポレオンが金で、野茂が黄で。
 苦:どんなコンビだよ!! 同年にアミアンの和約をイギリスが破棄すると1805年、ナポレオンはイギリス上陸を目指してドーヴァー海峡近くに大軍を集結させました。
 微:それを見た小池ユリコがフリップを使って「密集してはいけません」とたしなめたそうです。
 苦:イギリスは対抗してオーストリア・ロシアなどを引き込んで第三回対仏大同盟を結成します。
 微:ABCD包囲陣のような、「ウマイ!」と言えるようなアイディアがないんだな、イギリスには。
 苦:ナポレオンは海陸両面から攻撃しようとし、スペイン艦隊を動員しますが、ネルソン提督にスペイン沖のトラファルガー海戦で完膚無きまで負けます。
 微:もう、泳いで渡るしかないと決断したそうです。
 苦:ナポレオンは方向を変え、10月にウィーンを占領します。ロシアのアレクサンドル1世軍がオーストリアのフランツ1世の軍と合流し、12月2日にアウステルリッツ郊外で激突しました。
 微:これまた挫けないアレクサンドル1世が登場したわけだ。
 苦:ナポレオンが完勝したこの戦いは三帝会戦と呼ばれ、イギリス首相小ピットはこの敗戦に衝撃を受け、翌年に没しました。
 微:”メガンテ”の巻き添えだな。でもイギリス国王ジョージ3世は挫けない。
 苦:ヨーロッパ中央を制圧したナポレオンは兄ジョゼフをナポリ王、弟ルイをオランダ王に就け、ライン同盟を発足させてドイツも事実上支配しました。
 微:この余波が1808年のフェートン号事件だな。江戸幕府には迷惑千万の。
 苦:ライン同盟発足をもって962年以来の長い歴史を持つ神聖ローマ帝国は解体しました。
 微:そしてちゃっかりハプスブルク家のマリー・ルイーズと結婚して皇帝化計画を進めて。
 苦:300近い領邦と帝国都市の集合体だったドイツはナポレオンによって35君主国と4自由市に整理され、これが19世紀末のプロイセンによる統一の土台となります。
 微:日本の大手不動産会社が地上げに協力したそうです。
 苦:駅前再開発じゃねえよ!! 中立姿勢のプロイセンもナポレオンとの戦いを決め、1806年にイギリス・ロシア・スウェーデンを集めて対仏同盟を結成します。
 微:こういう戦力を小出しにするのは愚策なんだよな。
 苦:ナポレオンは10月のイエナの戦いでプロイセン軍を破ってベルリンを占領しました。
 微:西ベルリンを壁で包囲したそうです。
 苦:それは1961年の話だよ!! プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は逃亡します。その一方でカントは自由の木を植え、ヘーゲルは「馬上の絶対精神」と叫んでいましたが。
 微:ジョージ3世は「絶対精神安定剤」が必要な状態だったろうな。
 苦:まあ、災難続きな王様ですが、紙数が足りないので久々に延長戦です。

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