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世界史漫才44:古典派経済学編

 苦:今回は古典派経済学のアダム・スミス(1723~90)、デヴィッド・リカード(1772~1823)、トマス・ロバート・マルサス(1766~1834)です。
 微:彼らをヒントにしたのが民話『三匹の子豚』だな。「藁の家のブタ」がすぐに予測が吹っ飛んだマルサス、ケインズ登場まで自由放任主義を正当化したスミスが「木の家のブタ」です。
 苦:なるほど、まあ近いものはありますね。
 微:そして自由貿易は双方の国にとって有利であるという大ウソで19世紀イギリス、20世紀末からグローバリズムでアメリカを正当化した「煉瓦の家のブタ」がリカードだろ?
 苦:いきなりの大ウソだけど、かなり本質を衝いているな。今日のキミはエライんじゃなくて偉い。
 微:文字化しないとニュアンスが通じない褒め言葉はうれしくないね。
 苦:調子に乗るんじゃねえよ!! 民話じゃなくて活躍順に行きますね。まずアダム・スミスはスコットランドの名門グラスゴー大学で道徳哲学を学びます。スコットランド啓蒙の系譜に連なり、1750年に友人となる哲学者デヴィッド・ヒュームと出会います。ヒュームは後に『人間本性論』を書き、認識は印象の束にすぎないと、デカルトの説を完全否定する人です。
 微:「世の中、ゼニや!! ゼニがすべてやあ!!」って叫んだんか?
 苦:青木雄二ではありません。さてスミスは1737年つまり14歳でグラスゴー大学に入学し、1751年に28歳で母校の論理学教授となりました。
 微:天才なんか? 今の日本じゃポスドクの不安定極まりない年齢だぞ。
 苦:まだ論理学、哲学、政治学、歴史など人文社会科学が細分化・高度化する前の大学は、若者を心身共に立派な紳士に育成するための学校でしたので。
 微:ああ、「工学部は大学の学部とは認めない」「製造は職人のすることだ」の時代ね。
 苦:そうです。1752年に道徳哲学教授に就任し、講義録を1759年に『道徳感情論』として出版しました。スミスは元々経済学者ではなく、哲学者としてスタートした訳です。逆に言うと経済学や経営学の講座は大学にはなかったんです。それこそ「商売人のやることだ」と一刀両断で。
 微:泉ピン子が元は芸人で女優ではなかったようなもんだな。
 苦:この書は人が持つ"sympathy"を考察したもので、「同情」ではなく他人の感情を共有するというか、できてしまう人間の共感能力のことです。社会や秩序が成り立つ土台を考察した訳です。
 微:夏目漱石の「可哀相ってこたあ、惚れたってことよ」とは違うわけだな。
 苦:少し近いんですけどね。ネット上で他人の煽りを受けて吠えまくる2ch言論からは遠いのは確かです。
 微:ああ、呪文のドラゴラム使いだな、「現実世界とは違い、ネット上では火を吹きまくります」という。その線で行くと、意味不明な発言で周囲を混乱させ、つまらんギャグを飛ばして周辺を凍らせるのが得意なキミは「メダパニ」使い・「凍てつく波動」使いだな。
 苦:うるせえよ! 話を戻すと、人間は身分や地位の違いを越えて他者の視線を意識し、他者に同感し、同感を得られるよう行動します。そうでない場合もありますけどね。ですがこの同感を経由して人は特定の具体的な誰かの視線ではなく、「公平な観察者」の視線を意識するようになります。
 微:意識する対象がケバいネエチャンばかりの女子校だったらエライことになるな。
 苦:「公平な観察者の視線」を内蔵すれば、人は問題ないように行動し、他者の行動の是非を判断でき、社会にある種の秩序が形成され、現にある程度はまとまっています。
 微:今の日本や中国を見ていると断言しづらい現実もあるけどな。
 苦:スミスは、社会は「慈善」のような上からの一方的な愛情がなくとも、人間はこの共感能力を持っているので成り立ちうると論じたのです。つまり何が言いたいかというと、経済学者アダム=スミスは重農主義の系譜だけでなく、スコットランド啓蒙の二つの系譜の上にいるということです。経済学者アダム=スミスの誕生は、彼が1763年には教授職を辞してフランスに渡り、パリのイギリス大使館秘書を務めていたヒュームの紹介で重農主義のケネー、テュルゴーや、ダランベールらの啓蒙思想家と親交を結んだことに始まります。
 微:ジョフラン夫人のサロンが目に浮かぶな。
 苦:とりわけケネーに学んだことで、重商主義批判から経済学へと進化したのです。スミスは1766年にスコットランドに戻り、1776年に『諸国民の富』を出版しました。原題に忠実に訳すと『諸国民の富の性質と原因の研究』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)になります。
 微:研究対象がモルディヴだったら子安貝が対象になったのにな。
 苦:『諸国民の富』はアダム・スミスに絶大な名誉をもたらし、連合王国政府はスミスを1778年に実質的な仕事のないエディンバラの関税委員に任命しました。その後も彼は死ぬまで『諸国民の富』の改定増補を続け、1787年にこれまた仕事のないグラスゴー大学名誉学長に就任します。
 微:水木しげるが2010年に文化功労者に選ばれたようなもんだな、本人が死ぬ前の駆け込み授賞。
 苦:まさにその通りで、1790年にスミスは67歳で亡くなりましたが、哲学者としての主張通り、貧者・不幸な人たちへの共感から、収入の相当部分を慈善事業に捧げていました。
 微:この話を孫正義に聞かせてやりたいな。
 苦:『国富論』をヒューム、モンテスキュー、チュルゴーらの理論の焼き直しと酷評する人もいますが、近代経済学の基礎を確立した名著です。ただ、『論語』と同じで「読まれざる古典」です。
 微:あれ、古典の定義って「無理矢理に読まされる面白くない本」「引用はされるけど読まれることのない本」だから、立派な古典じゃねえかよ。
 苦:それは皮肉としての定義です。まず、スミスが重視する「分業」も顔が見えない他人への信頼なしには不可能です。まあ、21世紀の日本では丸投げや責任逃れに変わってますが。
 微:スミスが東京電力の原発作業員を見たら、何ていうだろうな。
 苦:ちなみに「見えざる手」という有名な言葉は第四篇第二章で1回使われているだけです。「見えざる手」とは、各人の私的利益の追求が、その意図せざる結果として社会全体の利益を増進させるという一種の逆説、ヘーゲルの「理性の奸知」みたいなものです。
 微:竹熊健太郎が原作版『巨人の星』では星一徹が一回しか卓袱台をひっくりかえしていないことを指摘するまで、誰もが「星一徹の得意技=卓袱台」と思い込んでいたようなもんだな。
 苦:スミスは個人全体が主観的には勝手に利益を追求しても、市場において価格メカニズムが働き、最適な資源配分をもたらされ、需要と供給のバランスは自然に調節されると考えたんですが、当然その個人たちが「共感能力」を持っていることが前提なのです。
 微:多民族国家アメリカでは不可能だと言いたいのか?
 苦:はい。それはきちんと、『道徳感情論』と合わせて読めば、「最小費用で最大効果」を目指すようなアメリカ型資本主義はスミスの認める経済ではないことは一目瞭然です。自由放任を意味する「レッセ・フェール」はフランス語で重農主義者たちが重商主義に反対する立場からの「スローガン」として用いたものです。もっとも、スミスは『諸国民の富』の中でこの語に直接言及していません。
 微:聖書にローマ教皇の地位が書かれていないのと同じだな、まさに不都合な真実。
 苦:なのに都合のいい部分だけが文脈抜きで切り取られて、小さな政府論と減税論、自由放任主義、マネタリズムなどが他者への共感なきアメリカ社会で姿形を変えて猛威を奮っているのです。
 微:オマエ、本当にアメリカ嫌いだな。アメリカ留学経験もないくせに。
 苦:価格機構を神の摂理に祭り上げたことが1929年の世界恐慌の原因であり、自由放任は無責任だとケインズも指摘しています。また政府の規制や十分な社会保障がないと、食料・衣料など大量生産・大量消費される生活必需品でデフレが起き、賃金相場が歪むことは2008年末に証明されました。
 微:リーマンショックと年越し派遣村ね。
 苦:最後にスミスはグローバル経済には批判的です。さらに現実の市場参加者であるヘッジファンド創設者ジョージ・ソロス自身が「市場は必ず間違っている」と発言しているのも興味深いですね。
 微:元祖「お前が言うな!」だな。でもソロスは利益を全部慈善活動に寄付してるよな。
 苦:次のリカードは金本位制を説く一方で、スミスの労働価値説を継承し、マルサスの人口見解を認めた上で『経済学および課税の原理』を出版しました。
 微:国際分業は双方に利益がある、という悪魔の囁きだな。
 苦:ポルトガルとイギリスを例に各国が比較優位に立つ産品に特化・輸出する事で経済厚生は高まるという「比較生産費説」を主張しました。彼自身も実業家としても成功し、多くの財を築いています。
 微:たしか、ポルトガルからのユダヤ系移民の子孫だよね。リカードって「リカルド」の英語発音だし。
 苦:まあ当時の人も国も彼の自由貿易論にだまされ、第1次世界大戦までは国際経済でイギリスが一人勝ちしたわけです。まあ、英語が使えない人間はグローバル人材ではないという大ウソが日本でも真理のように語れていますがね。
 微:社内は英語を公用語化した企業にはとっととつぶれて欲しいね、○ニクロとか○フトバンクとか。
 苦:最後となったマルサスは過少消費説、有効需要説を唱えた人物ですが、1798年の『人口論』の著者として有名です。幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、貧困が生まれるが、これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ないと主張しました。
 微:こいつのせいで経済学部では数学ⅡBまでが必修なのだな。
 苦:『人口論』執筆した当時、イギリスではフランスとの戦争や物価の高騰などの経済問題が出現しており、対策として救貧法改正の是非が議論されていた時期でした。またフランス革命の「社会工学」の影響で社会改良による貧困や道徳的退廃の改善の実現が主張されていました。
 微:理性だけで動く人間はヒトラーやスターリンのような狂人でしかないし、試みは失敗すると。
 苦:その根拠となったのが収穫逓減の概念です。農業の生産量を増大させるには、農民は痩せた土地を耕作して耕作面積を広げるか、既存の土地でより集中的な生産手法を適用するしかありません。
 微:どちらを選んでも大学改革のよに農業生産増大のコストが収穫の増大を上回ると。
 苦:これを「マルサスの罠」と言います。ただ収穫逓減は、17~18世紀の日本や中国の長江下流域の経済成長や人口増が示すように普遍的法則ではありません。速見融が提唱した「勤勉革命(industrious revolution)」という実例があります。
 微:しかし、あれだな、何のために経済学を学ぶ必要があるのかわからなくなってきたぞ。
 苦:それは「経済学者や経済評論家に騙されないため」に決まってるだろ!(ペシッ!)

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