見出し画像

世界史漫才再構築版41:ルイ16世&マリー・アントワネット編

 苦:今回はマリー・アントワネットとルイ16世夫妻です。
 微:イタリア語に直すとマリオとルイジ、『スーパーマリオ』です。
 苦:余計な翻訳はいいよ、もう! それに性別一部変わってるし。
 微:細かいことは気にすんな!
 苦:マリオは男でマリーは女ですから!! マリオがイエス産んだらこわいよ! ルイ16世は1754年にルイ・フェルディナン王太子の次男ルイ・オーギュストとして生まれます。
 微:フィリップ・オーギュストは畏れ多かったんだな、さすがに。
 苦:1761年に兄ルイ・ジョゼフが、1765年に父も死んだため、フランス王太子となりました。
 微:偶然にしてはできすぎた展開だな。事件の匂いがする。
 苦:全然違います! 入浴回数がみんな少ないから臭って当然だよ!!
 微:香水の世界だな。なんか映画『パフューム』を思い出したわ。
 苦:最後の乱交シーンしか覚えてねえだろ!! ブルボン家とハプスブルク家間の長年の対立を解消するため、マリア・テレジアにより娘マリア・アントーニアとの政略結婚が画策されました。
 微:ああ、あのセーラー服反逆同盟ね。
 苦:ペチコート同盟だよ!! 令和の誰が『スケ番刑事』知ってるんだよ。精々、田中刑事だよ。
 微:21世紀に斉藤由貴があんなになっているなんて誰も思わなかったな。
 苦:南野陽子は消えましたが。1763年5月、ルイ・オーギュストとの結婚のためメルシー伯爵が大使としてフランスに派遣されますが、話は進みません。
 微:ヴァレンヌで足止めを食らっていたそうです。
 苦:それは30年後の話で方向も逆! 1769年6月、ようやく祖父ルイ15世からマリア・テレジアへ婚約文書が送られました。
 微:国際弁護士の資格が取れるのに時間がかかったそうです。
 苦:1770年5月16日、ヴェルサイユ宮殿にて王太子ルイ・オーギュストとマリア・アントーニアの結婚式が挙行され、王太子妃はマリー・アントワネットと呼ばれることになりました。
 微:山崎方正が月亭方正になったようなもんか。売れないから弟子入りして。
 苦:ドイツ語でマリア・アントーニア、フランス語ならマリー・アントワネットなだけです!
 微:じゃ、小川さんがドイツ人と結婚したらバッハさんに、サッチャーが日本の老人ホームに入ったら茅葺屋さんになるんか?
 苦:余計な翻訳はもういいよ! 1774年、ルイ15世が死去し、5月10日にルイはフランス国王となり、翌年ランスのノートルダム大聖堂で戴冠式を行いました。
 微:京都の北山通りの女子大のチャペルとは、えらい質素だな。
 苦:超ローカルなボケはいりません。国民の関心は世継ぎ誕生に向かうんですが、1770年結婚直後の外交的床入りの際、ルイ16世はできなかったんです。
 微:そりゃ、みんなが見てる前では普通の人は無理だろうな。
 苦:1777年4月、ルイ16世はようやく夫婦関係が持てるよう治療を受けました。
 微:七年間も夫に放置されたら、そりゃ遊び癖もつくな。で、何を治療したんだ?
 苦:セーターから顔を半分出している広告写真の手術です。エカチェリーナ2世の夫ピョートル3世も同じでした。その甲斐あって、1778年に長女マリー・テレーズが生まれます。
 微:ユダヤ教に改宗した甲斐もあったな。
 苦:改宗してません。そして1781年に念願の長男ルイ・ジョゼフが誕生します。1785年次男ルイ・シャルル(後のルイ17世)、1786年には次女マリー・ソフィー・ベアトリスが生まれました。
 微:それでもマリア=テレジアの4分の1だな。やはり若いうちに遊び呆けるとダメなわけだ。
 苦:しかしもっと大きな課題が国王ルイを待っていました。太陽王ルイ14世、放置王ルイ15世の積極財政というか浪費の結果、フランスは慢性的な財政赤字を続けていました。
 微:まあ、日本もそうだから、大丈夫だろ。
 苦:即位直後からルイ16世は慢性的な財政難に悩んでいたのに、イギリスに対抗してアメリカ独立を支援するなどしたため、財政はさらに困窮を極めました。妻の浪費など10万円給付レベルです。
 微:「フランスの中村うさぎ」と呼ばれたそうです。多重債務でもう感覚がなくなってしまって。
 苦:誰も言ってねえよ! 一方でテュルゴーやネッケルなど、経済の専門家を登用して改革を推進しようとしましたが、保守派貴族は彼の改革案をことごとく潰し、結局、税制改革は挫折します。
 微:ここで郵政民営化を掲げていたら、展開も違ったんだろうけどな。
 苦:古い話を挟むな! 1780年には拷問の廃止を王令で布告するなど、人権思想にも一定の理解を示しています。そして皮肉にも処刑用ギロチンの技術改良(斜め刃への変更)を裁可しています。
 微:もっと皮肉なのは革命前までロベスピエールは熱心な死刑廃止論者だったんだよな。
 苦:時間軸がずれているだろ! 国王、貴族、平民の三者三様の思惑のもと、1789年に三部会が召集されます。
 微:召集時の消臭が大変だったそうです。
 苦:キミの貧乏臭さは消えませんが。貴族への対抗策として召集した三部会は議決問題から思わぬ展開を見せ、第三身分つまり、ブルジョワとサンキュロットを政治参加へ駆り立ててしまいます。
 微:鳥貴族で上級国民と氷河期世代が「俺はエビスビールじゃない、ロベスピエールだ!」「ええビールじゃない、エベールだ!」と盛り上がったそのままの勢いで革命になだれ込んだそうです。
 苦:どんな勢いだよ!! まあ、貴族に妥協したルイ16世も悪いんですが、結果的に1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃に始まるフランス革命を呼び起こしました。
 微:監獄居酒屋と間違えてなだれ込んだそうです。
 苦:本物の監獄だよ!! まあ、日本では『ベルばら』の影響もあって、ルイ16世はボンクラ国王のイメージが強いですが、当時のパリ市民にもヴァレンヌ事件までは絶大な人気を得ていました。
 微:前の国王がルイ15世だったら、誰でも相対評価で高得点出るよな。
 苦:妻と違って質素で、王の処刑の時も嘆く声が少なくありませんでした。
 微:はい、みんな口々に「俺が殺そうと思っていたのに!」と残念がってました。
 苦:そっちかい! ウソはほっといて、ルイ16世は国民の境遇に心を悩ませる心優しい王としても記憶され、その実像は時代に翻弄された悲劇の善良王であったと言えそうです。
 微:「いい人」「素晴らしい人」って、告白を拒否する昭和の定番前置きだよな。
 苦:人民裁判で1793年1月21日のギロチン刑が執行され、ルイ16世は死にました。
 微:『死刑執行人サンソン』でも描かれてたな。
 苦:直前、王は群衆に「人民よ、私は無実のうちに死ぬ。私は私の死をつくり出した連中を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい」と叫んだそうです。
 微:最後は王として死んだんだな。中島さんが「いい仕事してますねえ」って感心してたぞ。
 苦:それは骨董品の鑑定だよ!! 次にマリー・アントワネットに移ります。
 微:ああ、オーストリアから来たお荷物ね。
 苦:彼女は1755年11月2日にマリア・テレジアの末娘で十一女として生まれ、マリア・アントーニアと名付けられました。
 微:もう名前をつけるのが面倒くさかったそうです。
 苦:一番可愛がられましたが、「外交革命」の証としてルイ16世と結婚、フランス革命の混乱の中で革命政府から死刑判決を受け、1793年10月16日ギロチンで斬首刑にされました。
 微:めでたし、めでたし。
 苦:終わってないよ! 自由奔放なマリア・アントーニアは芸術的才能があったようです。
 微:野田聖子は、蒟蒻畑追及に才能があったようです。そう言えば、『アマデウス』でチェンバロ弾いて英語をしゃべっていたオジサンが兄のヨーゼフ2世だよな。
 苦:あの人は啓蒙主義的にやりすぎて、母マリア・テレジアから嫌われてましたね。当主としての権限以外の王位や帝位も剥奪され、かわいそうです。
 微:欠伸されて『フィガロの結婚』上演停止のモーツァルトの方がかわいそうだよ。
 苦:話を戻すと、ルイ16世との結婚式の時、『マリー・アントワネットの讃歌』が作られ、幸福の絶頂にありました。まあ、パッと見、夫は冴えなかったんですが。
 微:「夫なんて飾りです。偉い人にはそれがわからないんです」とカウニッツが助言したそうです。
 苦:ジオングじゃねえよ!! 二人の夫婦仲ですが、趣味・性格の不一致や、夫の性的欠陥もあって良くなかったようです。
 微:でも、エカチェリーナみたいに愛人作りまくらず、けなげに待ったんだからいい奥さんだよ。
 苦:その分、遊びの派手さが加速していったんだから話半分で聞いておきます。
 微:「夫がダメなら愛人と楽しめばいいのに」と言うまで開き直ったそうです。
 苦:「パンがなければお菓子を食べればいいのに」だろ! この有名なエピソードはルソー『告白』の1760年版に登場するトスカーナ大公夫人の発言で、彼女オリジナルではありません。
 微:それでも「こいつなら言いかねない」と思われるところが悲しいな。
 苦:彼女はやはり夫に相手してもらえない寂しさを紛らわすたにめ奢侈に走ったり、仮面舞踏会で踊り明かしたり、賭博に熱中したようです。
 微:ジャイアント馬場とKONISHIKIが仮面舞踏会に参加したけど、すぐにバレたって怒ってたぞ。
 苦:当然だよ!! マリア・テレジアは娘の身を案じ、度々手紙で諌めましたが、効果はありませんでした。
 微:「みるみる痩せる!」という女性雑誌に載ってる通販より効果がなかったそうです。
 苦:ですが、既に言ったように、子どもにも恵まれ、母そして王妃としての自覚に目覚めました。
 微:ということは愛人の意味と活用方法も理解したということだな。
 苦:まあ、そうなりますね。こうした中で、マリー・アントワネットとスウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵との浮き名が、宮廷では専らの噂となりました。
 微:まあ、アルバート公が死んだ後のヴィクトリア女王も「ブラウン夫人」と呼ばれるくらい熱をあげていたよな。やっぱり禁欲的な生活は良くないな。
 苦:どういう教訓だよ!! 『ベルばら』では革命中にフェルセンが国外亡命を持ちかけた夜の一度だけ関係をもったことになっていますが、真相は分かりません。
 微:こういう時こそ黒岩涙香は『万朝報』記者を張り付けろよな。
 苦:それは日本の新聞です! 浪費エピソードは革命裁判で誇張された部分もあります。
 微:まあ、死刑にするため母子相姦の冤罪まで主張されたくらいだもんな。
 苦:これも話半分ですが、宮廷内で貧者のためのカンパを募ったり、子供らにおもちゃを我慢させるなど良い母親だったようです。
 微:プチ・トリアノン宮殿を「こども食堂」として開放したそうです。
 苦:どれだけ分かってない女なんだよ!! フランス革命が加熱するとポリニャック伯夫人ら、それまでマリー・アントワネットを食い物にしていた貴族たちは、彼女を見捨てて亡命しました。
 微:「アフガニスタンに放置されるよりマシよ」と気持ちを強く持ったそうです。
 苦:言ったとしても不思議ではないでしょう。ヴェルサイユ行進でもサンキュロットの女性と渡り合います。国王一家はパリのテュイルリー宮殿に連行されますが、それも彼女は予想していました。
 微:パリにいた方が都合が良かったと。
 苦:彼女はフェルセンの力を借り、フランスを脱走してオーストリアにいる兄レオポルト2世に助けを求めようと計画します。あのヴァレンヌ逃亡事件です。
 微:バレんはずなのにバレた事件だな。
 苦:しょうもないダシャレはいいよ! 1791年6月20日、一家は国境近くのヴァレンヌで発見され、25日にパリへ連れ戻されます。この事件で国王一家は親国王派らも見離されてしまいます。
 微:まさに船場吉兆と同じ展開。歴史に学べよな。
 苦:1792年、革命戦争が勃発すると、マリーが敵にフランス軍の作戦を漏らしているとの噂が立ち、8月10日、サンキュロットと義勇兵はテュイルリー宮殿を襲撃しました。
 微:途中で大名行列に出くわして2時間ほど待ったそうです。
 苦:意味わかんねえよ!! 国王一家はタンプル塔に幽閉されます。でも、幽閉生活とはいえ家族でチェスを楽しんだり、束の間の家族団らんの時があったそうです。
 微:ルイ16世が「明日はユーロ・ディズニーでも行こうか?」ってボケた提案したりして。
 苦:しねえよ! 既述の通り、1793年1月にルイ16世は斬首刑となり、マリーは8月2日にコンシェルジュリー牢獄に移され、裁判を受けます。
 微:顧問弁護士の吉村がフラップ訴訟を乱発して時間稼ぎしましたが、ダメでした。
 苦:武富士だよ!! 10月15日、彼女は革命裁判で死刑判決を受け、翌日、特別な囚人として肥桶の荷車でギロチンへと引き立てられ、コンコルド広場で斬首されました。
 微:その彼女を見た民衆の口から「ドナドナ」の元歌が生まれました。
 苦:ウソも大概にしとけよな。まあ、近世という時代の終わりを象徴する夫妻ですね。
 微:これだけ夫婦で天然ボケの才能があるなら、夫婦漫才で一旗揚げたら良かったのにな。
 苦:「マリー・アントワネットです」「ルイ・オーギュストでおま」「ますだおかだちゃうやろ!!」(ペシッ!!)で入っていって。「二人合わせてMLBです」「アメリカ大リーグちゃいまっせ」と。
 微:そのためにマリー・アントワネットから入るんか。
 苦:「この燃費の悪い嫁の借金で苦労してるんですわ」とボヤいて。
 微:そう。変にこの素材を芸術方面や映画に使うと、『ベルサイユのばら』『マリー・アントワネット』というB級もC級も超越した映画秘宝的なZ級映画にしかならないしな。
 微:ソニア・コッポラ様の古傷に触れてやるなよ。
 苦:まあ、いいじゃん、父親も破産を繰り返して二度と映画製作できなくなったんで、親子で破産漫才コンビ組んでもいいかもしれません。
 微:それじゃ見事にSFCでイロモノだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?