世界史漫才再構築版30:マキャヴェリと『君主論』
すっかり忘れていました。マキャヴェリ先生ごめんなさい。
苦:今回は特別企画です。
微:子供向け番組で「特別企画」が入ると、たいてい「間もなく打ち切り」なんだが。
苦:はい、低視聴率でスポンサー企業が怒って、無能な周辺スタッフが思いつきで「テコ入れ」して、余計に傷口を広げるアレですね。
微:そう、途中降板した「南夕子」が特別出演してウルトラマンタロウと「餅つき」とかな。
苦:そもそも月にいるのは西王母、兎は不老不死の木の実を砕いてるんで、餅は月にもアメリカ先住民にも関係ないんです。
微:「白人ウソつく、インディアン餅つかない」っ大ボケ言わそうとしてるだろ。
苦:バレましたか。ルネサンスが文学と芸術で終わったんで、政治思想が残ってしまいました。そこでマキャヴェリ本人よりも『君主論』に重心を置いててやります。
微:どこが特別企画なんだよ。哲学漫才ならいくらでもやってるよ。
苦:いえ、そこで現代日本の高校に置き換えながら解説を加えてみます。
微:それはプロ教師の会というか諏訪哲二さんに任せればいいのに。
苦:(無視)ニッコロ・マキャヴェッリ(1469~1527年)は、ルネサンス期の政治思想家ですが、本業はフィレンツェ共和国の政治家・外交官です。代表的著作が1532年に公刊された『君主論』です。
微:喫茶店で編集者を前に一時間の「やっつけ仕事」で書いた『火垂るの墓』が名作というか代表作になった野坂昭如みたいなもんか?
苦:『となりのトトロ』併映で心に傷を負った人たちの古傷に触らないようにね。
微:適当にノリで書いた方がこの世界史漫才もウケがいいもんな。
苦:自虐はさておき、ルネサンス期に、政治は宗教や道徳から切り離して考えるべきであるという現実主義的な政治理論を提唱した人です。手段を選ばぬ政治を推奨した人ではありません。
微:「初心」と同じく、読んでない人間が多すぎて誤用が常識化する展開だな。
苦:マキャヴェリ家はフィレンツェの要職を輩出した名家ですが、父の時代に没落です。
微:なんか自称「叩き上げ」のガースー臭がしてきたな。
苦:彼本人は「私は貧しく生まれた」「楽しむより先に、苦労することを覚えた」と記しています。
微:まあ、成功者は自分の苦労は膨らませるからな。許す。
苦:マキャヴェリはサヴォナローラ追放というフィレンツェ市の激動期に役人としてのキャリアをスタートさせ、1498年にソデリーニ政権下の第二書記局長に選出されます。
微:ソ連共産党でないことを心底悔しがっていたそうです。
苦:No,2は粛清されますよ、ソ連なら。その第二書記局は内政・軍政を所轄し、マキャヴェリも各国との外交交渉に何度も関わりました。 統領秘書官にも任命されています。
微:早くに出世してるじゃないか。まるで38才で大阪府知事になったタレントみたいだ。
苦:ハシゲかよ!! その際、『ピサ問題に関する論考』を執筆します。海洋国家ピサをフレンツェが顎で使えることは死活問題でしたが、当時、ピサはフィレンツェ支配下から離れていました。
微:まあ、フィレンツェが強欲というかわがままだったんだろ。他都市を支配するって、なあ。
苦:その論考は「もしも、フィレンツェが自由でありたいと望めば、ピサ再領有は実現されるべきである」の書き出しに始まり、まあ、中世イタリアの「涼宮ハルヒ」的ノリですね。
微:とにかく回りが振り回されるが、世界が崩壊しないように神経をすり減らしているんだな。
苦:いえ、かなり実際的で、包囲戦のあり方、攻撃拠点、配置兵数をまで拠点ごとに論じています。
微:あの「8月後半の無限ループ」「出たとこ勝負の映画制作」的展開でないなら許す。
苦:1499年にはミラノを占拠したフランス王ルイ12世との同盟を実現し、1500年のピサ戦役ではマキャヴェリはフィレンツェ軍顧問の副官として参加しています。
微:でもフランスが提供した傭兵軍との作戦や金銭交渉で苦労したんだろ。
苦:はい。その上、ピサ戦役は失敗でフィレンツェは多大な費用を空費した上に、フランス兵の略奪でピサ周辺の親フィレンツェ地域にまで恨みを買いました。
微:「生兵法は大怪我の基」を実演したわけか。そりゃ、疑い深くもなるわな。
苦:その上ルイ12世は一方的に同盟の破棄を宣言し、マキャヴェリは彼を追って、フィレンツェ市政府の副使としてフランスまで行くことになります。
微:日本のオリンピック組織委員会も見習ってローザンヌまで請求書持ってバッハのとことに押しかけたらいいのに。
苦:同じくらい厚かましいですが。以上のような苦くつらい経験から、マキャヴェリは自ら見聞した各国為政者や古典から学んだ歴史上の人物の中から、理想の君主像を見出します。
微:「理想の」ってことは理想的な人物ではないということだな。
苦:それが権謀術数に長けた教皇軍総司令官だったチェーザレ=ボルジアでした。
微:直前にダミー会社経由で塩野七生先生から寸志をもらったそうです。
苦:時間軸狂ってます。マキャヴェリは国民軍の必要性を確信し、強引に実現します。ですが1512年、メディチ家のフィレンツェ支配復活を後押しするハプスブルク家スペインの前に屈しました。
微:よくそんな状況で処刑されずに済んだな。パスポートを7つくらい持っていたのか?
苦:翌1513年、ジョヴァンニ・デ・メディチ新政権下でマキャヴェリは指名手配され、捕まります。奇しくもジョヴァンニ・デ・メディチが教皇に選出され、大赦により釈放されました。
微:それが教皇レオ10世なわけね。
苦:釈放後、43歳で公職を失ったマキャヴェリは昼間は農業に勤しみ、日が落ちると読書、執筆三昧の日々を送り、フィレンツェ市の官服に着替えて執筆したのが『君主論』なのです。
微:こいつはコスプレイヤーというか、偽装傷痍軍人かぁ?
苦:その後もマキャヴェリは、「私は我が魂よりも、我が祖国を愛する」「いつでもフィレンツェのために役立ちたい」と公言しました。まあ、メディチ家政権への就職活動ですね。
微:ムネオみたいに服役後の政治家みたいだな。
苦:ですが、マキャヴェリは共和制支持派と見られていたので、ジョヴァンニ・デ・メディチ、その後任のジュリアーノ・デ・メディチも彼を登用しませんでした。
微:仕方ないので維新の会のセミナーに参加して市会議員から出直したそうです。
苦:サウナないなら許す。しかし、1516年にロレンツォ・デ・メディチが就任すると、マキャヴェリに謁見の機会が与えられ、その謁見の場で彼がロレンツォに献上したのが『君主論』でした。
微:さぞや、どや顔してただろうな、鼻の孔膨らませて。
苦:これは全26章からなり、まず第1章で「君主政体にどのような種類があるか」と挙げ、その一つ一つについてを第2章~第11章で解説し、第12章~第14章で必要な軍備について述べます。
微:日本で言うとゲルこと石破茂だな、軍事オタク。
苦:強引なボケは不要だよ!! 第15章から第23章が君主論としての本論にあたり、「臣民や味方に対する君主の態度と政策がどのようにあるべきか」を論じます。
微:学級担任の心得セミナーだな。
苦:ここでマキャヴェリはチェーザレ=ボルジアに理想的な君主を見出しています。
微:『女王の教室』かよ! いきなり結論出すなよ。
苦:第24 章以下は多くの小国に分裂し、外国の介入を受けるイタリアの統一への願いから「統一を実現し得るのはいかなる君主か」を論じ、メディチ家への期待を述べて論を終えています。
微:このあたりに目的のために手段を選ばないというマキャヴェリズムの神髄が出てるな。
苦:嫌みなことをいうんじゃありません。自分の意識の上ではフィレンツェ第一なんです。
微:「自分はいい教師」「自分は別」「メタ的立場から俯瞰している」と勘違いしていると。
苦:彼の理論は「フォルトゥーナ(運命)」と「ヴィルトゥ(技量・徳)」という二つの概念からなり、君主にはフォルトゥーナを引き寄せるだけのヴィルトゥが必要であると述べています。
微:運を操ることができるなら誰も苦労しないな。
苦:そこで運を手繰り寄せるヴィルトゥの話に進みます。「徳」という言葉を使いますが、その意味は「共和国を存続させることができる君主・指導者の器」という意味で使いますから。
微:通報しました、じゃない。了解しました。
苦:マキャヴェリは、君主が万事にわたって善行を行いたがることの不利益を指摘し、それが現実政治の実態を見落とすことにつながり、さらには破滅に導くことを強く批判します。
微:まあ、地獄への道は善意という砂利で敷き詰められているという言葉もあるしな。
苦:君主は自身を守る、そして共和国のためにも、善行ではない態度も取る必要があると説きます。
微:ツンデレの原点だな。
苦:それはオタクの妄想ですが、現実論です。実際、演技としても、そして一人の君主があらゆる道徳的な評判を勝ち得ることは原理的に不可能だからです。
微:北畠親房的リアリズムだな。確かに高校以上に小学校では理想的な先生はいなさそうだし。
苦:よって、国家の損失を招くような悪評は退けなければなりませんが、その悪評が自国の存続の役に立つならばそれを払拭する必要はないと。
微:「あの担任、キレると何するかわからん」と警戒させるのも一つの手だと。
苦:さらに美徳であっても、例えば気前良さも、それが破滅に通じるなら悪となります。
微:「やる気を出させるために全員が100点取れる試験ばかりやるバカ教師」はダメと。
苦:特に気前良さは帝政ローマから皇帝の美徳でしたが、一部の人々のために大きな出費がかさみ、その負担がその他の大勢の領民に課されるなら憎まれるます。
微:お気に入りだけ優遇するやついるもんな。狂暴なやつは見ぬふりして。
苦:また、そのような出費を止めようとすると、逆にケチという悪評が立つばかりか裏切りを誘発します。よって、ケチであることは支配者にとって許容されるべき悪徳の一つとなるのです。
微:問題は納得される平等と重点的指導の境界線というかバランスだな。難しいけど。
苦:また、君主の気質として「残酷さ」と「憐れみ深さ」についても考察します。普通に考えれば、憐れみ深い評判の方が好ましいことは当たり前です。
微:卒業がピンチな高校生には憐み深い教員は人気あるわな。
苦:しかし、それでは鍛えることはできません。マキャヴェリは君主は臣民に忠誠を守らせるためには残酷であると評価されることを気にしてはならないと主張します。
微:まあ、崩壊というか無秩序なクラスって、ゴネればなんとかなったクラスだわな。
苦:はい。憐れみ深さが結果として無政府状態を生み出してしまう君主よりも、残酷だろうと安定的な統治を実現させることを重視する君主の方がマキャヴェリ的には優れているのです。
微:はいはい、学級立て直し最終兵器としての体育教師担任ね。
苦:その辺をリアルに描いたのが『鈴木先生』だったわけで。
微:体育教師のようなブラックな支配はしないが、あの手この手で生徒を操縦すると。
苦:基本、君主は信じすぎず、疑いすぎず、バランスの取れた思慮と人間性を以って統治を行わなければなりません。良き統治が悪政かは、同時代の人間には判断しかねるのは今も同じです。
微:最近、同時代も後世もダメ出しするような首相や知事ばかりだけどな。
苦:しかし自己の経験も踏まえ、マキャヴェリは、君主は「愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と言います。
微:でも「生徒に好かれる先生」像にこだわる人多いよな。
苦:というのも、美徳や評判を気にする高貴な人間でも利己的で偽善的なものであり、従順であっても利益がなくなれば裏切ります。
微:恐れられる君主、何を考えているか読めない君主にはそのようなことはない、と。
苦:次に「信義」ですが、これも間違いなく大事な徳です。ですが実際には信義を気にせず、謀略によって大事業を成し遂げた君主の方が優れていることも多いと。
微:それは古代的な価値観だな。トロイの木馬とか、ダヴェデとか知恵や策略で武力に上回る敵を打倒する「トリックスター」を評価する。まあ、ヤマトタケルも女装して油断させてたな。
苦:要は戦いは謀略によるものと武力によるものがあり、この二つを君主は使い分けるというか、どちらが効果的かを判断できなければならないということです。
微;それって、どちらもダメだった日中戦争、太平洋戦争時の指導者の批判?
苦:そうです。ダメな国というのは、そのダメな人間が指導者になる国なんです。
微:で、運命と徳の両方を兼ね備えたイタリア統一をなし得る理想の君主として描かれるのがチェーザレ・ボルジアだと。そして両方とも無いのが現在の東アジアの国々の指導者だと。
苦:『君主論』第26章は、最後にメディチ家に対して自分を「今日、ご尊家がこの贖罪行動の先頭に立つ他に、イタリアの期待に応えられる人がどこにあろうか」とヨイショして終わります。
微:助言とゴマすりの区別についてマキャヴェリ先生は何か言ってる?
苦:ないです。これが功を奏したのか、1520年にジュリオ・デ・メディチに顧問に登用されます。
微:このあたりは田中角栄の人心掌握術を思い出すな。わざと竹下を叱りつけたように。
苦:このようにメディチ家政権下で顧問的に用いられるようになったマキャヴェリでしたが、1527年のローマ略奪でメディチ家がフィレンツェから追放されると、彼も政権から追放されました。
微:『イソップ物語』のコウモリみたいなポジションになるもんな。
苦:一貫した共和制支持派からは「メディチ家に擦り寄った裏切り者」「目的のためには手段を選ばない狡猾者」と非難され失意のうちに、病から急死したのです。
微:身を以てマキャヴェリズムを示したわけだ。その点ではえらい。
苦:ちなみに宗教改革のあおりで、カトリック側の対抗宗教改革の一環で「禁書目録」が作られた際、『君主論』もそれに加えられ、焼き捨てられました。1559年頃と推定されます。
微:まあ、プロイセン王フリードリヒ2世は、ヴォルテールのマキャヴェリ推しに反論して『反マキャヴェリ論』を書いたけど、やってることはマリア=テレジアに容赦ない軍事行動だもんな。
苦:ルネサンス的リアリズムから、盛りと誇張のバロック様式の時代に移ったということで。
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