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世界史漫才14:王安石編

 苦:宋王朝と来ればこの人、北宋時代の政治家王安石(1021~86年)です。
 微:”ビッグ・ワン”こと王貞治じゃないのか。
 苦:現在の江西省撫州市出身で、「文人」らしく詩人・文章家でもありました。
 微:レンタルビデオの会員になる時、職業「詩人」と書いて無職をごまかしたキミとは大違いだな。
 苦:ほぼ同義だからいいんです。1067年(熙寧2年)に、皇帝神宗の側近たる翰林学士に抜擢され、「新法」と総称される政治改革に乗り出します。それを支持した官僚グループが新法党と呼ばれたことは教科書の通りです。
 微:「改革」「イノベーション」が毎日耳に入るけど、悪化しつづける日本なら、うんざりされただろう な。
 苦:ちゃんと政権を掌握して政策を実行していますし、当時の官僚の議論は文字化され美文で相手を攻撃しますから、「答弁は差し控える」なんてクソみたいなことにはなりません。ちなみに王安石の生家は家族が多くて生活は苦しかったのですが、儒学教養を積み、1042 年の科挙で22歳で第4位で進士となりました。
 微:何人ものキモヲタが一人でCDを1000枚買って投票したそうです。
 苦:AKBの総選挙じゃねえよ!! 王安石程の人物であれば、中央政界に進むと誰もが思ったのですが、その後は地方官を歴任します。多い家族を養うため、とりあえず本給以外に賄賂・手数料・役得などの実入りが良い地方官のほうを選んだのです。
 微:『巨人の星』でいうと左門豊作のポジションだな、弟や妹を養うために必死に働く。
 苦:そんなとこですね。この地方官時代の行政実務の経験、特に現実の商品経済・貨幣経済と国家財政の建前の大きなズレを実感したことが、彼の改革に影響したわけです。1058年、地方官王安石が神宗に提出した政治改革を訴える上奏文は大きな注目を集めました。上奏文を一般的に「万言書」と呼んでいましたが、これ以降、『万言書』はほとんどこの王安石の上表文の固有名詞と化しました。
 微:「福島」がアルファベット化されると固有名詞になるようなものか。
 苦:ややこしい喩えはいいよ、もう!! それだけこの文章が素晴らしかったんです。後に王安石と激しい論戦を繰り広げる事になる司馬光らもこの時期には王安石を賞賛する声を送っていました。
 微:2009年までの大阪の平松・橋本関係みたいなもんだな。
 苦:掘り返したるなや! この声を受けて1067年、王安石は神宗によって一地方官から翰林学士に抜擢され、更に1069年には副宰相となり、政治改革にあたったのです。王安石は若手の官僚を集めて制置三司条例司と言う組織を作り、翌年には主席宰相となり、本格的に改革を始めます。
 微:なんか「仕分けチーム」「専門家分科会」臭が漂ってきたな。
 苦:その改革の背景ですが、五代から宋にかけて商業活動が活発化し、平和の回復に伴って地方からの上供=税の移送も安定するようになり、しかも商業活動から得られる商税・塩・酒の専売などの収入を背景に宋王朝は非常に強い経済力・財政力を誇っていました。
 微:高度成長時代みたいだな。年度末の大蔵省「税収がこんだけ余っちゃったよ。何に使う?」状態。
 苦:しかし仁宗時代の1044年、西夏の形式的臣従と引き替えの歳幣支払い=慶暦の和約、その背景にあった遼(契丹)との澶淵の盟で定められた歳幣増額によって財政が悪化しました。そしてこれらの動きに対して国境配備兵力を宋建国時の40万人弱から120万人超に引き上げました。それにより軍の維持費だけで5000万貫から1億2000万貫ほどに増加しました。以上の要因で次第に財政が悪化し、英宗時代に赤字に転落したのです。
 微:このネタを材料にアメリカは「思いやり予算」増額や自衛隊の役割強化を政府に求めているのかな?
 苦:いや、歴史に学ばず、成功体験に執着する国だから関係ないでしょ。話を戻すと、官僚数の人員整理も大きな課題でした。一回の科挙で数百人が官に、つまりは実務をしない教養官僚となっていました。しかもがやるべき仕事がないので重複する不必要な役職、すなわち冗官が増えていたのです。
 微:日本の国家Ⅰ種みたいに、「合格イコール採用ではない」にしとけば良かったのに。
 苦:それをすると地域指導者たる士大夫が小作農を使って反乱を起こすからでしょう。なお3代真宗の代に「天下の冗吏十九万五千を減ぜん」との記録がありますが、吏は国家が採用した役人ではなく、手数料や賄賂によって生計を立てる実務役人のことですから、全く意味はありませんでした。
 微:原発処理の作業員を減らしても事故は収束しないどころか悪化するのにな。しかも日本は末端が上乗せするんじゃなくてピンハネされる側。東電発注時点で一人一日10万円が中抜きで手取り8000円。
 苦:戻しますね。そうなった背景も唐に遡りますが、安史の乱後の律令制の崩壊以降、律令と現実社会との乖離が生まれ、その間を使職と呼ばれる令外官を置いていくことで埋められていきました。
 微:それは、日本でいうと、平安遷都後に、律令とそれに基づく官制では機能しなくなったため、格式の編纂による現実対応と、関白・征夷大将軍・蔵人所・検非違使という「令外官」による現実に見合った行政・軍事が進められたことに一致すると。
 苦:まともな返しをすると却って不安なのですが。君子であることを求められる中国においては、官の面子・体面もあり、人員削減は進みません。また唐の時代の制度改革も計画性・長期的視点に乏しく、節度使の乱立に象徴されるように、体系的な官制を作るものではありませんでした。
 微:まあ、節度使削減をできただけでも上出来じゃないの? まあ日本なら開発領主の武装化から武家政権にすすんじゃうけど。
 苦:宋でもそれは基本的に受け継がれ、唐風の三省六部体制が形骸を残したまま、実際に政治を動かすのは使職という二重体制が続き、当然ながらこのような体制は非常にわかりにくくて非効率な上に、同じような役職が併存するようになっていたのです。
 微:ここは日本の危機管理や原子力行政と一緒だな。似たようなものが複数あって仕事と責任押しつけが仕事状態。ちなみに自称「原子力研究機関」は財団だけで10以上あるんだぞ、日本には。
 苦:しかも財政の外に目を転じると、経済の発展とともに台頭してきた大地主・大商人たちは、農地を買い占めていきました。さらに当時は現金納税が主流だったんですが、収穫期は穀物供給が需要を上回ることをいいことに安値で買い叩いていたのです。
 微:今の日本のワープア・サービス産業従事者状態だな。
 苦:科挙官僚を供給した士大夫層は、多くがこの大地主・大商人層の出身でしたから、この格差問題解消に着手した王安石はほとんどの官僚を敵に回すことになるのです。
 微:そろそろ新法の話にしないと延長戦に入るぞ。
 苦:はい。青苗法は1069年9月に施行されたもので、天災による飢饉に対する備えや貧民救済のために穀物を蓄えておく常平倉・広恵倉がありましたが、これの運用がまずく、蓄えられている穀物が無駄に腐っていくことが多発していたので、これを利用して農民に対する低利の貸付を行った制度です。
 微:今の農水省みたいに、でかい冷蔵倉庫を作ってタイ米を保管し、そこに天下ることはできないわな。
 苦:募役法は免役法とも呼ばれます。その理由は形勢戸たちは州郡の倉庫管理・租税運搬・官の送迎などの様々な雑用・負担を課せられ、その上、事故が起きたら全てを補償せねばなりませんでした。しかも本業の妨げになり、これらが元で破産してしまう形勢戸も少なくありませんでした。
 微:金の卵を産むニワトリを殺すようなものだと。
 苦:そこで職役を課す代わりに、その分を免役銭としてで納付させ、それを使って人を雇い、職役を行わせました。また元々職役が免除されていた官戸・寺院・道観・坊郭戸(都市戸籍者)や家族の体を成していない戸からも助役銭と称して免役銭の半分を徴収しました。
 微:江戸時代の江戸、大坂、京都、奈良の商人たちと同じですな。日本は被差別民を悪用したけど。
 苦:均輸法は1069年に施行され、当時、大商人に握られていた物資の運輸を発運使という国家機関を通して政府の統制の下に置きました。中央への上供品の回送を行って財政収入確保の効率化を図るとともに物価の調整を行うという一石二鳥の改革です。
 微:1980年代、日本は逆に国鉄を分割・民営化し、事故を多発させた上に責任逃れしてることを思うと、こういう輸送、教育、医療、水道といったインフラストラクチャー部門は民営化したら、ダメだな。
 苦:市易法は1072年3月に施行されたもので2つの面を持っています。一つは物価調整機能で、政府に納入する商品価格の査定を政府が定めた行に加盟した商人に任せ、大商人による勝手な値上げを抑制しました。もう一つが教科書にも出てくる、政府が中小商人や都市住民に対しての低利貸付です。
 微:銀行がリボ払いで借りてくれるアホがいなくなったようなもんだな。
 苦:始めた当初は担当役人の運用がヘタすぎて混乱したものの、軌道に乗ると、資金が下流層にもまわり景気拡大に大きく貢献しました。そして神宗後半期は莫大な市易銭運用利益を利用して、下 級役人・胥吏への給料増額や保甲法=共同体再生の費用に充てることができるまでになったのです。
 微:現代だったら、グラミン銀行みたいにノーベル平和賞受賞できるな。皮肉な平和賞しかもらえない今の中国政府と違って、誇らしく。
 苦:嫌みですねえ。あと、軍事に関する新法に保甲法と保馬法がありますが特に説明する必要はないでしょう。教科書には出てきませんが、農田水利法、淤田法、方田均税法など農業改良もあります。ですが、新法党と旧法党の対立の真の原因となったのは実は科挙改革でした。
 微:えっ、水道事業の統合話の破綻が原因じゃないのか?
 苦:いい加減、大阪から離れなさい。1070年の科挙から詩文の試験を大幅に縮小し、代わって経書の内容的理解とそれの現実政治に対する実践を論文に纏める能力を問う進士科一本に絞ったのです。
 微:「主体的・対話的で深い学び」だな。
 苦:ややこしい喩えですが、その線です。以後、進士が科挙合格者と同義になります。経書については『論語』・『孟子』が必須で、それ以外の五経はどれか1つの選択とし、しかも王安石親子が注釈を施した『周礼』・『詩経』・『書経』の『三経新義』を科挙受験者の必読の書としたのです。
 微:大阪市長に当選する前から市役所職員に忠誠を誓うかどうか市役所職員に踏み絵させた、副業で弁護士やってたタレント知事みたいな奴だな。これは嫌われるわ。
 苦:これの本当の狙いは、官への道を閉ざされながら行政の実務を担っていた胥吏・実務役人に科挙官僚への道を開くものであり、逆に言うと従来の科挙官僚を供給してきた形勢戸や大商人を中央政府から閉め出すものでした。まあ既得権益に胡座をかく抵抗勢力に打撃を与えるためなのであって、自己の名誉心のためではないんですけどね。
 微:大阪市民として、キミ、橋ボンに直言してこいや。 (♪チャンチャン)

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