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微苦笑問題の哲学漫才19:ヤスパース&フッサール編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回はドイツの精神科医でもあり実存主義の代表者の一人でもあるカール・ヤスパース(1883~1969年)と、オーストリアの数学者・哲学者で現象学のエトムント・フッサール(1859~1938年)です。
 苦:要するに、実存主義哲学のハイデッガーへのつなぎコンビ、21世紀初めの阪神で言うと藤川の前のウィリアムスと久保田だな。
 微:余計な喩えはいいです。むしろハイデッガーによって引導を渡されたコンビですね。
 苦:岡田監督に切られたカズ、俊輔みたいなもんか。
 微:まず、ヤスパースは最初は法学部にいましたが、1901年に医学の道へ転向します。
 苦:ラグビーの福岡みたいな奴だな。でもそれよりは賢そうなのは間違いない。
 微:医学部卒業後はハイデルベルクの精神病院の医師となります。ですがヤスパースは当時の医学界の精神病に対する姿勢に疑問を抱き始めました。
 苦:フーコーが描く狂人収容=隔離施設としての精神医学や、ドイツ医学特有の優生学的遺伝的サンプルというか断種対象として扱う体質だな。
 微:ええ、その方向はナチス政権で強化されます。1913年にはハイデルベルク大学で精神医学を教え始め、『精神病理学総論』を出版します。以後は臨床というか現場に戻ることはありませんでした。
 苦:ひたすら患者の言葉の正確な記述に徹する「記述精神病理学」を試みつづけて疲れたんだな。
 微:かもしれません。精神医学から哲学に転じ、1921年から1937年までハイデルベルク大学哲学教授を務め、その生徒の一人にハンナ・アーレントもいました。ナチス台頭後、妻のゲルトルートがユダヤ人であったことやナチスに対する反抗で、ヤスパースは大学を逐われます。
 苦:大学職員が議事録やフロッピーの日付データを改竄してまで、追い出しにかかったらしいな。
 微:それは21世紀日本の冤罪事件の話だろ!! 妻の強制収容所送致に対しては、自宅に夫婦で立て籠もって阻止し通しました。
 苦:ナチスは屋根裏にアミメニシキヘビを放り込むなどの嫌がらせを続けたそうです。
 微:それは2021年の横浜の話です!! 大戦末期、ヤスパース夫妻の収容所移送が決定され、もはや自殺する以外の道はないところまで追い詰められました。
 苦:ところで、ドイツも西からアメリカ軍、東からソ連軍に追い詰められていました。
 微:1945年3月30日にアメリカ軍がハイデルベルクを空爆・占領したため、移送を免れまました。
 苦:これが「限界状況」概念の誕生の瞬間だな。
 微:全然違うよ!! 第1次世界大戦の経験で露わになった、人間が置かれた、いかなる努力や科学の力をもってしても克服できない、逃れることのできない「死、苦、闘争、罪責」などの状況のことです。
 苦:率先して毒ガス兵器とか実戦投入した国に深刻な顔されてもなあ。
 微:さっき言った通り、第2次世界大戦もヤスパースにはそれ以上に限界状況だったんですがね。
 苦:間違ってねえじゃねえかよ、プンプン。
 微:「激おこ」付けないあたりに恥じらいを感じます。後年、「自国の政府に殺される寸前、敵国の軍隊に命を救われた」と述懐しています。
 苦:中国やミャンマー、アフガニスタンでも言えそうだな、うれしくないけど。
 微:この戦争体験は、後の彼の哲学に対して見逃すことのできない強い影響を与えたようです。
 苦:これが「超越者」概念の誕生の瞬間だな。
 微:それも全然違います!! ヤスパースによると、限界状況のうちに「超越者」との遭遇が隠されているそうです。ですが、自己の存在も、超越者を求める努力もともに挫折せざるを得ません。
 苦:なんか突然、ニーチェ臭がしてきた。
 微:その挫折を暗号として解読することで超越者の存在がを感知できるとヤスパースは主張します。
 苦:そんな暗号解読者は『ムー』愛読者くらいしかいないんじゃねえの? ほとんど宗教だな。
 微:限界状況の典型例が「自己の死」です。人は、それに突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する確実性の挫折を自覚させられます。
 苦:今度はハイデガー臭がしてきた。
 微:ヤスパースによれば、人は普段は気晴らしなどにふけることによって、実はすでに前提として限界状況のうちにあるのだということを忘れてしまっています。これはヤスパースの主張です。
 苦:ここをハイデッガーはパクったわけだな。
 微:そして、壁に突き当たって挫折する経験は、人を頼るべきもののない孤独と絶望とに突き落としてしまいます。
 苦:その点、キミにはボクがいるから幸せだな。
 微:逆です。しかし、限界状況に直面したときにこそ「実存的まじわり」や「超越者との出会い」によって、人は実存に目覚める、つまり自己存在の有限性を意識するのだと主張したのです。
 苦:「いやあ、土偶ですなあ」なんて軽い会話から交わりが始まったりしてな。
 微:それは「クレヨンしんちゃん」のお約束の挨拶だろ!! しかし、実際にヤスパースには戦後にこそ孤独と絶望が待っていました。
 苦:ドイツの戦争責任問題について論じた『責罪論』が原因で、周囲から「ドイツの裏切り者」扱いされて深く傷ついたんだろ。まさに「オマエが言うなぁ!!」だな。
 微:傷心のヤスパースは1948年にスイスのバーゼル大学に移ります。
 苦:誰も一緒に学食で食べてくれなかったそうです。
 微:それは便所メシの大学生だろ!! さて、ヤスパースの実存哲学における概念の残りとなった「枢軸時代」に移ります。
 苦:偶然とはいえ、枢軸国出身者が「枢軸時代」という概念を出すのも皮肉だな。
 微:これは、戦争とは関係なく、紀元前500年前後の数百年にわたって後の人類の思想史を方向付けた思想家・宗教が集中的に現れたことに注意を向けたものです。孔子、釈迦、ソクラテスに代表される思想家、宗教・学問が同時多発的に出現し、後世の諸哲学、諸宗教の源流となりました。
 苦:つまり、「松坂世代」だな。
 微:スケールが違いすぎるよ!! ヤスパースは、1949年の『歴史の起原と目標』で自らの歴史観を述べています。書名の通り、彼の歴史観は人類は一つの起源と一つの目標をもつという信念に支えられているます。これは明らかにキリスト教的終末史観です。
 苦:「目標」というのが中学生的で可愛い気もするが。
 微:非キリスト教徒向けには、そこで語られるアダムや神の国は、あくまでも象徴的表現、つまり解読されるべき暗号として提示されているんだ、と語ったそうです。
 苦:盗用を「元の記事の文章に引きずられた」と言い訳する新聞社みたいだな。
 微:さて、後半の主役フッサールですが、1859年に当時のオーストリア帝国、現在の現チェコ共和国のプロスニッツにユダヤ系織物商の子として生まれました。
 苦:『青きドナウの乱痴気』の余韻が残る時代だな。
 微:ライプツィヒ大学、ベルリン大学、ウィーン大学で数学の研究を続け、1883年に「変分法」に関する数学論文で学位を取得します。初めは数学基礎論の研究者だったんです。
 苦:普通は、そこからだと経済学者に行きそうなんだが。
 微:ですが、ブレンターノの強い影響から哲学の側からの諸学問の基礎付けへと関心を移し、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱するに至ります。
 苦:移り気なオッサンだな。
 微:さて、その現象学(phenomenology)は、哲学的学問及びそれに付随する方法論を意味するとしか定義しようがありません。哲学史上、哲学者によって現象学が指し示す概念は大きく異なるからです。
 苦:会社の規模や役職によって給料の減少額がそれぞれ異なるのと同じだな。
 微:文字化しないとわからないボケはもういいよ!! さて、そのフッサールですが、「諸科学(数学・物理学)の厳密な学としての基礎付けを行う」ことを目標にしました。
 苦:なぜ現象学が「厳密な学としての基礎付け」になるんだ? 意識の流れに浮かぶ像を巡る議論じゃないの?
 微:現象学には大きく二つの領域があります。フッサールが初期に提唱した超越論的現象学と、現象が現象として成立する地平である前意識的な領域を問うた発生的現象学です。
 苦:ボクが言ったのは後ろの方だったのね。
 微:彼が初めて現象学を提唱した1900年の『論理学研究』はゲッティンゲンから離れたミュンヘン大学に「現象学運動」を引き起こすほどの衝撃を与えました。
 苦:チリの地震が日本に津波警報をもたらしたようなもんだな、2回目は空振りだったけど。
 微:それでいいんです。さて、現象学は、大学で約2年間師事したブレンターノの「志向性」 の概念を継承したとされます。キミが言おうとしている性癖の方の「嗜好」ではないですよ。
 苦:先を越されたか!!
 微:志向性とは「意識」が必ず対象を指し示すこと、換言すれば意識とは、例外なく、「何かについての」意識であることを意味します。
 苦:無意識でも、意識していないものしか目に入らないということか?
 微:それもあります。フッサールは、意識がまず存在し、その後で対象が確認されるのではなく、意識と相対象が常に相関関係にあるという志向性の特徴に着目しました。
 苦:・・・ほとんど禅問答というか、荘子の世界だな。煮詰まるとドイツ人は東洋に逃げるのか?
 微:日常的に、私たちは、自分の存在、世界の存在を疑ったりはしません。この自然的態度をフッサールは批判します。
 苦:いちいち気にしてたら『トゥーマン・ショー』の世界。これもフィリップ・K・ディックか。
 微:第一に認識の対象の意味と存在を自明的としていること、第二に世界の存在の不断の確信と世界関心の枠組みを、暗黙の前提としているからです。
 苦:まさにフィリップ・K・ディック! 統合失調症じゃないかと疑ってしまう。
 微:最後に世界への関心に没入することで意識の本来的機能を自己忘却していることです。
 苦:ここにもハイデッガーのパクリ元があるな。
 微:このような態度の下では、世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることなんてできません。
 苦:いや、別にしなくてもいいだろ。
 微:これらの問題を扱うために、フッサールは世界関心を遮断し、対象に関するすべての判断や理論を停止することを要請します。このような態度を「エポケー」と言いいます。
 苦:聞いているオレは意識のエアポケットに入りそうです。
 微:エポケー、つまり意識について意識しているうちに、意識を純粋な理性機能として取り出せると主張したのでした。
 苦:そのために最後のデカルト主義者と呼ばれたりするわけだな。
 微:対象そのものを認識する一切の判断をエポケーし、純粋意識に至ること、これが現象学的還元です。
 苦:オレ的には円高差益還元の方がありがたいな。
 微:セコいんだよ!! 1916年にフッサールは、リッケルトの後任としてフライブルク大学哲学科の正教授となり、1919年には自分の現象学の後継者と期待していたハイデガーが助手となります。
 苦:人間性はともかく、存在自体を探究するやつだからな。
 微:そして1927年、ハイッガーが『存在と時間』第一巻を出版しますが、これを読んだフッサールは自分の後継者とも目していたハイデガーの考え方に自分との相違を感じ始めます。
 苦:いや、弟子は師匠の劣化コピーとなってはいかん。
 微:それに追い打ちをかけたのが『エンサイクロペディア・ブリタニカ』からの「現象学」項目の執筆依頼でした。
 苦:キミのところにも変な本のレビューを書きませんか、とamazonからメールが来るだろ?
 微:変な本ではありません。これは現象学が哲学として認定されたことを意味し、さらにフッサールにはこの項目をハイデガーにも書かせることで、後継者としてお披露目したいという意味もありました。
 苦:ブリタニカを使って襲名披露をやろうとした訳か。
 微:しかし、師フッサールの現象学の限界に誰よりも早く気づいていたハイデガーは師の希望に添わない原稿を書きました。この辺は木田元『ハイデッガーの思想』が詳しいです。
 苦:どこの世界でも師と弟子の関係は難しいな。
 微:1928年をもってフライブルク大学を定年で退官しますが、後任にはフッサールの強く推薦したハイデガーが就任しました。学問的決裂よりも才能を信じたのか、和解を期待していたのかは不明です。
 苦:ハイデガーに和解とかいう人間的態度はないよ。
 微:1929年にソルボンヌ大学へ招かれてデカルト講堂で「超越論的現象学入門」と題した講演を行い、それを敷衍して後期の代表作となる『デカルト的省察』を1931年に出版しています。
 苦:デカルト講堂というのが泣けるな。
 微:またサルトルは、若い頃、フッサールの現象学とはどんなものかを友人から聞いて「青ざめた」ことを記していますから、フランスへの影響の方が本国よりも大きいのかもしれません。
 苦:その時、ブルーハワイを飲んでいたそうです。
 微:そりゃ、カクテルの例で伝わっているけどね。なお、現象学はサルトル、メルロ=ポンティ、デリダらに批判的に継承されています。
 苦:それで「最初のポスト・モダニスト」とも呼ばれるわけだ。迷惑な現象だろうな。(ベタなオチ)

作者の補足と言い訳
 現象学は「フェノメノロジー」の翻訳語ですが、誤解を招きやすい言葉だと思っています。普通の日本語では、現象と聞くと、○○現象が生じ、その現象を背後で引き起こしているものは何かを探究することに、すぐにつながってしまいます。しかし、サルトルが聞いたカクテルの話が示すように、あくまで現象学は純粋意識におけるあるがままの認識を問題にし、その現れを意識するために「やりすごす」ためのツールたる常識的判断を停止=エポケーする、という話ですから、はっきり言ってデカルトに近い認識をめぐる議論のはずです。「はず」と書いたのは自分の不勉強さを自覚していることと、日本での優れた紹介がない(筆者が知らないだけならいいのです)ためです。ないのは、もしかしたら「必要ない」と事実を以て語っているのかもしれませんが。
 現象学については、正直言って、何がしたかったのかが理解できないというか、いまだに「腑に落ちる」自分なりの答えは出せておりません。ただ「やりすごす」ことが自然と増えるというか当たり前になるにつれ、時々は「手直しした書類やテスト問題をゼロからじっくりと見直す」ことの必要性は理解できるようになりましたが。そして将来、サギまがいの契約書でひどい目に遭った時、「純粋意識にあるがままの契約の文字がありありと浮かぶ」ことを意識できるようになるのでしょうが、そういう事態は避けたいので、そういう意味でも現象学はどうでもいいや、というのが正直な気持ちです。
 ヤスパースについては、彼は本業は精神科医であり、上記漫才で紹介した第2次世界大戦中のエピソードほど彼の思想と人生を集約したものはありませんので、補足することはありません。

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