食べもねんたる3

その店の名前はびくとりいラーメンと読む。
 漢字にすると魚籠开ラーメンと書く。

 ご覧のようにこのラーメン屋は絶望的にネーミングセンスがない。
 开も『とりい』の記号じゃなくてうっすら間違ってる辺りチェックも甘い。
 これでは『びくひらく』ラーメンであり、単に釣果を確認する釣り人のおっさんではないか。

 この尖ったセンスのなさは実際のラーメン作りにも発揮される。

 びくとりいラーメンのスープは里芋から取っている。
 魚じゃないんかい、せめて鳥であってくれよ。とりいだけに。
 そう思うのだが里芋1本だ。当然たいしたダシは出ない。
 オヤジは毎日、里芋ダシのスープを寸胴いっぱいいっぱいまで作る。

 その癖、メニューは『びくとりい醤油ラーメン 限定2食』しか存在しない。
 だから店の表の張り紙、

『スープが無くなり次第、閉店とさせて頂きやす』

 を貫かんとするといつまでたっても店じまいできない。
 うっかりしていて閉店時間を設けていなかったので、このダメージは計り知れない。

「休みが欲しい。人生を潤すトキメキが欲しい」

 昭和のドラマのOLめいた発想に囚われたオヤジは、毎日一案を講じる。


 3時過ぎ、店の戸が控えめにノックされる。
 ガラスの引き戸なので訪問者がモロ見えだからだろう、店主 高橋さんは露骨に嫌な顔をする。

「スープ作りすぎちゃったんだけどぉ」

「アパートのお隣さんが『シチュー作りすぎちゃった』時のノリで気軽に寸胴鍋を持ってくんじゃねえええ!
 それも毎日、持ってくるんじゃねえええ!!
 うちはあれか、大家族スペシャルかなんかか!?そうであってもダシだけいらんわ!!」

 するりと店内に入ってきたラーメン屋の店主に、高橋さんは矢継ぎ早のツッコミをぶつける。
 今日も『間に合ってます』と店外で追い払うことが出来なかった。
 このラーメン屋が最初に見せるダッシュ力はなんなんだ。
 テニスの王子様に出てきた「ボールより速く走るのでは?」男の成れの果てなのか。

「いやいやいや、長いことお隣さんじゃないか。大家族じゃないのは知ってるさ。
 ほら、なんだ。
 あんたの職業柄、こいつが役に立つんじゃないか、と思ってね?」

「『思ってね?』じゃねーんだよ!!うちは自転車屋なんだよ!どこでスープを大量に使うと思たんだ!」

「自転車って油差すやん?油といえばラーメンやん?」

「誰が悲しゅうてラーメンスープを自転車に差すんじゃあ!
 てか、お前んとこのスープ、油出てねえだろがー!芋しか入ってねえだろがー!!」

「高橋さん、あんた、なんも分かっちゃいないな・・・・・・」

 ラーメン屋の主人は大仰に手を広げる。これには高橋さんも出鼻をくじかれた。

「え・・・・・・?まさか、出るの?芋から油・・・・・・?」

 ラーメン屋はにやりと笑う。
 しかし、もう『まあ、油出てもいらないことにゃ変わらんけど』と否定された後なので結果はどうあれ事態は変わらない。

「実はね、このスープ・・・・・・」

「・・・・・・」

「今日から、里芋も、抜きました!」

「それは、ただの湯だ」

「ドッ!」

「ウケるな!あんたのただの失策だ!!」

「はい!こうしてグダグダ話している隙にわたくし作業を終了いたしましたー!」

「作業って?あ、あーーー!!お前」

 ラーメン屋の背後を見る。
 と、
 床の上には裏返された無数のサドル。
 サドルを支える筒の中にはなみなみとスープが注がれていた。

「後ろ手に隠して、灯油入れるキュポキュポで一生懸命入れました」

「何やってんだお前ーーーー!!筒からスープがこぼれて座面の裏に溜まっとるー!!
『グラスで日本酒を頼んだら、受けの枡いっぱいまで入れてくれました』みたいになってんじゃねえかーーーー!!」

「違うよ高橋さん。芋だからどっちかっていうと例えるなら焼酎」

「その芋も入ってねぇんだろがー!!」

 高橋さんは罵倒も忘れて、サドルを元に戻して回る。
 その間に自分の片づけを終わらせたラーメン屋はにっこり笑って引き戸に手をかけた。

「じゃ、ぼくちん、さらにお隣にスープおすそ分けしてくるねー♪」

「さらに隣・・・・・・?
 やめろーーー!そっちは熱帯魚屋だー!!水槽に熱湯を注ぐ気かー!!」

 高笑いで去るラーメン屋を追って、高橋さんも店を駆け出した。
 騒ぎが商店街を順々に遠ざかっていく。


 まあ要するに、営業時間でもラーメン屋は仕事をしていなかった。

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