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『アドラー心理学の教え』を読んで救われた話

こんにちはパトグラです。

今回は『アドラー心理学の教え』という本を読んで私が救われたと感じた考えをお話しようと思います。


目次

第1章 人生を変える「逆転の発想」

・アドラー心理学とは何か?

・過去の経験は、自分の生を決定しない

・「ライフスタイル」を変えれば、人生は変わる


第2章 自分を苦しめているものの正体

・劣等感は、人類の進歩の原動力

・生きづらさの原因になる

     「劣等/優越コンプレックス」

・競争する相手は他者ではなく自分である


第3章 対人関係を転換する

・すべての悩みは対人関係の悩みである

・なぜ他者を「敵」だと感じてしまうのか?

・対人関係は「課題の分離」で考える


第4章 「自分」と「他者」を勇気づける

・人間の幸福のカギを握る「共同体感覚

・すべては「自己受容」から始まる

・「自分の価値」を確認する方法





最初に私がこの本読んで救われた話をします。


私はいつも他人と自分とを比較していつも落ち込んでいました。

正直今思い出すと恥ずかしいことですが前の自分は面倒くさい人間だったけど、この本を読んで面倒くさい自分を受け入れて成長することができました。


早速本題に入ろうと思います。


第1章 人生を変える「逆転の発想」



「アドラー心理学」とは

心理学者アルフレッド・アドラーが「人とはどう生きるべきか」を問いかける物です。


そのアドラー心理学が近年、「幸福になるための道しるべ」として日本でブームを巻き起こしました。


アドラーの提唱した心理学のことを日本では
「アドラー心理学」と呼び、アドラー自身は
「個人心理学」と読んでいました。


アドラーは「人間をタイプで分類すること」への否定があり。他の誰にも代えることのできない個人のどくじせいに注目し、一人ひとりがどのように生きていくべきかを考えた物です。


過去の経験は、自分の生を決定しない

 人は誰しもが同じ世界に生きているのではなく、自分が「意味づけ」した世界に生きていると考えることです。

 同じ経験をしても、意味づけ次第で世界はまったく違ったものに違ったものに見え、行動もちがってきます。


これを呼んだ時私は、寓話の『双子の運命』というお話を思い出しました。



内容は

父親が麻薬の常習犯で、酒によっては母親と子どもに暴力を振るう過酷な環境で育った双子がいました。


双子が30代になったとき、双子のうちの一人は薬物中毒になり、生活保護を受けていた。彼は暴力が原因で妻と子どもは家を逃げだしていた。


もう一人はビジネスして幸せな結婚生活をし、素晴らしい親になっていた。



私はこの話を聞いて

まさしくその通りだと思いました。

一人はそれ以外の生き方を知らないと「それが自分の全てだと意味づけ」


一人はそれ以外の生き方をを模索する「自分の父親を反面教師とする意味づけ」をしたんだと考えました。 


「不幸な経験」をどのように意味づけするかは自分次第それによって行動は大きく変わる。


つまりなりたい自分になるのは自分次第で簡単になれるのか。


これを知っていれば人生のハードルはぐっと下がると私は思いました。



「ライフスタイル」を変えれば、人生は変えられる

このように「意味づけ」次第で私たちの生き方や行動は大きく変わります。

アドラーはそれらの行動を「ライフスタイル」

といいます。

ここで言う「ライフスタイル」は自分の手でとるものです。


人間は環境因に左右されますが最終的な決定因は「本人の決断」のみです。


「ライフスタイル」は自分で選び取るものなので、もし変えたければ、簡単に変えることができます。

それを変えられないといい人は、「変わらないでおこう」という決心をしているだけなのだとアドラーは考えました。


人は自由変化することができまる。変わることができるのが人間の凄みだと私は思います。



人生に与えられる意味は、人の数と同じだけある。







第2章自分を苦しめているものの正体


劣等感は、人類の進歩の原動力

アドラーは、「劣等感」に注目しました。

多くの人は「自分を好きになれない」という劣等感に悩んでいます。しかし劣等感と付き合えば、飛躍の原動力に変えることも可能です。





人は常に自分のためになることを追及して生きています。何が自分にとっても善いであるかと判断をします「今よりもすぐれた存在になりたい」と思う日々を生きています。


アドラーはこれを「優越性の追及」と呼び、人間の普遍的な欲求だと考えました。


そして、ここで言う劣等感は「理想の自分と現実の自分の比較」から生じるものてす。


優越性の追及と劣等感は、共に努力と成長への刺激になるのです。




生きづらさの原因になる「劣等/優越コンプレックス」


一方で強すぎる劣等感と過度の優越性の追及は

「劣等コンプレックス」「優越コンプレックス」と名付け、人生にとって不幸になるものと考えました。


具体的に劣等感を「言い訳」に使うこたを劣等コンプレックスと呼び


一方、自分を実際よりも優れているように見せようとするのが、優越コンプレックスと言います。



私の考えは他人との比較はしてもいいです。

しかしそれでいちいち落ち込まない!!

あくまでも自分の実力を知るために比較、盗めるところは盗んで、自分の成長に繋げることが健全だと、思います。


また、実際の自分よりも優れて見せることにも私はいいと思います。

実力が後からついてくるものだと考えたからです。ハッタリで成長に繋がる環境を作ることで嘘が本当になれば儲けものですよね。

しかしマウント目的のハッタリに意味はないです。周りの気分を悪くするだけなのですぐにやめましょう。


競争する相手は他者ではなく自分である

このような劣等コンプレックスや優越コンプレックスから脱却するには、まずは今、自分の優越性についてどう解釈しているかを意識化することが必要です。


「優越性の追及」とは『競争』ではありません。

競争は、精神的な健康を損ねるもっとも大きな要員です。


ここで大事になるのが「すべての基準は自分」ということです。たとえ誰かに追い抜かれようとも、昨日の自分よりも成長できていたならそれで良いという考えです。


自分のペースで一歩一歩前に進むイメージです。


それこそが「優越性の追及」ということです。


感情は人のライフスタイルの
表現であり、

ライフスタイルを変える時に
だけ根絶される。








第3章 対人関係を転換する


すべての悩みは対人関係の悩みである

アドラーは「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言っています。


人が一人で生きているのであれば、そこには善悪もなく、言葉もいらない。孤独てすら、他の人がいるからこそ生まれてくるものです。


どんな問題も行き着く先は対人関係と言えます。


対人関係の問題を抱える人は他者を「敵」と見なしています。


私も学生時代は先生や同級生が「敵」に見えて怖かったです。


ですがアドラーは「他者との関係に入って行きたくない」という目的があり、他者との関わりは必ず摩擦が生まれ、嫌われたり、裏切られたくないといった恐怖からのものだと考えました。


底でまずは他者に対する意味づけを変える事柄必要になってきます。


他者を「敵」ではなく『仲間』と考えて見れば、人生は大きく変わります。






なぜ、他者を「敵」だと感じてしまうのか?

その理由は「自分が世界の中心にいる(いたい、いなければならない)」という意識を持っているからです。


自分を世界の中心だと考えていまうのは子どもの頃、親からの愛情をいっぱい受けたからです。親にとって子どもは一番の王子様、お姫様です。しかしそれは子どもの頃だけであくまでも例で否定するわけではないですが、プトレマエオス(天動説を唱えた人物)の考え方で、自分が中心に世界が回っていると考えていると。現実とのギャップに戸惑うでしょう。


なぜならその考えは「他者は自分に何をしてくれるのか」にしか興味を示さない大人に成長してしまうからです。


思うようにならないと、不機嫌になったり、こうげきてきになったりしてしまうのです。


このような人は強い「承認欲求」を持つようになるかもしれません。


他者にほめられたい、認められたいたいという欲求があるとさまざまな問題が生じます。


それは、してあげたことに対する見返りを求めてしまい。見返りがないと落ち込んでしまうかイライラしてしまうからです。




対人関係は「課題の分離」で考える


承認欲求や、世界の中心に自分がいるという意識から脱却するには、「課題の分離が必要」です。


自分の課題と他人の課題を切り離して最終的にその責任を誰が引き受けなければいかないのかを考えれば、その課題が誰の課題なのかわかります。



つまり他者があなたをどう思うかは他者の課題であってあなたの課題ではないです。


「他者を支配したり操作したりすることはできない」というだいぜんていにたつことが重要です。


自分の課題に直面するとは、

人生の3つの課題

(仕事、対人関係、性)を

協力的な仕方で解決するという責任を持つことを意味する。




第4章 「自分」と「他者」を勇気づける


人間の幸福のカギを握る「共同体感覚」


共同体感覚とは

人間の弱さ、欠点、限界をのために、いつでも他者と結びついているということ<他者と結びついている>ということをアドラーは、「共同体感覚」と言いました。



生きる喜びや幸福は、他者との関係からしか得ることはできません。

そのことを指して、アドラーは、「自分自身の幸福と人類の幸運のためにもっと貢献するのは共同体感覚である」と言いました。


その考えが欠如したら、他人を蹴落としてでも出世したり、戦争をはじめようとするでしょう。


この話を聞いて『接ぎ木をする老僧』という寓話を思い出しました。


簡潔にいうと

老僧は今、接ぎ木をしてもこの木が大きくなる頃には死ぬから、やる必要がないだろうと、将軍が笑ったところ、老僧は今、接ぎ木をしておけば後世の代になってどれもが大きく育っているでしょう。決して私一代のことだけを考えてやっているわけではありませんと言った。


将軍は老僧の言うことに納得し感心した。




私はが思うに

幸せとは誰かに与えられるものではなく「与えるもの」なのだと思います。


綺麗事を言う気はありません。与えると言うことは自分に価値を証明したと言うことです。ようは自己満足ですけど自分のことを好きになれることは十分幸せなことだと思います。そして、その自己満足を今だけでなく未来の人たちに繋げることを意識していればそれが貢献に繋がると考えました。




すべては「自己受容」から始まる


共同体感覚を得るには、次の三点が不可欠。


一つ目は

「自己受容」ありのままの自分を受け入れることです。今の自分に不満はあるかもしれませんが、そこから自分を好きになる努力をすることがポイント



二つ目は

「他者貢献」他者の役にたてたと思えれば行動は必要ない。

しかしこれは他者を仲間だと信頼しなければできない。



三つ目は

「他者信頼」他者を仲間だと信頼する。

しかし、「自分のことを好きだが好きだが、他者は敵」という考え方では行けない。





「自分の価値」を確認する方法


アドラーはそのキーワードとして

「ありがとう」という言葉です。


ありがとうとは対等であることを意味します。

叱るやほめることには前提として上下関係があります。


相手から対等と見られていないのに、「自分に価値がある」と思える人はいないでしょう。


「ありがとう」という言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献出来たこたを知るのです。




人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。


自分自身の幸福と人類の幸福のためにもっとも貢献するのは

共同体感覚である。




感想

アドラー心理学の教えを読んで、対人関係のド下手な自分でも好きになろうと考えることがデキマシタ。


劣等/優越コンプレックスは誰もが陥りそうで怖いところではあるのですがこの本を読んだ人ならそのリスクを回避できるかもしれないと思いました。


自分らしく生き、一歩一歩前へ、昨日より明日、自分が成長できるようにコツコツと積み上げて、限界を越えた行けたらいいと思います。




ここまで読んでいただきありがとうございました。


あせらないで自分のスピードでこれからも頑張っていこうた思います。


あなたがこの記事で幸せになれることを願います。