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狂喜乱舞のバレンタイン


今年のバレンタイン当日。




予約していたテニプリのリョーマ様の
バレキス(バレンタイン・キッス)のCDが
1月下旬に届いて、YouTubeで音源解禁に
なってからは最低1日3回くらい聴いていたし、 2月14日になった直後フルで聴いた。
テニプリ祭りのおかげで2月14日の0:00から
テニプリバレキス祭りしていて(ニコ動で24時間歴代バレキスが流れる狂喜乱舞)、今年のバレンタインはそれだけで楽しい。



テニヲタ万歳。2/14 0:00をまわったところから始まってテニプリバレキス祭りを1周聴いてやる!と思っていたけど眠すぎて途中で寝落ちしている間にブンちゃんの1周目を聴き逃した。


朝というかお昼前に目覚めてつけたら
ロードが遅くて全然繋がらない間にまたブンちゃんが終わっていて、やっとリョーマ様だけ聴けたと思ったらリョーマ様の歌の途中で通知が連続できてマナーモードにはしていたけど、通知のバナーが次々入ってくる。


ああああああ、邪魔しないでよおおおお。

今、リョーマ様が、歌ってるんだよ?


そんなこんなで、なぜか跡部様のバレキスとか
ラッキー千石のバレキスとか、やっぱりイケメンがすぎる不二先輩のバレキスとか、あまりにもキュートすぎる菊丸くんのバレキスとか、もう笑うしかない吐息ばかりの忍足侑士のバレキスとかは聴けたのに、リョーマ様とブンちゃんは全然聴けなかった。


バレンタインデーだけど、今年は


悲しいことに?出かける予定はない。


悲しいのかな?わからないけど。
デートあったらバレキス聴けないじゃん?
だから、今日はデートもなくて仕事もなくてラッキー!!って感じ。



だけど、今日がバレンタインって考えたら、
SNSなんかをみたら
なんだかやっぱり少し寂しくって。


親愛なる友人は、奥様から
バレンタインもらうのかなとか、

一昨年結婚した友人は今年も旦那さんにあげるのかなとか、

インスタ見てたらお子さんにバレンタインをつくる素敵な方とか、彼氏から逆サプライズされてる彼女とか、

そういえばゆうこすもバレンタインは仕事終わったら彼とお家デートかなあって言ってた気がするし。



別に悲しくなんかないし、恋人がいないとダメなんて思わないし、それぞれのバレンタインの過ごし方があるからさ、ヲタ活も自分チョコも、女子校バレンタインもめちゃくちゃ楽しいよ。

知ってる。


でも、私は寂しい。


寂しいのは認める。


寂しいなぁと思って布団の中にくるまっていたら、なんだか涙が出てきて。夜神くんに会いたいなぁってまた思っちゃった。


けれど、その時ふと、寂しさを誰かで埋めたいって気持ちって、やっぱり依存なのかなあとか、余計なこと色々考えた。


 わたし、バレンタインに恋人がいたこと、ないんだよなあ。


 大学2年の時までは恋人がいなかったし、
大学3年の時は恋人と別れた直後だったし、
大学生4年の時はやっぱり恋人いなかったし、
M1の時もいなかったし、その後告白されてちょこっと付き合ったけどそう言えばあれもバレンタインとホワイトデーの間くらいの期間だったような気がするし、M2の時は、それどころじゃなかった上にそれにバレンタインデーが口頭試問だった。

既卒1年目もいなかったし、2020年は夜神くんと別れた後のバレンタインだったし、昨年もいなかったし、結局今年もいないし。



 だから、バレンタインを"バレンタインらしく"過ごしたのってなくて、大学2年生の時に、当時仲が良かった友人2人に、ガトーショコラだったかな、をつくって渡したのが(そのうちの1人は振られた後だったけど当時はまだ好きだったから)まあバレンタインっぽいことをした最後な気がする。あれ以来お菓子作りしなくなったなぁ。




 女子校時代のバレンタインは、まさに、カーニバルだった。毎年手作りしてみんなで交換して楽しかったんだよなあ本当に。



 この記事、書き方好きで何回か引用しているけど、ほんとにこういう感じだった。


 沙波さん、素晴らしい語彙力であの楽しいお祭りを世の中に知らせてくれてありがとう。




 こういう生活がもとになっていたからさ、
バレンタインって、
私の外の世界では本命?とか義理チョコとかなんとか色々言ってるみたいだけど、

 私の世界での認識は、リオのカーニバルばりの友チョコの祭典でさ。もうそれが本当に最高なんだよ。


本格的なガトーショコラとかチョコをハート型に流し込んだものとか、アイシングクッキーとか、ブラウニーとか、はたまたチョコじゃなくて別のケーキ系とか、色々あるけどみんなタッパーに入れてきたり、まるでお店のようにリボンもつけて包んできたりして交換して。クオリティ高いの。


 部活に行ったら部活の先輩や後輩とまた交換したりして。先生にあげる子がいたりもして。


 私の学校は、当時は、
学校にバレンタインでお菓子を持ってくること自体は禁止ではなかったから(もちろん授業中に食べるとかはなしだけど)楽しくって仕方ない。


 だからさ、私にとってバレンタインが
いわゆる異性でなくても、いわゆる
本命チョコみたいなのを示すことを感じるようになったのは小学生以来次にきたのは、20歳のときだったんじゃないかな。でも、小学生の時、チョコ交換してた覚えがないから、渡していたのかどうかすら覚えてないや。小学生の時も女友達に友チョコもらったからお返しだけするみたいな感じだった気がするし。

 それで、そんな程度のもんだから、むしろいわゆるこういう行事も含めて日常における"ジェンダー"みたいなのをすごく痛感するようになったのは女子校を卒業して大学で共学に入った時だった。



 女子校に行きたくて中学受験したからさ、女子校在籍時代も心底感じていたけれど、
大学以降"共学の世界"に生きるようになって
なおのこと
わたし、中高女子校に通って本当によかったぁってこういう時に思う。



 この世の中を生きていく中で、女としてではなく、人間として扱われる6年間ってのは貴重だよ。しかも、ティーンというあの、人格形成期に、女子校という世界で、"女性"ではなく"人間"として扱われるというのは本当に最高だった。男の目がないというだけで、みんな強くたくましく、それからすごく自由になる。



 共学出身者を見ると今もやっぱり思うもん。

この人たちってずーっと、
男と女がごちゃ混ぜになった社会の中で、
男として女として、扱われて生きてきたから
男の人は女の人の目を、
女の人は男の人の目を
無意識に意識してるというか、


わかるかな?


 性別役割分担みたいなのが、
生まれてきてしまっている気がするの。
そこに、、と、が存在しているだけで。



女性同士で会話するときですら、
男性に見られている自分、という意識を、
もう呼吸以上に無意識にしてしまってるんだろうなぁとか。それが良い悪いではなくて、事実としてね。


大学以降共学入って自分がその立場になって
すごく思った。



そんな私は、大学入って最初の1年半くらいは、
やっぱり"女子校出身者の自分"の要素が強かったけど、男友達ができたり、共学の世界で暮らすようになって、好きな人ができたり、"共学女子"と一緒に過ごすようになってやっぱり自分も"共学女子"になったよね。

(※念のため記載します。
ここでは"共学女子"を、
あえてクォーテーションをつけて、
女子校という特殊で(女子校出身者にとって)
特別で最高だと感じられているあの自由な場、と比較した際の"女子"として扱われ、己を"女子"の区分に無意識に葬る不自由さを引き立てたいからであって、共学だからダメとか、そういう意味ではありません。あくまで「中高が女子校のバレンタイン、本当カーニバルで最高だったのは…」っていう話を引き立たせたいだけです)

同じ大学で、別の女子校出身だった、大学1年生の時1番仲良かった友人が、大学2年以降に私のこと嫌になって縁切られたのも、たぶん私がその、"共学女子"になる過程で、「自己」をなくしていたからだとおもう。


これは別に共学が悪いとか共学に入ったらこうなるとかじゃないけど。でも、多かれ少なかれ長かれ短かかれ、女子校から共学に行った人は、この期間がある人もいる。私の友人にもいたし。


 そういうの過ごしたからかな、いや、私自身がグラグラしてたからなんだろうけど、私はだんだん弱くなってさ、弱い自分を曝け出すようになって、別にそれが悪いことではないんだけど、こんなに鈍感で疎い私ですら男性の視線とか、男性の言動とか、男性がこう言ってたよと言ってくる女性の言動とか、何もかも気にしすぎるようになったりしたよ。


 そんなこと、高校生までなかったのにな。


 でも、そういうのをそれでもまだ20代前半の若い時に経験して良かったかなって今は思う。


 私の源流には、女子校出身の、
強くしなやかな人間の血も流れているし
そこから共学に曝された時の
今まで"人間"としてしか認識してこなかった自分が“女"としてみられ、私自身も"女である自己"を周囲の人や女に対しての"男"の存在によって、より"自分の女性性"みたいなものを押し付けられたり、自分で押し付けたり、感じたりして、押し付けられてっていうけどそれがいつも必ずしも悪かったわけじゃなくて嬉しいことも良かったこともあった。



 けれど、いつも忘れ去ってしまうけれど、
私が強く立ち上がれる時、強い時、
しなやかでいる時、それは私の女子校経験をもとにした、"女"としての自分ではなく"人"としての自分という根本にある。


 だから、私は、女子校に通ってよかったと思う。ここ数年になって、ジェンダー論がすごく叫ばれるようになって、息苦しさを発する人を見るたびに、女子校世界には、(もちろん、すべての女子校ではなくて、ここでいう女子校は、良妻賢母を推すような学校は除きますね。あくまで私の母校での生活において、)

"女としての役割"を毎日無意識に押し付けられる世界も、意識する時間もこれっぽっちもなかったよなあとつくづく思って、だからすごく楽しくて生きやすいんだよなぁあーと感じる。


 そういう時を過ごして大人になったから、
私の中枢にも、いつもは忘れかけていても
"前提として一人の人間である私"というのがあるし、だから、あの、カーニバルの世界の楽しさは十分にわかっている。でも、


 だけどもそれでも大人になった

私は、

 今のところ異性愛者で、今のところ結婚したくて今のところ恋愛が好きな私は、それでも、
恋愛感情においてたびたび、


 やっぱり寂しいな、と思うことはある。


 その寂しさは、初めて彼氏ができた時から、
寂しいとか甘えたいとか、そういうのはわりと恋人の前では出してきた方だと思う。だからやっぱりそれは、私の世界の中に確実に"異性"がまじってきて、ジェンダーや性(sex)の違いを感じるようになってきた時だったと思う。でも私は、不器用で、ずっと不器用できたから、その寂しさの感覚をうまく伝えられずにきた。


 きっとそう。なんていうかなあ。





 恋人がいないから寂しい、ではないんだよね。


 恋人がいなかろうが、女友達と会わなかろうが
ひとりで過ごしていようが幸せで楽しくて、満たされている。女子校時代のように楽しい。


 確かに満たされてはいるのだけれど、
その上でも恋人と過ごす時間の幸せや楽しさの種類も味わってしまったから、そういう幸せを今世の中の人が存分に感じている時に、私はそれを楽しめない時間があると感じる。


 恋人がいなくたってマイナスではないけれど、
恋人と一緒にいられたらAという楽しさを味わえて、かつ、日々ヲタ活したり1人でのんびり過ごしたり、友達と楽したりその、それぞれBという楽しさ、Cという楽しさもあるなかで、


 恋人がいないというだけで、Aという選択肢を選べないそれが寂しさを感じさせるのかなと思う。


 だって、Instagramで彼氏に会っている子たち、すごく楽しそうで幸せそうだし、奥様からバレンタインもらう友人たちや旦那様にバレンタインをあげる友人を見たらそれだけで、ああなんて幸せそうなんだ!!素敵だ!!!と思うもん。私もそういう幸せを選択する側にいたいもん。


それにさあ、リョーマ様たちに散々バレキス歌われてたらさあ、なんだか歌詞が刺してくるんだもん。リョーマ様もブンちゃんも、三次元には存在しない一方通行なのにさぁ。


明日は特別、スペシャル・デイ
一年一度のチャンス OHダーリン、
(デュワ デュワ)OHダーリン
I love you

誰もが浮かれてカーニバル
彼氏のハートを射止めて OH BABY
(デュワ デュワ) OH BABY
LOVE ME DO!
「バレンタイン・キッス」


 なんでしょ?


 うきうきしてるじゃない!そういう時の渡す側はすごく愛おしいよ。


 幸せそうじゃん!



こういう時はいつもより一層、寂しいなぁとか会いたいなぁとか、考えちゃうんだよねえ。


 バレキスをずっと聴いていて夜神くん、
やっぱり会いたいなぁと思っていたら
バレンタインの日、予定もなくベッドでウダウダしてる間に突然涙出てきてすごい泣いた。でもね、涙は浄化作用があるから、定期的に流した方がいいって最近は考えているし、自分ひとりで泣いて自分ひとりでその寂しさとか悲しさとかなんかわからないけど出てくる涙をたくさん感じて受け取ってその時の自分をちゃんと受け止めようと思うの。


寂しさなんかないもんね!って
自分の感情や気持ち、想いを否定してしまうより
寂しいものは寂しい、って認めた方がいい。


別に、寂しいって言ったからって、
寂しさ100%じゃないし。だからこそ、
幾分かでも寂しいと感じたその心の数パーセントが感じている寂しさは、別の数パーセントで感じている楽しさとか、また別の数パーセント感じる幸せと同じように受け止めればいいと思うんだよね。ああ、寂しいんだなあって。


やっと、少しそう思えるようになってきた。


26歳27歳くらいまでは、やっぱり
寂しさを我慢して我慢して、
寂しいって言わないとか
その他悲しみとか怒りとか辛いとかも、

悲しいって言わない
嫌だって言わないとか
辛いって言わない


って、マイナスなことは言わないんだ!と思ってけれど、どうしても積み重なって、積み重なり過ぎて

寂しさの箱がいっぱいになってついにどぱぁっと洪水が起こって寂しい寂しいって言葉にするにしろしないにしろ出てきちゃったり、

嫌だ嫌だ嫌だを、押し殺して箱の中に押し込めていたら、その箱を押さえつけている自分が苦しくなったりある日突然、その箱がやっぱり開いちゃって、我慢ならなくなったり、


辛いなと思っても、頑張らなきゃとか、辛いと思ってはいけないとか無意識のうちに頑張る頑張る、まだまだ、と思ってたら、辛いの箱がパンパンでそれどころか何箱も積み重なっていて、ある日突然全部が開いちゃって、雪崩が起きて、辛いの海の中で溺れて心や時に身体すら壊してしまう。


 そういうもんなんだろうって思うようになってきた。だから、誰彼構わずいうのは違うだろうけど、私は、今年は恋人がいない寂しさを否定しない。


 別に恋人がいないからって不幸せではないし、恋人のいないクリスマスやバレンタインは楽しくないわけじゃない。


 そして、そんなクリスマスやバレンタインの楽しさを知っているのは、たぶん、女子校生活の中で、あれらの時期をカーニバルのように過ごした、あまりにも楽しすぎる経験を過ごしたからだと思うし、


 私が寂しさを感じている時は、
間違いなく私は「男という存在を前提とた"女"」で、


 「人」ではない。


 そして、女としての役割とか、女性だからとか、、に縛られたり、自分をすごく"女"として扱っているときだ。でも、それしかない世界じゃない場所を知っているから、そういうものから解放される世界を知っているから、それが心地いいことを知っているから、女子校って最高って思える。



 寂しさと不幸せは別物。


 恋人がいたって寂しいし、恋人がいたからって幸せじゃないことも知っているし。


 でも、夜神くんの存在に縛られて、まだ前に進めなくて、ただもがいて寂しさを自分で錬成してしまっている私というのは、不幸せな人間なのかもしれない。


 頭では、ひとりで立つこと、自立していること、自分一人でも幸せであることが大事だってわかっているのに、

 その実、現実の私は、過去の恋愛から抜けられず、もういない夜神くんの存在にしがみついて、縛られて、自分を縛り付けて、前にも横にも進めなくして、誰かであいた穴を埋めようとしている。


 それも、ちゃんとわかっている。


 分かった上で、夜神くんの存在にしがみつくことで新しく傷を負わないように、ただ次に進むことでまた新しく覚える幸せや恐怖や寂しさや傷を生まないようにしているだけで。


 わかっているけど、アラサーに近づいてくると、だんだん大人になってくるとね、


 やっぱりどうしても、若い頃のように気軽に人を好きになれなくなって、気軽に恋愛を進めれなくなるし、結婚したいと考えている私にとっては考えてしまうことよ。


でも、そういうことをすごく現実的に考えるようになってから、一層、


 リオのカーニバルのようなバレンタインを楽しんでいた頃が、最高に楽しかったぁ

と思える。あの頃最高に楽しかったのは、

 女子校という特別で最高な環境のほかに、


 ティーンという若さがあったのかもしれない。






テニプリのみんなのバレキスを聴いていたらね、


"でもリョーマ様はおモテになるじゃない"


"ブンちゃんは女の子と一緒にむしろお菓子作ってそう〜"


"ほら、跡部様も不二くんもリョーマ様もブンちゃんもみーんなみーんな顔よし、運動よし、体型よし"でおモテになられる方々じゃないの〜。って思っちゃった。


 まあ、聴いていて楽しいんだけれど。


 狂喜乱舞の女子校バレンタインのカーニバルの最後から10年経って、28歳の私は狂喜乱舞のテニプリバレキス祭りのなかにいた。


 夜神くんにも親愛なる友人にも会えなくて、
そんな中で、バレンタイン前日から
EXITの歌ってみたの、

SMAPの「オレンジ」と



同じく歌ってみたの、ニノの「虹」

を、連続で聴いたら、


やっぱり寂しいなぁとすごく感じて一回、全部涙をしっかりだして泣いてみていた。



 今の私は、女子校バレンタインみたいな
お祭り騒ぎの楽しさも、恋人と過ごす幸せも、ひとりで趣味活動や推し事に勤しむ幸せも、家族で過ごす穏やかな時間も、全部知っているし、どれかを選べば他の選択肢が削られたり消えたりすることもけれど、選ばなかったところにも幸せがあることをわかっている。



 今年のバレンタインは、
今から帰って「チェオクの剣」の続き観たいなぁ。(といいつつ、テニプリバレキス祭りで終わる)(と書いていたら本当に、バレキス聴いてたら終わった…後日談)



今日はせっかく外に出てきたから、
バレンタイン商品買ってみた。


これは、スタバのBAKEコラボのチョレートチーズタルト


これはローソン×GODIVAの商品。気になってたんだぁ

これはネイバーズのスタバで売ってるココアaddエスプレッソandバニラビーンズシロップ


 爆買いバレンタインやん。


 目がしゅぱしゅぱするくらいは泣いたけど、
なんだかんだで今年も、ローマ帝国時代の聖ヴァレンティヌスが亡くなった日は、彼が恋人たちのために結婚式を挙げてくれたおかげで、世界的に恋人や家族を、推しを、誰かを想う日が平和に訪れたね。



#バレンタイン

#女子校

#バレキス

#テニプリ

#exit



 やっぱりいつか、親愛なる友人が過ごしているような穏やかで満たされている恋人や夫婦でのバレンタインの幸せそうな日々を私も過ごしたいなあ。その時はさ、今感じてる寂しさとか今は持ってる幸せとかもちゃんと忘れたくないよね。
 まあ、恋人がいる時にはいない時に感じる寂しさとか忘れちゃうんからいけないんだよね〜。


 大満足のバレンタインの夜、
Spotify開いたらさ、
rayが流れてきて、


 そう、今この流れで聴きたいのは
rayなの!!BUMPさんありがとう!!


ってなった。




大丈夫だ
あの痛みは忘れたって消えやしない。
BUMP OF CHICKEN「ray」


○×△どれかなんて皆と比べてどうかなんて
確かめる間もないほど生きるのは最高だ
あんまり泣かなくなっても
ごまかして笑ってくよ
大丈夫だ あの痛みは忘れたって消えやしない
大丈夫だ この光の始まりには君がいる
BUMP OF CHICKEN「ray」


#バンプオブチキン

#ray


 バレキスもBUMPも本当ありがとう!!


最後に、関係者様…お願いが…
狂喜乱舞のバレキス祭り、
本当に幸せです。
ありがとうございました。
寝ていた間と出かけていた時間と
ご飯食べていた時間以外ずっと流してました。
最高でした。毎年やってください。
テニプリ関係者の皆様よろしくお願いします、
私も、頭の中で、リョーマ様やブンちゃんにチョコ渡したいです。←

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