"合法ドラッグ"にはご注意を。

ドラマ「僕の姉ちゃん」の3話で

本の整理をするという姉と、弟のやり取りにこんなものがあった。


姉が収納法の雑誌を読んでいて、前も読んでなかった?と聞く弟に、全然片付けてねーじゃんと言われると、自己啓発本を買ってきて広げている弟に、

「あんたわかってないねえ。片付けるために読んでないし、」とこたえる。
なんのために読むのか一応聞いていい?と弟

「こういう本って、この通りにやれば誰にでもできるって書いてあって、実際やればできるわけよ。」姉

「じゃあやればいいんじゃないの?」弟



「この通りにやれば、自分にも確実にできるって思える何かがあるって安心じゃない?そういうことを実感するために読むわけよ。いわば、癒し本だわな」と答える姉



自己啓発本も癒し本、ってこった。


noteの記事の検索欄で「自己啓発本」と入力したら1000件以上でてきた。内容はそれぞれだろうけど「自己啓発本」というワードは、それなりにトピック化していて、一定数の読む母体がいる。


「自己啓発本」という検索ワードで出てくる内容のほとんどは、おそらく

自己啓発本は意味がなかったとか

自己啓発本を読んでみたけど…というマイナス評価のものだと思う。

だって多分、自己啓発本を読んで幸せメンタルになったと思ってるところまでの人は、

「自己啓発本」というキーワードで何かを語ることはなくて

「幸せとは」とか
「本来のあなた」とか

なんかそういうワードを使うんじゃないかなと。



 自己啓発本って違法じゃないドラッグ・癒し本、というのは、言い得て妙だとドラマを観ていて感じた。


 自分が変わったような気がしてくる、自分がその人と同じような人間になれたような気がしたり、成功するような予感がしてきて心地いいみたいな。


 自己啓発に初めて出会った人は、おそらく

目から鱗が落ちた感じとか
新しい考えが植え付けられた、みたいな

本当にその人に、啓発されてというかもはや啓蒙されている感じなんだと思う。何も知らないから。


大抵の場合の自己啓発本は、まとめたら

今を生きろ、とか

与える精神、奉仕の精神が大切とか
まあ言い方変えたら、あなたが何かを得るためにはあなたが何かを与えなくてはならない的なこととか

自分で行動したら人生は変わる的な、自分で考えることの大切さとかを説く系統

まあつまり、あなたが今この瞬間をどう生きていくか、どう行動するかで人生も世界も変わるみたいなそんな感じじゃない?


え?
当たり前のことじゃない?って冷静に思いませんか?そりゃその、当たり前ができてないから読むんだよって人いるかもしれないけれど、まあイチロー選手並みに毎日必ず同じことを繰り返して努力し続けられるとか、そういう人なら変われるんだけど、そりゃそういう人だから変われるんであって、多分イチロー選手に、自己啓発本は必要ないと思うんですよね、自分自身で自分を変えられるから。


私はイチロー選手みたいな努力家じゃないから、自己啓発本みたいなものが必要だと思う人がいるなら、
あなたは、本を読んだところで変われる可能性の方が少ないからやめた方がいいとも思う。


まあ有名な自己啓発本数冊読んで、
なるほどなーって勉強になる部分だけ得て、それでも自分の人生や行動変えられてないならそこで何もかもやめたらいいと思う。

読んでみて実際行動に移せて、あなた自身が読んだことで行動を起こして変えられる人間だったとしたら、行動力がある人なのであなたに必要なのは自己啓発本ではなくて多分、いわゆるあなたの夢ややりたいことを叶えるのに必要な知識を得られるビジネス書とか資格受験のための本とかそういうのじゃないかしらね。


自己啓発本って何冊か読んでみたけどあんまり意味ないなって思い始めたのが23歳頃だったと思う。大学生くらいまでは、わたしも、読んでは感嘆してた時期もあった。でも私って、何かを読んでも、誰かに何かを勧められても、絶対自分が納得しないと動かないし自分で思ったやり方じゃないと進められない人間なんだよね、だから、自己啓発本や自己啓発セミナーに限らずだいたいのアドバイス本を読むことそれ自体は、わたしにこんな生き方もあるのかとかこういうやり方があるのかとかを知らせてくれる以外には意味がない。 まあ、自己啓発本より、自己啓発セミナーのほうが意味ない感じだけどね。

一回だけどうしても断れなくて大学生の時にそういうセミナーみたいなのに参加したことがある。なんか周りの人がサクラですか、くらいうんうん頷いてておもしろかったから、このセミナーに参加している人たちがどういうところでどんな反応をして、この司会者が長々話す話は一言で何で、とか、

サクラっぽい人たちの反応の仕方とかをじっと観察してた。だから、どんなセミナーの内容だったか正直全く覚えていない。


ビジネス向け、特に男性向けの自己啓発本は、

他人よりも結果を出すとか
他社よりも良くなるとか

他人より優れた人間になるための、

いわゆる男性の中の多くに、無意識的に潜在的に刷り込まれている「結果を出さなければならない」「仕事ができて一人前でなければならない」「たたかいに勝たなければならない」みたいな刷り込みに、そして社会が男性に求めているとするそうしたものに対して、どのようなマインドを持って接すればあなたが結果を出せる可能性が上がるか、みたいなそういうものが多い気がする。


そして女性向けだと、「愛され女子になる」とか、「彼がトリコになる」とか「丁寧な暮らしがどうの」とか、そういう男性または、人々に愛される方法、どんな女性が理想的かと言えば、丁寧で落ち着いていてどんな辛いことを経験しても幸せそうで、笑顔で、優しく包み込むみたいな。
でもさ、


男性に求められるものって、


誰が言ったとはわからない"世間が求める一人前の男"で、
おそらくそれは、昔の旧家族的社会のなかで、
一人前の男とはかくあるべしとか


もう少し前の制度なら、
男ならば国のために命をかけて、とか
お家を守るために武士ならば、みたいな

そういう封建制度の中で生まれてきた、命を持って、職に、任務に励み、みたいな感じを当たり前でよしとする価値観からきていて、

結果を出さなければならないというストレスに晒されているのはどの時代も同じなんだろう、そしてだからこそそういうことを鼓舞し、その結果を出すための方法論とか、私の成功例、みたいなものが売れるんだと思われる。

そして女性に求められるものも

"女はかくあるべし"と、過去から男性が望んできたものとか、

じゃない?

"愛嬌がないと"とか

もう少し昔の時代なら

"女は勉強なんかできなくていいから家事や掃除ができれば"とかさ、

まあ、それが時代が進んで、そういうことを押し付けられるのが嫌、となってきたらそれはそれで「自分らしく生きる方法」みたいなのが売れるようになったんだろうけれど。

時代は、“多様性"になったし、


“男だから"、“女だから"と他人に押し付けるのは良くないと言って、そういうことを言う人を、むしろ吊し上げて糾弾するような世の中になりつつあるけれど、


社会の根底は全然変わっていなくて、

自己啓発本がこれだけ売れるのは、
未だに社会の根本構造が変わっていなくて


私たちの

“愛されなければ"とか

“結果を出さなければ"とか


男女関係なく(とはいえ男性の方は結果を出さなければ、仕事で成功しなければと思っているだろうし、女性の方が“愛されなければ"、''愛されたい“という欲求を持つ人が多い傾向があると思うけれど)

そういうものが、私たちを支配しているからなんだろう。


「癒し本」というのは、本当にいい得て妙で、
こういう類の本を読むのに最適なのは落ち込んでて何にもやる気が出ないとか、エネルギードリンクを飲むような感覚で読む本と言って良い。


 まあこういう話も、わたしが初めてするんじゃなくて、他のいろんな人が動画とか本とかで言ってて、それすらもまた"自己啓発"の類なんですよね。


 自己啓発の類は、それそのものにしても、それを批判するものも、それを分析するものも全てが自己啓発に帰していく。


 それこそが自己啓発本の特徴であり、マイナスポイントでもあると思う。

だって、これだけ自己啓発本が過剰にあるということは、それだけ売れるからということでもあるんだけれど、万人に合う自己啓発の仕方に正解があるのなら、一冊で済むじゃないですか


朝ごはんは絶対食べろってあったり、

かと思えば朝から夜の間に2食たべればいいみたいなことがあったり、

4時間睡眠でも人は生きられるみたいな内容だったり、

いや12時間は寝ろとかさ


結局、全てにおいて

ダイエットが人それぞれの体質とか生活環境とか元の体型とか、目指す体型までの距離が違えば、やり方や期間がそれぞれ異なるように、


自己啓発だって

元の人の性格とか、家庭環境とか経済環境とか職場環境とか目指している姿とかが違えば全然異なる自己啓発の方法になるものみたいな感じになるんじゃない?


と、わたしは20歳頃から思っていたので自己啓発本を全く読まない、わけじゃないんだけど、まあ読んで得られたものがあったかと言われたらないんだよね。


これは自己啓発とは違うのだけれど、友人に瞑想いいよってすすめられたことがあって、

もちろん、それは全然強要されたものではなかったし、瞑想自体の利点はわたしもなんとなくわかっているし、


けれど、それって瞑想という行為が、

心を無にして邪念とか今頭にあるものを一度捨て置くために「今ココ」の時間に集中することで、心が落ち着き頭の中のごちゃごちゃが一度クリアになりだから、頭や心に良いってことでしょう。


仕組みとしてはそうじゃない。瞑想にしても座禅だとしてもキリスト教のお祈りにしても、

心を無にするのか、神と向き合うかの宗教的価値観の違いはあっても、結局通ずるところ同じで。


まあ結局、自己啓発の
今を生きろ、っていうのと構造的にはおなじだよね。



で、これは思考の仕方というか、その人それぞれの価値観による思考の仕方の違いなだけで

「今を生きろ」が

未来の自分を良くするために動きたい、という価値観の人なら、未来の自分のために今何をすれば良いかを考えた今を生きろ、


という意味になるだろうし


過去を振り返ってきて過去を反省してこれからに続けようという人なら、

過去の過ちを心の中で呼び戻し、過去に良かったことを書き出したりなんかして今に何が繋がってるか考えるような人間だろうし。

わたしが高校生の時に考えていた「今を生きる」っていうのは、


イマココを生きるわたしが後悔しない人生を積み重ねたら結果的に、将来の自分から見て過去の自分はいつも、イマココの自分に満足してきたが積み重なってる、それに人間はいつ死ぬかわからない、将来を案じても明日には死ぬかもしれない

だから、イマココを一生懸命生きる

みたいな意味合いだったんだけど、


結局それも、構造は同じでしょう?


 でもそもそも、自己啓発ってさ、

自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/自己啓発


といった意味だよね。


 その、人間として生きているなら、
昨日より今日、今日より明日と、高みを目指して、より良い人間とであるべき、とかよりよく生きようとか、昨日より今日、今日より明日は成長しようみたいな、その考えがもう“啓発"こえて、“啓蒙"(無知の人を啓発して正しい知識に導く)だよね。


自己啓発系のものを読む時は、

もちろん参考にできることもあるし、
へーこんな生き方する人もいるんだとか、
そういうどちらかというとその、

わたしが本を読むまで出会ったことのなかった、
誰かのこれまでと何かしらのイベントやトラブルや失敗、それを経ての今、みたいなのの、人物伝というかそういう人がこの世に生きてるんだ、って知らなかった人を知るぶんには面白いんだけどね

結局、成功した人しか書かないし、
成功した人しか取り上げられないしね。
(それが目に見える形の成功ではなくても、立ち上がったとか、)
ほら、他の国の人がどうか知らないけど

日本人って、とかく

苦労した環境の人が、ドン底から這い上がったストーリーみたいなの、好きじゃない?


自己"啓蒙"本って、それだよね。

だって、わたしだってめちゃくちゃ苦労してめちゃくちゃ大変な思いして生きてきたけど、今のところ何も社会的に大成していなくて、母校から見た「輝く先輩」みたいなんじゃないから声がかからない。


で、今の母校からしたらわたしは眼中にないのに、

例えばわたしがこれで仮に何かで素晴らしい成功を収めたとするじゃない?なんでもいいけれど。

そしたら突然取材とか申し込まれたりして「講演してください」とかなるんだろうなとか思うのね、実際先輩や同級生に、そういうことを頼まれて講演したりする子がいるのを見ていつも思う。


「先生たちは、"わたし"が苦しい時に、大したことしなかったくせに、陽の光を浴びない時には、ろくに声もかけなかったくせに、ちょっと母校の誇りになったら声かけるそういうやつでしょって」

 母校に限らずメディアも、社会全体もそういうものだし、

そりゃ有名にもなってない人をいちいち取り上げないよ、


結果になったから取材するだけ、大成したから大成した人の話を聞きたいだけ。


で、自己啓発本って、自己啓発セミナーって、


全く同じで、


確かに著者は、講演者は、過去にどん底にいたかもしれない、そこから這い上がったサクセスストーリーの中で、「僕は、わたしは、早起き毎日し出したら人生変わったんです」、「朝ごはんを必ず食べるようにしたらなんか変わったんです」ってそういうのとかね。


いや他にももっと大きなアクションとかあるかもしれないけれど

それで変わる人もいれば、かわらない人もいるし、

そういう努力が身を結ぶ人もいればまた

努力って、別に努力するのは前提であって、
成功者は天才でない限り大抵の場合は何かしらの努力はしていてそれは成功するための前提でしょう?


引き寄せとかだって、努力したり真摯に取り組んでいるからだんだんやり方がわかってくるとか、これが必要とかわかってくるとか、取り組んでいるうちに周りの人が援助してくれるとか何か教えてくれるとか

それを引き寄せ、って言ってるのよ、


だから自己啓発本は、

たまの息抜きに、合法の、全く問題にならない麻薬みたいな感覚で


もしくは癒しで読むくらいのものだと本当に思う。


そして、本当にその本に書いてある通りに、もしくは自身が思い描くように何かを遂げたいなら、

行動あるのみでしょう。


成功した本を書いたその数少ない成功者は、


皆が途中で諦めていく中でやめたなかで
ただ、続けることをやめなかった人、なだけかも、しれないじゃない?


まあ、これも、


何かをしたい人、10000人。
それを始める人、100人。
それを続ける人、1人。

っていう中谷彰宏さんの言葉とおんなじだけどね。


あ、自己啓発系が役に立つのはむしろ、

成功例じゃなくて失敗例、だというのはわたし思ってて

自己啓発に限らずなんだけど

成功って、その人のポテンシャルとか運とか色々あるけど失敗する人には一定程度の共通点があるっていうのも、ビジネスなんかでは有名で、よく言われるじゃない?


だから、失敗から学ぶ系で失敗例が具体的に色々載ってるような自己啓発本なら、読む価値はあるかもって思ったりはするよ、


それこそ、失敗するのわたしだけじゃないんだって安心薬になるし。


#自己啓発

#自己啓発本

栄養ドリンクで、無理やり徹夜状態を、目丸開きにして、“頑張る"より


安心薬飲んで、そうかそうかこれが悪かったかこんな状態の人もいるのかって安静にしながら寝てるような自己啓発読書のほうが、個人的には好きかもね


まあ、本を閉じたら“変わらない"けどね、きっとね。

どちらも“合法ドラッグ"かな


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