変わりゆく時代に

ー 「30で俺は死ぬよ」と言う君とそれなら我もそれまで生きん ー

『サラダ記念日』p.56


 俵万智がそう書いていた。

なんとなく、「何にも進めなかったら、このままだったら30歳で死にたい」って思っていたのはこれのせいなのかもしれない。 

でも俵万智は、その句の前に

ー 「30までブラブラするよ」と言う君の如何なる風景なのか私は ー

俵万智『サラダ記念日』p.37

 って書いている。


 「30までブラブラするよ」といった君と、「30で俺は死ぬよ」といった君は、同じ人物なのかわからないけれど、もし同じ彼ならば、


彼は、きっと「30までブラブラする」といった時、一抹の「死にたい」を持っていたのやもしれぬ。


 あの短歌をかけるのはもちろん、俵万智の才能がゆえではあるのだけれど、でもきっと、今の俵万智ではなくて、女子大生の俵万智の持つ感性だったのだろうと思う。


 加藤千恵も、女子高生だから『ハッピーアイスクリーム』を書けたんだろう。もちろん才能ある女子高生だからなのだけれども、30代でも40代でも二十歳でもなくて、女子高生の加藤千恵にしか出ない言葉だったはず。

 感性ってのは、自分が意識しているよりずっと無意識のうちに失っていっているもので、もう、私が女子高生の時に持っていた溌剌さはないし、女子大生の時に持っていたエネルギーもないし、いつから聞こえなくなってしまったかわからないけれど、モスキート音も聞こえない。

 平成初期生まれの私には平成10年以降くらいの子たちだって、もう別世界の子達で、ましてや21世紀生まれの人たちなんてもう、宇宙人と同じくらい。

 だから、昭和生まれの人が若者を理解しようなんて難しい。理解するなんてできないよ、理解できてると思ったらそれは思い上がりだね、


 理解はできないけれど、否定はしない。


 もうここは昭和じゃないんだから、

「俺たちの時代は」なんて言うんじゃないよ。


今何時代だと思ってるの?もう令和ですよ。


 なにあなたたち明治時代の人に、
「私たちの時代には、洗濯機なんてなかったんだから」って言われて洗濯板がいかに大変だったか永遠聞かされたらどうよ、


「最近の子たちは肉なんて食べて、私たちの時代は肉食じゃなかったのよ、贅沢ね」なんて話聞かされたらどう思いますよ

「男子たるもの、最後の血の一滴が流れるまで、戦い抜け、」なんて新島襄みたいな男が当たり前だったらどうよ、


 実際のところ、世の中というのはいつの時代も、混乱期、発展期、安定期があって、安定期に入ると「今時の若者は」っていう人が現れるって前に東洋経済オンラインか何かの記事に書いてあって、まあとはいえ、いつの時代の人も「今時の若者は」ってみーんないっちゃってるんじゃない?多分、平成初期生まれの私も2005年生まれの今の高3の子たちを思えば


「えー、花男知らんの?」
「電子辞書も知らんのか」
「恋愛レボリューションを知らないだと!?」
「ガラケは過去の産物だって」って驚いちゃう。

大人になっていくと、若い人たちの感覚というものはわからなくなっていくんだなって27歳くらいから感じている。


指定校推薦とAO試験が主流になってきている今の大学受験だってびっくりしちゃってやっぱり心のどこかで「私たちの時代は一般入試がわりと当たり前の選択で、指定校やAOの方が少数派だったのに」とか思っちゃうし


30歳の私たちの親世代が今60代前後だから
60代前後で1960年代から1990年代に幼少期、学生、そして社会人初期を過ごしてきた人たちの常識で育てられている私たち世代と、


1980年前後から昭和の最後あたりの生まれの親に育てられた今の中高生や、平成初期生まれに育てられている今の小学生以下の子たちが、親から親の中での常識や規範として受け継ぐものは、(もちろん人それぞれに違うというのもあるけれどやはり世代的な常識観念ってあるからね)違う。


 個人的な感覚としては4〜5つくらい年齢が開いてくると、少し時代のズレが生じていて、6〜7歳違ったら、別の時代の人と言っても良いくらい、というくらいの感覚がある。


 だって、6〜7歳くらい違うってことは、彼らがお腹の中にいるかいないかの時代に、私たちはもう読み書き計算して学校通っちゃってるし、冷静に考えて小1と中1が、小6と高3が、中1と大1が、21歳と26〜27歳が同じような価値観で同じような感覚で生きてたらさ、年下側があまりにも大人すぎて怖いか、年上側があまりにも幼稚すぎるからどっちかだと思うし、大抵の場合後者だと思うの。
そういう年齢の違いを、完全に超えられて、「別にそんなに時代変わらないね」って感じがあるのって、多分お互い40歳を超えてからくらいなんじゃないかなあと思っている。40歳超えてないから知らんけど。


別にこれは20代と40代の人の歳の差恋愛を否定しているわけじゃなくて成人してるならどうぞお好きにと思っているし分かり合える人たちはいるとは思うんだけど、分かり合えたとしてもたぶん、彼らは「生きてきた時代が違うな」って感覚は持っていると思うんだよね。全く同じ時代を生きてきたっていう人はあまりいないんじゃないかな。違う時代を生きて、違う価値観や常識を持っているけど擦り合わせられたってだけで、


 でそんな私も、もう30歳があと数ヶ月できてしまってね、俵万智的に「30まではブラブラするよ」なんていうあの男のその年齢になって私は「30まではブラブラする」なんて決めていたわけじゃないのに結局ブラブラしているし、「30で俺は死ぬよ」と言った彼と同じように「30で死にたい」と思っていたけれど、なんだか死ねなさそうだなって思っている。


 国税庁の調べでは、30〜34歳の人たち(令和元年から令和5年)の平均年収は472万円だって。やっぱりみんな40万くらいは稼げてるんだなあ。


 ちなみに、ニートと呼ばれるのは15歳から34歳で、35歳を過ぎたらもうそれは中年無業者っていうんだよ


子供部屋おじさん、子供部屋おばさん、と言われるのも、一般的には「自立していて良い年齢なのに実家暮らししている人」なのでおそらく28歳頃からをいうんだろうけれどやっぱり30歳を過ぎてたら有無を言わさず完全にそれに当てはまる気がする。


 もう、若い人たちのことはわからないくらいの年齢になって、周りの友人たちが「親」になってきているのに、まだ「こどおば」の私。

 30歳になる前に、と思っていたすべてのことに何も手をつけられないまま29歳は幕を閉じようとしている。


 ああ、あの頃の夜神くんと同じ歳だもんな。


 年齢だけでも、常識差があるのに、
働けないまま生きている私は、結局30歳になっても「世間の常識」「働いている人の常識」を身につけられていないんだろうね。


 それでもそういう認識はまだ持っている。


問題は、「常識や世界が違うものなのだ」と認識もできず、また、令和という時代に、昭和からの自分の遺産を、平成からの遺産をアプデできないまま、アプデできていないことを認識できていないか、する必要がないと思っているような人たちなんだろうね。


前にも書いたけれど、平成の最後あたりから、やけに
「昭和の常識VS平成の常識」とか
「昭和の常識がなんたら〜」って番組があると思っていたけれど、


あれって、番組作ってる人たちが昭和だからそういうの作ろうと思うんかな。ああいうことをしだした平成晩期くらいからテレビが全くつまらないものになってあんまり観なくなった。(とはいえテレビっ子だったので今も同世代比較で言えば観ている方かもだけれど)


昭和がうんたらかんたら言われたら、
そういう時代に生きていたんだなと思いつつ、だからなんだ、と思ってしまっていたのと同様に、きっともうすでに、令和5年の今、私が小学生のとき、中学生のとき、JKだった時、とか言われても、は?ってなるよね。令和になった時、すでにアラサーだったもの。


 「30歳くらいで死にたい」って思っていたのは、自分が周りと同じように進めないのに、周りの友人たちのように社会生活ができないのに、歳だけくって、こどおばになって、おばさんって言われる年齢になってきて、自立していて良い年齢で、誰かの親になっているような年齢で、未だまともに働くことどころか、まともに生活することもできぬ子どもだからやもしれぬ。


"29になって貰い手ないときは連絡しろよ "なんて言わせる男もつくってないしね。


私は、自分が想定していた以上に、世間の中で「中年」で、「おばさん」で、「社会不適合」な人間になっているんだなあと認識する月みず月…


"才能を持たないカラダ"と十七歳の才能あふれる加藤千恵が書いていたけれど、本当の"才能を持たないカラダ"が重いのは、私みたいな人間なんだよ。


部屋を見回して、何もかもがぐちゃぐちゃで、火曜日に入れられた転職の面接の予約を断りたくて仕方なくなっている。


もう人と面接なんかしたくないし新しい仕事もしたくない。死にたいんだよなあ、ただ。


でも、それって逃げてるだけじゃない?とか誰かに言われるんだよね、そうだよ、逃げてるんだよ逃げたいんだよ、逃げたいんだよ、そういうのが子どもだって言ってるんだよ、ねえ、

30歳まで、あと4ヶ月切ったんだなあ。


 とりあえずのところ、茨城のり子がこんなことを言っていた、それを、突きつけられる歳になった。

ー ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて
 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか
 苛立つのを近親のせいにするな
 なにもかも下手だったのはわたくし
 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄
 自分の感受性ぐらい
 自分で守れ
 ばかものよ ー

茨城のりこ「自分の感受性ぐらい」(1977)


 戦争の時代、生きてきたことさえまちがえていたのではないかと思ったり、戦争までは常識だったことがすべて変わったり、そうして常識がぐるりと変わって、自分の考えや価値観や思いまでもが違うのではないかと疑念する時代に、何が正解かわからなくなる時代に、人から「これが常識だ」「こういうことなのだ」と刷り込まれて受動的に生きていては取り返しつかなくなる。だから、「自分の感受性くらいは自分で守れ」ということなのだろう。


 半世紀あまり経って日本では戦争がない時代になったけれど時代が変わっても、常識だと思っていたことが、ガラリと変わる時代に、当たり前、とか普通こうでしょなどと親に言われて育ってきた私たちに、それでも自分の感受性を守って生きていくことは、やっぱり大事なんだろう。


 30になる前に死にたいと思っていた。


 その私もあと4ヶ月もすれば20代を終えている。


 20代は、終わってしまったらもう戻れない。どの年齢もどの年代も同じだけれど、私の人生の20代は、あと4ヶ月で過去になる。

 まだもう少しだけ足掻けるのだろうか、


#俵万智

#サラダ記念日


#茨木のり子

#自分の感受性くらいは



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