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積読というよりもはや積メモ【2023読書】-10月編 


 昔、大学2年の、Facebook(以下FB)を始めたばかりくらいの時、全部ではないけれど、趣味で読んだ本を途中からつけはじめた。


 当時は大学2年で、ゼミが多忙系のゼミで、課題が毎週こんもり出る上に、そのゼミの先生の別の講義として「翻訳セミナー」という講義を受講していて、そちらは、そのこんもり出るゼミの倍くらい毎回課題が出るゼミで、大学2年だから卒業必修だけでまだ44単位、そのほかに教職の講義をとっていたような、そういう時代だけれど、


 課題や授業のため以外で、完全に趣味というか余暇で読んだ本をFBに記録し始めた。全部で12冊、2回読んだものをそれぞれ1回カウントしたら15冊、1年間に読んでいた。

 最も"大学生らしい"(=働きまくって社畜したり、友人たちと月に2回も3回もあったり、旅行いったり、ディズニーいったり)生活をしていたなかで、15冊。


 そのあたりから読んだ本をFBに記録するようになった。全部ではなかったと思うけれど、ちょこちょこ書いていた。


 大学3年生で33冊=月平均2.75冊。
(映画も観に行っていて、就活もがっつりしっかりばっちりやっていて、おまけに大学2年の時のゼミより課題量は少ないとはいえ第一志望のゼミに入っていて、教職もとっていて)

 大学4年生の時39冊=月平均3.25冊


 もちろん、漫画はなくてほとんどが小説か、評論系かその他一般ビジネス書。


 大学院生のときは本なんてほとんど読んでいる余裕がなくて、院卒した直後は本当に文字がゲシュタルト崩壊して見える感じだったから本も漫画もアニメも映画も何も読めない観られない感じでただひたすら布団の中に引きこもってそれが(母が専業主婦で家にいるので逆に引きこもるのがストレスで)無理になったら、外に出てただ外で息を吸って吐く生活をしていた。


 で、やっとまともに本が読めるようになったのが、6月。でもその後ほとんど読めなくて、英語なんてもってのほかになってしまって、そうしたら英語はどんどん読めない書けない聴けない話せないになって今は、その辺の小学生たちよりおそらく話せない(英米の院卒なのに)



 そうやっていっぱいいっぱいになって過ごして5年の歳月が過ぎ、既卒6年目になった今年。


 というか今年度。今年度図書室内に勤務になったから、それでまた、本を手に取れるようになった。久しぶりに本を読むようになった。


 最初が、4月下旬に読んだスペンサー・ジョンソンの『チーズはどこへ消えた』で、そこから佐野洋子の『100万回生きたねこ』、『星の王子さま』とか、『変身』とか、『自分を好きになる本 Liking Myself』(お分かりの通り図書室の本なので訳本)、とか

 それから又吉さんとせきしろさんの『カキフライがないなら来なかった』を買って読んだり好きなイラストレーターRan.さんや池田ルイさんの本を読んだり『星の王子さま』の他の訳本を読んだり、梶井基次郎の『檸檬』を読んだりして、10月16日までの6ヶ月半で23冊、(まだ書き留めてないのだけれど実は10月の後半の半月にプラス5冊読んでいるのでこの7ヶ月間に28冊)読んだ。


 そう、月平均4冊くらいまできた。これは、活字が読めなくなってしまっていたわたしにしては大変な快挙というか、ああ、戻ってきているんだということになる。もちろん、字がびっしりのものばかりを読んでいるわけじゃないし専門書はまだちゃんと読めないし、英語もまだ読めないんだけれど。


 なんとなく続けていたからFBに記録し始めたけれど、それも、中身に関する書評とか感想とかを書くのがメインではなく、本当に本の題名・著者・出版社等いわゆる文献リストをAPAに従って書いているのみである。


 でも、そうやって今年から積み重ね始めたら、活字が全く読めなくなって本を読むスピードが遅くなっていたのが本当に少しだけど戻ってきた。


 ついでに今も、映画とかドラマとかアニメとかは携帯で観ているものは、セリフとか話の筋を全部書き留めないと観ていられなくて、
本は、数年前、持病になった頃からそうなのだけれど、もともと大学生・大学院生の時に文献を読んだらまとめていた癖もあって(その時はこんな内容の本とか要点とかポイントを書き留めていたわけだけど、)既卒以降文字が読めなくなってその後読み始めてからは、本の引っかかったところを全部そのまま抜粋してメモしたり、アニメやドラマ等は観ながらストーリーやセリフをすべて書き留めていないと不安で見られなくなった。(とはいえ映画館においてみる映画は、もちろんそんなことできないのでしないのだけれど、そうするとやっぱり、終わった後にどんな映画だった、どんな内容だった?と問われても何も答えられないくらい覚えていない)


 母には昔から、「メモしないで覚えなさい」と本当に字義通り毎日のように叱られていて、それは映画の内容や本の内容を書き留めながら(映画を書き留められるのはもちろん公開中のものではなく配信しているものを手元のスマホで観ながらのとき)観ていることに関してももしかして入るのかもしれないけれど、

 私は昔から物覚えが悪くて、言われたことを次の瞬間には忘れてる、何かやっていても別の何かが見えてそちらに手を伸ばしてしまったら何をしていたのか忘れる、(診断を受けていないので、ADHDです、と断定形では言いませんが)いわゆる典型的なADHDのタイプで、

 (もっというとADHD要素は他にもあって、自分ではちゃんとやっていても結局忘れ物したり何か別のことに目移りして気づいたらやることを忘れていたりして時間に余裕をもって動けないから遅刻常習犯だったし、以前にもnoteに書いているが、体育記録会に行けば靴を忘れて母にわざわざ三ツ沢の競技場まで届けてもらったり、水泳大会に行けばバッグごと全部忘れて帰って先生が持って帰って水着洗ってくれていたり、8:00のHRのために6:30に出て間に合うはずのスケジュールを組んでいるのに忘れ物したり時間を見て行動できなくて遅刻したり、道にはしょっちゅう迷って学校行事でも友人と遊ぶ時もいつも私は捜索対象だった。)


 物覚えが悪いのと、本を読んでいても過集中状態にならない限りは本を読んでる途中で携帯見たら携帯触りだしたり、別のことに気を取られたらそっちに行ったりするもんだから全然内容も頭に置いて置けないから、メモをしながら読むようになったしメモをしながら映画やドラマやアニメを観るようになった。その結果読むスピードは、さらに遅くなったけれど、


 それで、携帯にメモした上で、しばらくしたらFBに本の写真と題名等を載せて感想とか今思ってることを時々添えたりして読んだ本を記録していっている。


 で10月中に、5冊本を読んだ。
(著者と題名だけ載せます)

①夏生さえり.『君と風』
②まゆ姉.『幸せメンタルをつくる100チャレンジ』
③冬野夜空.『すべての恋が終わるとして』
④村上春樹.『猫を捨てる』
⑤(再読)F.『20代で得た知見』



とかとか。



 この他に10月は、映画を1本観に行って、地上波のドラマは4〜5つ観ていておまけにU-NEXTで韓国ドラマ『朱蒙』を久しぶりに観ていて(でも1時間ドラマを全81話なので全然進まなくてやっと17話です)


週に9時間しかない仕事以外にタイミーを6回入れた。


 そう思えばかなり、読んでいる方かもしれない。


 FBへの投稿が多かったと思っているので、10月に読んだ5冊の本に関しては11月頭にまとめて載せようかと思っている。


 フォローしている人には迷惑かもしれないけれど、わたしの中で、記録は続けていきたい。それは、時間が経ってから振り返った時に、その本の題名を見て、ああ、これあの本ね、とその内容やその時読んだ時のことや情感やその時の自分を思い出せるから。


 わたしは、そういう、「その時の自分」を手にとるように思い出せるように、SNSを続けているような気がする。


 Twitterはほとんどやらなくなったけれど、
Instagramに日々の写真やお出かけした時の写真を残しておくのも、FBに自分の今の想いや気持ちや考えていたことや読んだ本を載せておくのも、


 誰かに向けてではなくて、後になってそれを読んだ時に、わたしは「その時の自分」に出会うし、「その時の自分」を時には追体験することになる。


 そういうために、書き残しているんだと思う。いや、そのために書き残している、わけじゃないけれど、書き残していった結果、後になってそういうふうなことが起こる。


 日々の、本当に毎日の悩みやその日の気分とか体調とかは、数日も経てば人間は忘れるし、数年も経ったら令和5年の10月の31日に何をしていて、何を感じてどんなことを考えて1日を過ごしていた、

なんてわからないのだけれど、例えば手帳に、例えばFBに、記録があると、それだけで、手に取るようにその日のことを思い出す。

 別に手帳であっても良い。ただ、近年は手帳のウィークリーページを使用する習慣がほとんどないことと、


 単語、でもなく、文、でもなく、


 かといってパラグラフというほどきちんと整然としたものではないのだけれど



 そういう心に思いつくよしなしごとをそこはかとなくかきつくれるのが、

 わたしにとってのFacebookなんだなとも思う。

 だからおそらく、同学年の人よりかなりアクティブユーザーだし、思い出の投稿というよりは思考の跡という使い方な気がする。

 それを嫌だと思う人は多分、わたしのアカウントを見なくなるけど、まあそれも仕方ない。

 昔は、「そういうのやめたほうが」と言われたけど、

 インスタのストーリーに文字を埋め尽くしてしまうような所業は、わたしが望んでいたことではないからできうるかぎりやめたけれど、

 FBに文字を書き尽くすことは、むしろ望んでやっているから、仕方ないと思う。


 そうそう。


 少し前までは読み終わってすぐに載せていたのに、最近投稿が多いから何冊か読み終わってまとめて投稿しておこう、


 と思って読み終わった本を熟成したり、読み直したりしているうちに、手に取って最初に読んでいた時とはどんどん異なる言葉が湧き出てくる時がある。


 これは、一種の醸成なのやもしれぬ。


 本当はnoteもそのくらい、

 思考をしてそれはどこかにメモをとっておいて、けれど一度そのまま思考を頭に置いておいて、


 モヤモヤさせておいて、モヤモヤさせたものを、少し経ってから、文章にした方が、良いのかも、しれないけれど。


 これは、積読というよりもはや、積メモだ。


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