30歳が近くなってきたら、傷が跡残りやすくなってきた話
(本当は書くはずがなかった話)
手が荒れた。
びっくりするくらい荒れている。
何にかぶれたか、わからないくらい荒れている。
母に「あなた、手綺麗だよね」と言われていたし、
BAさんとかにもよく言われていたけれど、
すごく荒れて、跡に残りそう。20代前半だったら、ここまで荒れても治ると思うけどたぶん、跡に残るんだろうなって思っている。
ちなみに、腕もあらゆるところが痒くなってかいてしまったりして、血が出て傷だらけ。
しばらくHAKU塗っておこうかな。
やっぱり桃のお手入れするときに、手袋お借りすればよかったなと思う。大丈夫と思っていたし実際、福島にいる間は全然何も出なかったんだよ。帰ってきた後から酷くて…寝ている間に痒くてかいちゃったみたいで、朝起きたら血だらけだった。
傷は残ってほしくないけど、
手は綺麗に戻ってほしいと思うけれどでも、
あ、まあ、荒れた理由は桃の袋掛けだけじゃないとは思うんだけれどね。ちょっとかぶれたのは確か。
でも、福島に行ってよかったと心から思っているし、桃の袋掛けもさせていただけて本当によかった。わたしにとっては"体験"だけれど、農家の方々にはあれが日常で、あれに生活がかかっている。福島に行ってからの私は桃を食べるたびに、袋掛けをすることを思い出すだろうし、日に当たったあの桃たちを、強い雨に降られて濡れないように守った桃たちを思い出すと思う。
目をつぶったら、あの、桃の木の光景とか、軽トラの荷台に乗った時の光景とか、
看板を立てるのに初めて打った釘とか。
のぼりを立てた時の向こう側に映る青い空とか、
お昼ご飯に出された、結構ボリュームのある味噌カツ丼の味とか。
友人がここの唐揚げは美味しいって教えてくれてみんなで買ってきて食べたあの唐揚げの香りとか、
ジョッキ缶を開けたんだけれど、うまく飲めなくて泡吹きこぼれながら飲んだ時に見たあの部屋の光景とか。
アレルギー検査していないからわからないけれど犬猫にアレルギーあるはずのわたしが(でも猫はまだ平気なほう)でも友人の家にいた猫ちゃんは可愛らしく思えて触れてみた時のあの感触とか、
楽しいだけを、出して話しておくつもりがお酒が入ったのと疲れだったのか、突然色々忘れたくなっていつもは酔わない量で、というよりいつもはまずそんな煽るようにお酒を飲まないんだけれど、まあそれでも煽っても酔わない量だったのに、
酔わないはずの量をしかも、いつもはしない煽り方で飲んでしまって酔って大学生の子達とか友人に迷惑をかけたこととか。(酔って楽しくなって外に出たらしい、あと、瓶のウィスキーをそのまま注いで飲んでたのは覚えてる、ごめんなさい)
何か突然苦しくなって何かを忘れたくなったんだと思う…人様の家ですることじゃなかったけれど。
そのあと、外の空気にあたろうと思って外に出たら、煙草を吸っていた友人が星出てるよと教えてくれて、(ここは記憶曖昧なんだけど「わぁあ、星出てる〜」ってふわふわしてたらしいごめんて)
その星見ていたら、見上げちゃったからか、目をつぶったからか、突然、いろんなことから逃げ出したくなって
友人が吸っていた煙草を、吸ってみたくなって
煙草なんて普段全く吸わないのに、
(人生で吸ったことあるたばこは、親愛なる友人に連れてかれたシーシャバーで、一瞬シーシャ吸った程度)
差し出された煙草を、口に咥えて
でも全然吸ったことないからどうやって火をつけて吸うのかわからなくて、
わたしが口に咥えた煙草に向けて、火を差し出した友人のその火を煙草に近づけたけど火がつかなかった。
「(息を)吸うんだよ」と、友人に教えてもらって、
火に煙草を近づけてから、すーっと息を吸ってみたらやっと少しだけ火がついて、突然口の中にメンソールのようなちょっとスッとした香りが広がった。
そうか、煙草は、火をつける時息を吸わないとつかないのか、と知った。
これが、煙草なんだな、と思った。
普段は酔わない量で酔ってしまったのも、そもそも、普段は煽らないはずのウィスキーを煽ってしまったのも、煙草を吸ってみたくなったのも、全部、
なんでだったのかなんてわからないけれど、
壊れそうだったのは確かだったのかもしれない。いや、壊してしまいたかったのかもしれない、自分を。自分の中の何かを。壊れて仕舞えばいいって思ってた。何か、はわからないけれど。
こんなちょっとの経験じゃ、わたしの人生がガラッと変わったなんて言えなかったし、友人の人生や桃農家の方々や友人が築いてきた人間関係のその、先の人たちの人生まではわからなかった。わかったなんて思いたくないし、言えないと思ったし、それと同じように、私の人生
が変わったなんて、そんなチープな言葉は使いたくないと思ったけれど、
少なくとも、次に桃を食べるときにわたしは、あの袋掛けをした桃たち、木になったあの桃を、思い出すだろうし、あの時の空気の香りとか暑さとか、普段汗をかかないわたしがそれでも汗びっしょりになってあの時の汗の感じとか、軽トラの揺れとかそういうものを感じ取るだろうし
友人が何かを投稿した時、友人とまたSNS上であっても会話した時、彼の生活を、部屋を彼のアイコンの後ろに見ると思う。
小綺麗にはしていたし、趣味のものを置いてあるところはすごくこだわって置いてあるんだなあと思ったし、照明とかオシャレなものを選んでいたけれど、洗面所はどこかやっぱり男性の生活を思わせる感じがしていた。
ああいう、洗面所の感じとかって忘れないんだよね。なかなか。
手は綺麗な手に戻ってほしいけれど、そういう、あの福島の1泊2日で身体で経験したものは、絶対忘れたくないと思った。
福島に行ったのにはいくつか理由があったといえばあって、なかったといえばなかった。
友人に会いに行ったのが第一。とにかく会いたいと思っていたきもちから、会いにいかなくちゃと思った。
30歳を前に死ぬのなら、なるべく後悔を減らしておきたいと思っていたのも確か。
ずっと会いたいと思っていたのには色々思いがあったのかもしれないけれど、単純に彼はわたしとは全く異なるようで結構似ているところもあって、でもその似ているけれど違うのがなんなのかずっと思っていたのもあるし、彼の生活とか仕事ぶりとか考えはSNS上の彼の投稿で見ていたけれど、それの背景を知りたかったのもあるのかもしれない。もっと言えば、友人たちの生活はSNSで見るものになって久しい、だから、生身の友人たちに会わなくなって、わたしの頭の中での友人たち、になってきている。
だから、生身の彼に会いにいかないと、わたしが時折、彼と話している、その彼は、わたしの頭の中で生成された彼であって生身の彼は別人だと思っていたのもあるのかもしれない。
いや、まあ、大学卒業以来、SNSではわりと会話をするのに、会って話していない彼と会いたかった。
30になる前に死ぬ、となんとなく思っていたのもあって行動に移しただけだ。
どうでもよくなっちゃって、苦しくて仕方なかった日々の中で突然彼に会いに行くことになったから、精神状態というか、心身ともにあまり状態は良くはなかったしそれで思考が巡らなかったりお酒を飲みすぎたり迷惑をかけてしまったところはたくさんあってそれは失礼したなと思っているけれど、
今会いに行くべきはやっぱりこの人だったなと思ったから、結果良かったと思っている。
煙草を吸ったのだって、理由があったわけじゃないけれど、すーっとちょっとメンソールのような香りと苦味を感じている間、彼の背中を見ていた。
30近くなっての7年ぶりの再会の、同級生の、背中はこんなに大きく見えるんだなあと思って見つめていたんだと思う。いや、そんな深いこと考えてない.だって酔ってたし。
でも、彼の背中は大きく見えて、でも、SNSで話していただけでは見えなかった彼の、不安なのか悔しさなのか、葛藤なのか、何か揺れを感じたのも確かだった。
わたしが、弱いだけで、弱いから、自分の中のそういう揺れを、抱えきれない弱い人間なだけであって、
みんなこういう揺れを、持っているんだなとなんとなく思った気がする。
死にたかったんじゃなくて、消えてしまいたかったんだと思う。消えてしまえれば、いいのにと思っていた。
わたしみたいな人間には、彼のような人間は眩しくて、大きくて、自分が恥ずかしくなった。
でも、その彼も、悩んでいて、葛藤していて、それでも耐えて、踏ん張って、頑張っていて、大人だった。同じ歳なのに、私ばかり子どもなんだって思った。
自分の身体で働いて、家を持って、車を持ってそこで生活して、猫を飼っている。
それが本当に私にはすごくて、でも、本当は30歳ってこういう歳なんだよなと思った。
農家の方々の桃の袋掛けに行った時、地域の方々とランチをしながら話していた時、何度か
「福島に移住しない?」
「こっちに来ない?」
「うちの息子の嫁に来ない?」
なんて笑いながら言われた。
戸惑ったのはなんて返事をすればいいのかわからなかったのもあるし、相手が、そういう"ノリ"で言ってるだけ、の部分があるのだろうと思ったのもあったけれど、
福島の方々が一瞬見ていた私なんてのは、
本当に私の一瞬であって、
私は、ここの方々に胸を張れるような人生なんてミリとも歩んでいないし、そういう人間じゃないんだと思った。
息子さんがどんな方か存じ上げないけれど、たぶん、息子さんには、私のような女では、ふさわしくないですよって頭の中でよぎった。
もちろん、別に本気でそんなこと言ったわけじゃないだろうし私も本気で考えたわけじゃないけれど。
でも、福島に行ってからの私は、ほんの少しだけ変わったのかもしれない。
まだ、人間が変わったなんて言えるようなことはなくて、私は意志が弱いから、結局生活だって元に戻っているけれど、
福島に行って、そこに、ちゃんと(7年前、お互い大学生だった時の彼ではなくて)今の彼の生活を見て思い描けるようになったし、そこで彼が付き合っている方々、福島に住んでいる方々の顔と背格好と、その人たちの生活が(もちろんすべてとは言わないけれど)ちゃんと描けるようになった。
お酒を飲んでいた時以外は結構気をつけていたつもりだったんだけれど、結局私は変わらなくて、新幹線の時間ギリギリになってしまった時、駅まで車で送ってくれた友人を残して走ったような女だった。逃げるように帰ったみたいにね。
福島駅の改札まで送ってくれて、まあなんとか新幹線に間に合ったのだけれどね、
ああいうの苦手なんだ。友人は呆れちゃったかもしれないし、7年ぶりに会って、こいつこういうやつなんだなって幻滅するようなところたくさんあったかもね。
私は、
かなりの心配性で
不器用で
せっかちで
落ち着きがなくて
弱くて
お酒に弱いわけじゃないけれど、時々、溺れるようになってしまって、そして溺れるタイミングをいつも間違える。
あの時吸った、煙草の味も、
酔っちゃったなーって外に出た時、友人が「星出てるよ」と言われて見上げた、満天も、覚えている。
袋掛けした時のあの脚立に登った時の光景も、見えた木々も、雨の香りも、汗の臭いが立ち込める車も、覚えている。
何にもできない人間が、福島に行ったって何にもできなくてだから、どこに住んだって何も変わるわけじゃないのはもう元々わかっているけれど、
味噌カツの味も、ちょっと量が多くてでも食べ切った後のお腹の張りも、みんなで囲んで食べた餃子も、夜中に目覚めて静かで暗い部屋の中で、ぼーっとしていた時に聴いた、猫ちゃんの声も。
何にも役に立てないどころか、迷惑かけちゃって、彼だけならまだしも、彼の後輩たちにも迷惑をかけたことで、余計に彼に迷惑をかけたような気がするけれど。
手の傷が治りきらないうちに、
書かないと、この感覚全部忘れちゃうんじゃないかと思って。
あの時の煙草のスッとした香りから、みんなで囲んで食べた餃子の味から、猫ちゃんの匂いから雨露の香りも土の香りも、汗のにおいも、桃の感触も。
何もかも。だから、福島のことは書くつもりなかったんだけれど、残しておくことにした。
生きていていいと思えなくて、
でも、そんなことを感じている自分の弱さが嫌で
みんな苦しくても大変でも働いて自立して頑張っているのに、
何にもできなくて人に迷惑しかかけていなくて、何も還元できなくて、弱い自分が嫌だってことを、そして、そんなことを暇に考えている自分が嫌になった。
そんなことを私がほざいている間にも、みんな目の前の生活を頑張っているのになということを、福島で感じた。
別れる前に彼が、生きるにギアを入れろよって話をしていた。
福島駅でバイバイしたあと、
もうだめだで死ぬことはない
勝ち逃げしろ!
と送ってきた。
見透かされていたのかもなと思った。
それも含めて全部含めて、彼に会って、移り住んでからここで、彼がやってきたことで、積み重ねてきたことで、取り組んできたことなんだって身体で感じた。
あれから、10日ほど経って、毎日どこかのタイミングで、彼に言われた「もうだめだ、で死ぬことはない 勝ち逃げしろ」っていう言葉が降ってくる。
それでなんとか弱い私は、ふらふらとしていた足をつけたその地面を感じている。
強い人間に、なろうって思った。
今の私は、
弱くて、責任逃れで、自立していなくて、人としてできていないことばかりで、
誰にも胸を張れることがない。
だから、せめて、胸を張って生きられる部分をひとつだけでも、つくろうと、
強くしなやかで、つぶれない女に、なりたいなと思った。もちろんお酒にも。
まあ、手荒れは治ってくれるに越したことはないけれど、この手が治るまでに、少しばかりしなやかに生きたい。
やっぱりたった1日の経験でも、変わることってのはあるんだよ。別のところへ行ったから変わるんじゃなくて。
たぶん、そこで得るものは、種で、その種を見つけて育てられるかは自分にかかっているんじゃないかな。
もう30歳になるからね、友人や後輩に迷惑をかけるほど酔ってしまう体調じゃないかどうかにも、これからは気をつけたい。いつもは飲める量でも、その日大丈夫かどうかは別でしょう。酔って心配や迷惑をかけているうちは大人じゃないし、大人のお酒の飲み方じゃないでしょう。
書くつもりなかったけれど文字にしておかないと忘れっぽすぎて忘れちゃうから残しておいたの。
わたしが福島から戻ってきてから行われたあじさい祭り、無事に盛況に終わったかしら。
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