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これがきっと最初で最後の越前くんの登場


 これを書き終えてから、本当に世界に流すのかどうか迷った。ただ迷ったのだけれども、最後のリョーマ様について書きたい欲が勝ってしまったが故に、世界にポストすることになってしまった…


 誰かを恋愛感情として好きになるという、その感情は、突然に来るものだけれどやはり、そのどこかに予兆があって、「あれ?」と思う時が何回かやってくる。それを自覚するようになったのは20代に入ってからだったかもしれない。


 その、「あれ?」という感覚でむしろ、曖昧でモヤモヤとしていて、もしかしたら、恋愛感情ではなかったものに、「これは恋愛感情というものだ」「お前はあの人のことが好きなのだ」と突きつけられて、逆にその、「あれ?」という感覚を追って好きという感情が生まれてくる。


 もしかしたら10代の時もそうだったのかもしれない。そうやって、気づいたら好き、なのかもしれない、

 という曖昧であやふやで脆弱な、本当に存在するかどうかまだわからない感情を、「恋愛感情」という名前をつけた箱にしまうことで、「私はあの人に恋してしまっているのだ」「あの人のことが好きなのだ」と自覚させられていたのかもしれない。


 でも、わたしはたぶん、そうやって人を好きになってしまっていた。少なくとも19歳以降は。


 確かにそこには「他の女の子と仲良くしているのを見てモヤモヤしている」とか「あの子のことが好きらしい彼の情報を知ってヤキモチを妬く」とか「他の女の子と付き合っていたら悲しいな」とか、やっぱりその人のことが恋愛感情で好きになっているのも確かなのかもしれなくてけれど、いつだって気づく時はむしろ、


前まで違う誰かを好きだったはずが、その人を忘れるためか、その人を忘れなくてはならない過程で優しさに触れたその優しさをくれた誰かや、何か辛いことがあったりした時にそばにいてくれた誰かとか、結局は、そういうものの一つ一つに触れて、「もしかしたらこれは恋なのかもしれぬ」と思い込んでしまったところからむしろ恋が始まるのであって先走って恋が始まることはない。

 Lくんの時だってそうだった。

 辛いことが続いたりして相談というか愚痴を聞いてもらっている人がいて、その聞いてもらってるうちに「付き合ってほしい」と言われて、愚痴を聞いてもらいたいというこちら側のわがままを通すためだけに、利用するように付き合った相手に「Lとは二人きりで会って欲しくない」と言われてむしろはっきりとLくんのことが好きなのだと自覚した形だった。そもそも気になっていてLくんの名前を出していたのは、その前にLくんが、わたしが過労で入院して辛かったあと、1番最初に連絡をくれて「お見舞いに行けずすまぬ」なんて突然言われたから意識してしまっただけで、小中学生の恋愛か!というほどに単純に純粋にドキドキして突然意識し出しただけだった。


 実のところいうと最初の彼氏だって、それまで小6・中3・大一と3回好きになった同級生の男の子がいて、その子にこてんぱに振られて半年ほど経ってもまだ素敵だなという感情を捨てきれずにいるなかで、

当時、定期的に会う男友達がいなかったわたしと、バイト先が同じで担当生徒が同じだから1番頻繁に会っていたのが最初の彼氏で、おまけに家庭環境が荒れていて、死にたくて生きているのが苦しくて家に帰りたくなくて暴力と暴言と大声に包まれた家から逃げたくて仕方なかった時に、声をかけて話を聞いてくれて辛くなったら外に連れ出してくれるようになったのが奴で、


 だから、誰かを好きになる状況、というものの条件をかなり満たしていた。


 夜神くんは少しばかり状況が違うけれど、夜神くんのことだって、仕事を二つ掛け持ちして忙しくなってきて、おまけに転職活動と英語の勉強をしなければならないけど体調を頻繁に崩して心もやられて、そういう環境のなかで、2年も会っていないLくんへの恋愛感情のようなものは、わたしの頭の中のLくんをわたしが好きなだけでそれはLくん本人ではなくなっているかもしれぬから、一度ゼロに戻そう、とちょうど思い始めた時に、夜神くんと出会っていて心身が弱っている状況と、誰かを諦めなければならない状況で出会ったというのはこれまでの恋愛と酷似していた。


 そう考えていって、もし、こういう成り行きで好きになるのは純粋に素敵だと思って好きになる恋愛感情とは異なる、それは恋愛感情ではないと言われたなら、わたしはもしかしてもう20年近く誰かを"純粋に好きに"などなっていないかもしれない。



 でもやっぱり、たぶん、恋愛感情って、そうやって突然現れるものなのだろう。そして、わたしのように「ある人のことを何年も想っている」と自分で認識しているようなタイプの人間の場合、「あれ、Aくんのことが好きだったはずなのに、最近、違うBくんのことばかり考えてるな」「あれ、わたしはAくんのことが好きなはずなのに」と、ふとBくんのことばかり頭に浮かんでいて気づいたらBくんのことばかり口に出していて、もうとっくに周りの友人なんかには「え、Bくんのこと好きなのかと思ってたよ、結構前からBくんの話ばかりじゃん」って言われるくらいになってから、「あれ?え?わたしAくんのこと好きだったはずなのに?」「え?」とBくんのことを好きな自分に気づいたり、

もしくは、Aくんのことを諦めなければならぬとどこかでその気持ちが落ち着いてきていて新しい道へ進まねばならぬと思っている頃に、仲の良いBくんに恋人いたら、ショックだなあ、結婚してしまったらショックだなあ、なんて思うところから、あらあら?あらあら?と自覚したりする。


 自覚はするけれど、大抵の場合その新しい恋愛対象になりうるBくんには、何かしらの媒体で、SNSで、ほんの少しばかりは話していても会っていない状況が多いから、むしろ26歳を超えて夜神くんとLくんのことを経てから、いや、メロくんのことを経てからは


 「実際に彼と本当に近しく仲良くなるような機会があるまではそんな感情ではないとペンディングしておこう」

 と思うようになって、若い頃に比べて20代前半と比較して恋愛感情が暴走しなくなった。


 いや、暴走しないように無意識に意識してしまうようになったのかもしれない。


 もう、大切な友人を失わないように、距離が開いてしまわないように。自分が傷つかないように。

 だから、どちらかというと初めての彼氏以降、あまり恋愛していて楽しいと思えていない。苦しいことの方が多すぎるから。恋愛は、わたしにとって片想いし始めた頃が1番楽しくて、想いを伝えるとか付き合うとかそういう次元になってくると苦しみが増えてしまうものだった。


 夜神くんと別れてわたしは(夜神くんと友人に戻れなかったことで)友人を失ったし、Lくんに振られて、告白する前みたいには話せなくなってしまったから、、もう、怖いんだ。友人として話せるなら、それを失いたくない気持ちが大きい。


 ところで、もう終わってしまったLくんやメロくんへの気持ちが本当に純粋な恋愛感情から起点したものなのかということは、ここで本当にそうだった!としたとしても何も事実は変わらないのだけれど、おそらくメロくんとニアくんのことは恋愛感情として好きになっていなかった。たぶん、友達になれると思った人と縁が切れたから寂しくなっただけだろう。

 Lくんについては少々複雑だ。確かに、Lくんが他の誰かと付き合っているという事実を知ったら嫌だと思っていたし、実際振られて彼女がいると知って、食べ物が喉を通らず翌日も起き上がれないくらいには泣いた。たぶん恋愛感情がなかったわけではないと思う。でも、その恋愛感情のような何かは、実際に、Lくんと自分が恋愛関係になるとか告白して例えばOKを出されて付き合うことになるとか、そういうその後のことまで含めて考えていたわけじゃなくて、どちらかと言えば尊敬というか、畏友だという誇りの上に成り立っていたもので、純粋に恋愛感情(下心)のようなものがあったわけではなかったのかもしれない。むしろ、人として好きだ、という感情の方が強かったのかもしれない、と今になると思うのだけれど、
それは今、ポスト告白玉砕後から、Lくんに気軽に話しかけたり相談したり出来なくなったからそう思うだけなのかもしれない。だってもし、あの時OKされても、あの頃のわたしはその後付き合っていける図なんて想像できていなかったというかそこまで考えていなかったもの。


 まあ、それでLくんについては、今も同級生だし別に連絡が取れなくもない、くらいの距離なのだけれど、なんとなく、あと何年かはわたしからは何もアクションしない方がいいのかなと思うところがある。本当は、普通に悩みを相談したい気持ちはあるんだけれども。彼はとても変わった人間で(褒め言葉)、突拍子もないこと、とはいえ素敵な選択、けれどそれは、"世間的な友人"たちが決してそうしなよとは言わないような、"常識を超えた"意見、そしてそれを選んで生きていけるならそれは本当に強くてしなやかで素敵な人間になれる、とはいえわたしにはそんな能力も実力も本当はなくてLくんが想定しているよりわたしはずっとずっとはるかに出来の悪い人間だからやはり無理なこと、をぽんと言ってくる。

 でも、「皆はさ」「普通はさ」「世間はさ」と言われ続けて、幼い頃からただ必死に生きていても周りについていけなくて、苦しくて「なんでみんなみたいにできないの」「なんでこんなに何もできないの」「変わってるって言われて恥ずかしい」「まともに生きなさい」と言われ続けて、自分を否定されている感覚を持ち続けて生きてきた私を肯定してくれるような、(それはLくんにとってわたしが、至極どうでも良い他人だから簡単に言えることなのかもしれないが)そういう人は珍しくて、だからLくんのことを好きだと思ったのかもしれない。そして、そういう友人というのは、やはり貴重だし必要なのだ。

 「そろそろまともに生きなよ」と言ってくれる友人も「普通はさ」と言ってくれる友人も「んー、常識とか、別に考えなくていいんじゃない?」と言うLくんも、等しくわたしに必要であり貴重な友人なのだ。


 そのLくんの意見を、気楽に気軽に、聞けなくなってしまったことだけは告白した損失だと思っているけれど、あの時告白してはっきり振られて本当に良かったと思っているから、プラマイゼロ。むしろ友人関係は続いているから今は無理でも5年後、10年後、もしかしたら何十年後とかには、また"風変わりな"Lくんの貴重な提案を聞けるかもしれない。


 さて、それで問題は、夜神くんだった。夜神くんのことを私はずっと引きずって生きてきた。2019年末から、ずっと。少なくとも2022年秋頃までは文字通り毎日ずっと。いつかは忘れるよ、と言う親愛なる友人の言葉に抗って「忘れたくないんだ」って毎日思い続けてきた。

 けれど時間が過ぎたらやっぱり顔がパッと出てこなくなって匂いがわからなくなって手の感触もわからなくなってしまって今では夜神くんの住んでいたお家の構造だけはっきり覚えていてそれを思い出すことでやっと夜神くんの顔や身体を思い出せる、くらいになってしまった。夜神くんが作ってくれた桜エビのご飯とか、わたしが床にばら撒いてしまった炒飯とか、そういうことは少し覚えているけれど、noteに書き残した時ほどには覚えていなくて匂いは、やっぱりLUX luminique midnight aromaの香りを嗅げば思い出すし、前に書いたnoteを読めばもっとはっきり夜神くんのことを思い出すんだけれども、

 そういうのがないと日常的に思い出せなくなってしまった。そして、少し前までは忘れていっている自分が悔しくて悲しくて、忘れたくないと泣いて、もがいていたのに、もうそんな感情やエネルギーも湧いてこなくなってしまった。これが、恋が終わる時、なのかもしれない。今までの恋愛は、

誰かを好きになることで、前の人のことを忘れていることに、もう立ち直っていることに気づいてきたのに、夜神くんだけは、恋愛感情の火が鎮火していく様相を感じ続けている。


もしかしたらこれは、夜神くんへの気持ちを親愛なる友人に重ねてきたから、なのかもしれない。




 こうして、夜神くんのことはもう少し、感情が変わってきているのかもしれないなと思ってきてしばらく経った頃、それまでもやはり同級生として、Facebookとメッセンジャーでやり取りする程度の、同級生の動向が気になっている自分に気づいた。恋愛感情まではいかないのはやっぱりもうLくんの時みたいに数年会ってもいないのに好きかもなどと思わないようになっているのと、決してがっかりしてしまわないようにしているのと、相手がわたしのことを好きにならないだろうとわかるから、恋愛感情とかそういうもののずっとずっと手前で自分で止めただけだし、単純にもう6年以上会ってない人のことを恋愛感情で好き、と思わないだけだろう。男友達が結婚すると好きではなくても少しばかりショックがあるというのを知ってからは、たぶんその類の感情だろうと思っている。

 ただ、その、同級生の彼ー ここでは、越前くんとでもしておこう ー 越前くんについては、Lくん以上に貴重な男友達だ。おそらく、親愛なる友人の次に、わたしが頻繁に連絡を、とは言ってもFacebook上かメッセンジャーで、LINEを交換することなく6〜7年が経っているのだけれど、とっている友人だ。

 彼とは、趣味というか好きになる作品の類が似ている。サンダーバードとか、SKET DANCEとか。それに、越前くんの趣味の良さは結構好きなポイントであるし、わたしが苦しい時や悩んでいる時ダラダラとFacebookを書くとほぼ必ず反応が来る。コメントが来る、メッセージでやり取りする。なんというか、わたしのようにダラダラといつも悩んでいていつも長々とまとまらず文章を羅列するような人間は、たいていの同級生にとってはスルー対象というか気にもとめず、ああいつものことね、とすん!と流す対象のはずなんだけれど、彼の場合7〜8割くらいの確率で何かしら反応を返してくれる。そしてそれがFacebookを交換した時からほぼ変わらない。彼とはFacebookとメッセンジャーでしか繋がっていないから、それがさらに良いのかもしれない。LINEだといつでもいつまでも、相談したり話すことができてしまうし、Twitterやインスタのようなものだと、24時間365日、わたしには越前くんの存在が、彼には私の存在がそこにあって、だからうるさいなというか煩わしいなとか面倒だからかかわりたくないな、放置したいな、みたいなのが現れるかもしれないけれど、頻繁に流れてきたらやっぱり日常にその人が入り込むから、煩わしくなるものだけれども、SNS更新がうるさいわたしでもさすがにfacebookを毎日更新するとか、メッセンジャーで毎日やり取りを永遠に続けるなんてことはしないから、たぶんそれが今の心地よさをつくっているのかもしれない。そう思うと、わたしの場合、大切にしたい誰かとは、あまり近くなりすぎる連絡手段を持たない方が良いようだ。


 そう、今揺れているのは越前くんのことだ。いや、揺れてなどいないまだ。でも、越前くんレベルでの尊敬できて、かつ"変わっていて"、けれどしっかりしていて自立していて、非常に頑固ででもまっすぐで、思ったことをどんどん行動に移して、住む場所も仕事も変えてしまうほどの行動力がある人は、越前くんレベルの人は、わたしの周りには少ない。越前くんはわたしのことを全く女性として、見ていないのが明白で、それに少しばかり寂しさを感じたことと、越前くんが好きになる人ってどんな人なんだろうとふと思った時に、モヤモヤしたから、あれ?と思っただけでまだそこからは進んでいない。進ませないようにしている。


 こうして書いていくと、恋愛なしで生きられないのかお前は、と言われそうな感じがするが、おそらくまあ多分、
恋愛がないと生きていけない、とか
恋せずにはいられないとか、恋多き…とかじゃないけれど、比較的、恋愛感情という強いモチベーションやムーヴは、私の人生において重要な要素なのは間違いない。
 学生の時も、彼氏とか、誰かのことを好きだというそのエネルギーで、自分のやることを頑張れてこれたのがあるし、全然ならなかったけれどLくんの時は、Lくんに見合う人間になりたいと思うようになっていったわけだし、わたしという人間の生活や日々の考え方にかなり深く入り込んで、変革期をもたらすのも事実だ。


 そう、今までは、好きになってずいぶん経ったりもう、周りの友人たちとか、場合によっては本人に完全にバレバレな状態なくらいになってから、○○のことが好きなのだ、と自身の恋愛感情に気づくことが多かったのだけれど、年々それが変わってきている。

 それは、おそらく最初の彼氏との恋愛の運びや、二番目の彼氏と付き合うことになった経緯や、その後Lくんのことを好きだと気づいてしまったタイミングとか、夜神くんとはうまくやっていかなきゃと思っていたそれとか、


 そういうこれまでの恋愛の経験を全て経てそういうふうになってきたんだと思う。


 まあ、ただ、越前くんに関しては、
まだまだ何もないので、様子見だね。


 もしかしたら、全然、ただの尊敬する友人の一人という感じかもしれんしね。それはそうだったとしても、それでいい。Lくんのことだって好きになったと思い込んだけれど、好きだったにしろ好きにならなかったにしろ、好きだと思い込んでいただけにしろ、尊敬している点があることや面白い人だと思ったそれは、ずっと変わらなかったから。


 ただ、いちいち友人や誰かとの接点を恋愛感情と結び付けたくはないわけだけれども、

 たぶんまだ、そうしないと、親愛なる友人にすり替えてきた夜神くんとの恋愛のそれが終わったのかまだわたしは好きなのか確証を得られないままPendingされていて、かつ、恋愛感情の有無にかぎらず、会いたいと思った人には、やっぱり会いたい、わけだけれども、これまで強く会いたい、と思った人というのは親愛なる友人以外は好きな人だったがゆえに、いやむしろ、親愛なる友人はであった時からパートナーがいたから、意識的にも無意識的にも、好きにならないようになっていただけで、別に何もなくただ友人だけれど、少なくともわたしにとって親愛なる友人との"友情"関係は、友愛に見られる綺麗な関係ではなくて、

尊敬も嫉妬も恋慕も愛情ももちろん友愛的感じも、持ち合わせているもっとドロドロとした感情だから、わたしは彼を好きには好きだと思っている。ただ、わたしと彼は決して交わらないというだけで、

 その親愛なる友人の次くらいに、会いたいを連呼している越前くんに関しては、やはり友人としてなのかとかは会ってみなければわからないというか、ただ単に、やっぱり7年会っていないけれど、時折メッセージで話していて、近況はずっとSNSで見ているような友人は、会いたいと思うものだ。大人になると、会う頻度は減るしね、

 ここで越前くんと名前をつけておいてなんなのだけれども、彼についてはなるべくというか、できうるならこうしたものに書くのは控えたいと思っている。


 夜神くんのことは、忘れられなくて、好きでここに書いてきてそれに付随して他の人たちも書いてきたわけだけれども、


 出来うる限り、書かないでいたいと、思うようになっていて、本当はなるべく書かないでおきたいと、実のところもう1年弱ほど思っていることに、最近はっきりと気づいたからだ。


 これが最初で最後の、越前くんの登場としたい。


 ふーん、やるじゃん。



 だって、強くなりたいじゃん。


 強くなって、いつかさ、


 恋愛って、楽しいじゃん


 って言えるくらいの恋愛してみたいなって今は思うようになってきた。



#恋愛


ちなみにトップ画は、テニフェス2023オーラスで会場入りした時に撮ったリョーマ様のアクスタです。


やっぱりリョーマ様好き過ぎて皆川さん出てきた瞬間に泣いちゃったよおおおおおおお。まだテニフェス2023は、全然言葉にならないから、もし書きたくなったら書きますしそうじゃなかったら思いでしまいます。


生で聞いたんだよ…人生2回目の生のリョーマ様(皆川さん)。(一度目は、映画リョーマ!の試写会が当たって、その時に許斐先生と皆川さんが、舞台挨拶なさって拝見したの。)


グッズはこれだけ事前に買っていて

グッズこれだけ買ったので、鞄持ってTシャツきて、リョーマ様のアクスタ持って行ってペンラとタオル持って参戦しました
青学のアイシングクッキーにリョーマ様いなかったから買わずに立海だけ買ったらなんと!ぶんちゃんあたって、青学のブドウソーダは、手塚部長だった、


7年前までのテニフェス参加したことなくて今年初めて参加できたんだけれど…感動し過ぎて.また、参加します!!!


#テニフェス

あれ、最後のハッシュタグこれになってしまった!!

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