「結婚する理由」なんていらなくなればいい

 noteで「結婚する理由」と検索したら1000件と出た。数えてないけれど1000件以上あるんだろう。どんな記事があるか読んだわけじゃないし、どんな人たちがどんな思いで書いたかわからないけれど、


 結婚するのに、理由、がいるのだなあ、

と思った。


 個人的には、どんな事情を抱えていても
結婚する理由とやらは、言葉にせねばならぬほど主張しなくてはならないわけじゃない気がしている。


 まあ、記事の中には「結婚しなくても生きていけるこの時代にあなたと結婚したいのです」というゼクシィのコピーのような、素敵な人たちが大勢いるのはよくわかっているつもりなのだけれど、


 やっぱり結婚するのに理由を言語化しなければならない事由なんて、あるんだろうかと不思議に思った。


 結婚したいならすればいい、

 したくないならそうすればいい


 結婚は本来、結婚する本人同士が了承していれば良いものでしょう。


 だから、個人的には、なぜ同性同士の方が婚姻制度を適用できないのか全然理解できない。はやく法整備してほしい。"結婚しなくても生きていけるこの時代にそれでもあなたと結婚したいのです"は、結婚したいと思ったすべての人に当てはまるわけだし、


 今の日本の婚姻制度をもとにしたら、結婚しないと、財産分与や子の親権関係、保険制度やそのほかあらゆることで「家族」として扱ってもらえないみたいだから。だから、いいじゃない。結婚したいと願うすべての人に結婚させてあげればよろしい。
(あ、でも、結婚、という形は嫌だけれど一緒に生きていきたいし、子どもも欲しいという方もいるから、まだまだ難しい問題だね。とりあえず結婚したい2人は誰でも結婚できる世の中からかしら)


 仮に、愛し合う女性と女性が、男性と男性が、婚姻関係を結んだとて、あなたに何の危害も加わらない。もちろん私にも、世界は終わらないし、地震も起こらない。確か少し前に海外で同性同士の結婚に関してスピーチした方がそんなふうな話をしていた。(地震が起こらないなんて言ってなかった気がするけれど)


 2日前、

性別に揺れる子の節句に関する記事のコメント欄に


ある女性が「女子校とか男子校とかって良いのかもね。だって単性しかない社会環境では、趣味趣向を性別と関連付けずに済むから」とコメントしていた。そのコメントは良い。

そのコメントに返信する形である男性が
「残念ながら同性愛に走る子が出てきます。あるあるです」と書いていた。


無視すれば良かった話なんだけど、何だかどうしても無視ができなくて私は思わずコメントを返してしまった。

「なぜ残念なのでしょうか?女子校出身ですが私は男性が恋愛対象ですし、もちろん女子校のなかには女性が恋愛対象の方もいたかもしれませんが私の同級生180人集めても2人くらいでマイノリティでしたし、多分その2人は女子校に入る前から恋愛対象が女性の子でした。何も変わりません、そして、別に女性が恋愛対象の子であっても相手が嫌がることやセクハラをしなければ別に残念でもなんでもないと思います」と。(まあ、これに関してもわたしが異性愛者だから、周りに異性愛者の人が多いだけというわたしのコミュニティの問題があるので、マイノリティでしたし、というのはそういうわたしのコミュニティのなかでは、なんだけれどね。)

 別に無視すれば良かったのに、なぜ私がこうやってリプライまでしてしまったのか自分でもわからないけれど、

 こういう「残念ながら」と無意識下に、
あたかも自分の生きている世界こそが正しくて、そうでない人は間違っているといったふうに書かれていたのがなんだかむずむずした。


 そもそも女子校に行ったら、男子校にいったら同性愛が生まれると思ってる人って、共学に通っていた自分の学校のなかに同性愛者の方がいるとか想像したことないんだろうね、

 私はいわゆる自認女性、身体女性、恋愛対象男性なので、はっきり言ってこの人にわざわざいらつかなくても私のことを貶されたわけじゃないし、


 それからおそらく、仮に同性愛者の方がこの方のコメントを見たところで、まあそう思う人もいるよね、ふーん、と流すだろうから、むしろ私のように噛み付いてしまう人こそにイラッとするのかもしれないとも思う。


 けれど、それでも、「残念ながら」という言葉にイラッとしたのはむしろ、そのあとの、同性愛に走ってしまう子がいるという内容よりも、女子校、男子校という学校に通ったことないくせして、何も知らないくせに勝手に妄想でイメージしてくくられて"イメージ"を固定観念化されたような、そんな気がしたんだと思う。何度もいうけれど、私は中高女子校出身だけれども、6年間の女子校生活では、「(その社会の中で)女性としての性別役割を押し付けられることなく、人間として扱われ、人として自立した存在として認められていた」から。


ちなみに、きっと私の母校の女子校にも、同じ学年に、ごくマイノリティだとしても恋愛対象女性の女の子はいたのかもしれない。でも、別にその子が私に嫌なことをしたとか、誰かをひどく傷つけるような子だったとか、そういった何か害を及ぼさない限りは、別にどうでもいい。だから、

「別に女性が恋愛対象の子であっても相手が嫌がることやセクハラをしなければ別に残念でもなんでもないと思います」とコメントしておいたのだ。


 女子校という社会でなくても、社会全体として、正直このくらいのことだと思う。


 仮に男性のことが好きな男性がいたり、女性のことが好きな女性がいたり、身体は男性でも自認は女性という方がいたり、身体は女性だけれど自認は男性という方がいても、社会的な扱われ方としては、その人が、他者全員に、嫌がらせをしなければ別にいい話であって、嫌がらせという点に関しては、仮に異性愛者の私であっても、嫌がらせをしていいわけじゃないからその点、誰一人何も例外はなく、同性愛の方がいたとしてその方に嫌がらせしていい理由もない。


 おそらく、多様性という言葉の中で、さまざまな性を認めていく上で、問題であることは

 「自認は女性だ」と主張する身体男性の人が女性トイレを使用する女性更衣室を利用する、というのは、やはり"私たち女性"からすると、申し訳ないけれど嫌だなと思ったりする、という点で、けれど、この問題も、(自認も身体も)女性同士ならなぜ更衣室に仕切りがなくて良いと思うか、という論点まで突き詰めれば結局のところ、個室化・プライバシー化を促進する必要がある、ということになる。

 身体男性、自認男性、恋愛対象女性のオトコが小さな男の子に性的悪戯をしたとか、

 身体女性、自認女性、恋愛対象男性のオンナが、同じく身体女性、自認女性、恋愛対象男性の女性に(故意だろうがなかろうが)嫌がらせをしたとか触ったとか


 そういう事件や問題はあるんだろうから。


 セクシュアリティとジェンダーに関しては正直、こういう場には、あまり言語化したくはない。

 それは、わたし個人の意見であって、だからわざわざ、何か問題があったわけでもないのに、誰かに主張する必要はわたしには、ないから。


 それなのに、どうしても「残念ながら」というようなコメントを見聞きすると、毎度ではないけれど、時折気になり過ぎて書いてしまうし、noteにこうした話題は書くつもりはなかったけれど、結果こうして書いている。


 わたしはたまたま自認も身体も女性で、たまたま恋愛対象は男性だったけれど、それでも「ゆかまるちゃん、ええ人おらんの?」と当たり前に聞く祖母の言葉に時折胸が痛くなるのは、祖母が、無意識に当たり前に、わたしが自認も身体も女性で恋愛対象男性だと、思っているんだなあと、私が当たり前に誰かに恋愛感情を抱くと考えているんだな、と思うからなのかもしれない。


 弟が名字を奥さんの名前にすると言った時、両親は、縁を切ると言ったほどに怒っていて、父は「あいつとは縁を切った」と今も言っている。それも、わたしにはわからない。「法的に夫婦どちらかの姓を名乗ること」はすでに当たり前で認められていて、今争点となっているのはむしろ「夫婦別姓がなぜいけないのか」という社会なのに、その現代に、「奥さんの苗字を名乗ったら、婿入り?は?養子?何言ってるんの、養子じゃなくて婿入りじゃなくて、苗字変えただけの話だよ、なんでじゃあ、お母さんが結婚する時苗字をお父さんの方にかえたのは問題なくて、弟が奥さんの苗字に変えるのはおかしいの?奥さんの苗字にかえたから、もう我が家の人間じゃないって?じゃあなに、お母さんは、結婚した時から祖父母の家族じゃなくなったわけ?違うでしょう、」と。


わたしは本件で父と弟とがぶつかっていたというか、勝手に父が許さないと憤慨していた件に関して首を突っ込んでいなくて、そんな争い知らないというていでいたので、父や弟には口にしなかったけれど、本件を母が「あんたたちには、産んだ母親の気持ちなんてわからないわよ」と言って大反対していたそのときに、母にはそう返した。

わたしは確かに結婚も妊娠もまだだからわからないし、父方の祖父母に「男の子やから」「跡取りやから」なんて言われて孫を迎えられたような立場になったことないし、母にとってはプレッシャーや責任感のようなものがあったのかもしれないなんて想像はしたけれど、それは確かに母に同情したけれど、


 でも、そんなのは子どもたちには関係ないからね、悪いけど。お兄ちゃんは長男だから跡取りだからって育てられてプレッシャーの中生きてきて、真面目な人間に育ったけれど、そうやってプレッシャーをかけてきた結果が、あのお兄ちゃんの我慢強さと「妹と弟がいるから」って色々我慢してきた結果でしょう。

プレッシャー与えておいて「お兄ちゃんは長男だから我慢させたことたくさんあって可哀想なことをした」なんてお兄ちゃんが大人になってから、妹や弟である私たち兄妹にいうなんて失礼な話だよ子供の立場から言わせて貰えば。


 あ、少し話が逸れちゃった。



  言いたかったのは結局、

 ジェンダーにしても、婚姻制度にしても、
苗字は男性側にするのが当然だとか、奥さん側の苗字にするのはおかしいとか、
女性が女性を好きになるのはおかしいとか、男性が男性を好きになるのはおかしいとか、いやそれだけじゃない。

 女性だからどうのこうの、男性だからどうのこうの、としてきた今までのことを、変えていこうよというのが今の日本のジェンダー問題で、今まさに変革期にきているんじゃないだろうか。


 世代の違いだけじゃなくて、わたしと同世代でも、女性の側の苗字を名乗るなんておかしいとか、女性なのに女性が恋愛対象なんて、と思う人だって、身体男性"のくせに"中身女性?は?と思う人だっていると思う。

 でもさ、そんなのどうでもいいじゃん、


そう、どうでもいいんだよ。どうでもよくない?ってなる社会になればいいだけの話だと思う。その人がしたいようにすればいいって社会になれればいいんだよ。他人がとやかくいう話じゃない。そう思うと、先ほどのコメントした人に対しても、そう思う人がいるということでわたしが、誰かのコメントをみて思わずイラっとして反応してしまうのは、間違えているのかもしれないけど、だってどうでもいいんだから。でも、みんなが、そんなのどうでも良くない?嫌がらせしてなければ、犯罪犯してなければ、ってなっていけるようにしたほうがいい。そして、「"残念ながら"同性愛者が生まれる」なんてことを平気で口にしてしまう人は、社会からおいていかれればいい。"残念ながら"あなたは他者を排除していますが、排除されるのはあなたの側ですよと。


 法や社会の整備はすぐには変わらない。だって、「自認女性ですから」と言い張られても確認する手段ないからさ、その人が何もしなければ別に何でもいいんだけど、「自認女性なんです」と主張して入ってきた男性がお手洗いで盗撮、とかされたら無理だし。でもそれって、その人が男性なのか女性なのかが問題なんじゃなくてその人が盗撮という犯罪行為をしたことが問題で、それはその人の倫理観とかの問題であって、やっぱりジェンダーの問題ではないと思うんだよね。



 「結婚する理由」といった内容の記事を書いている人の大半は"結婚しなくても生きていけるこの時代にわたしが結婚する理由"みたいな話であってジェンダーとか、セクシュアリティとかの話でないことがほとんどだと思われる。


 結婚するのに、理由なんて、本当はいらないし誰かが認めるか認めないかなんて話は.どんな家柄でも本来はなくて、当人同士が決めることでしょう。それが、どんな性を持っていたとしても。


 ちなみに、世間には、人というものは、誰かしらに恋をしてしまうものだとか、恋心くらい経験しているだろうと当然のように思う方がまだいらっしゃるけれど、ノンセクシャルの方もいるし、恋愛感情を抱いたとして性的欲求を抱かないアセクシャルの方もいるだろうし、自身の性的趣向や性自認はまだよくわからないといったクエスチョニングの方もいる。


ジェンダー関係に関しては、お手洗いから法整備まで、そしていずれ人々の価値観まで変えていくべきことや変わっていくことはたくさんあってけれど、今すぐに全てを変えるなんて不可能だと思うし、とりあえず変えてみた、とかやったら、それがちょっとおかしな方向に行くこともある(ちょっと前に、歌舞伎町かどこかのお手洗いが、男性トイレとそれ以外の方が使えるトイレに分かれていた、っておかしくない?って問題になっていたよね)。


 制度を変えないと変わらないことはたくさんあるから、やっぱり変えていかなければならないし、制度を変えることで変わる価値観もあるから、やっぱり必要なんだけれど、

 すぐには、人々の価値観や常識や、当たり前なんて変えられないんだよ。だってそもそも、多様な性を認めようとかいう話で社会が動いてるけど、

何十年経ったって、女性の社会進出に関してたいして変わってないんだから。


 これに関してだって、わたしの親世代くらいはすぐ「今の人たちは主張すれば通ると思ってわがまま放題だ」とか「昔はこんなの当たり前だった」とか「こんなの常識だ我慢しているべきだ」とかいうのよ、セクハラひとつとっても。


 でもさ、そんなこと言ってるから変わらないんじゃない?それに、親世代は、「30前だったら手取り600万くらいあるでしょ?」って平気で言ってくる人たちがいたり、そういう想像のままで「今の人たちは、子供産んだら手当が出て、子育ても手当出て、いいわよねえ」って。そりゃわたしたちアラサー世代は、小中高生の時、政府から大して経済的補助も出るわけでもないのに、働くようになったら、ゆとりとか言われ、税金は上がり、物価も上がり、給与は下がって死にたくなるような社会なわけで、子ども産みたいと思い、また産めた人に補助が出るけれど、でもさ、補助出たところでなかなか育てるの大変よ。

今どき、専業主婦(夫)でずっとやっていけまーすってほど夫または妻が1人で家計を支えられて子どもを1人2人3人なんてもてる人ばかりじゃないし。わたしの親世代は、わりとそんな感じの人も少ないわけじゃないと思うけれど。だって現に、我が家だって、母が結婚以来専業主婦で子ども3人だからね。

まあ、とにもかくにも、結婚するのに理由なんて書かなくていい時代になってほしいし、性別で不利益を被らない社会になってほしいし、私たちの子どもの世代には、


性別役割意識みたいなのとか
「男の子だから」とか「女性は、」とかなくなってほしいし、やめてほしいね。

 どんな時代にも、危害を及ぼす人はおそらくいて、だから、例えばお手洗いで性被害を受けたとか、誰かに性的虐待を受けたとか、そういうのはきっと少なからずいつの時代もついてくる。女性にも、男性にも。

ただ、今まで男性主導の社会が長らく続いていたから、男性が当たり前だと思っていたものが女性にとって、または自認と身体の性が異なる人たちにとって苦しい現状にあったとか、そういうのはあるんだよ、男性で「そんなわけがない」と思う人がいたら、多分気づいてないだけの話。


そして、そういう話があったとき、
「それはあなた個人の問題でしょう」「あなた個人の話でしょう」としてきたから未だに解決しない。その、個人の問題とやらが何百件、何千件、何万件と出てきているのに。


まずは、自分が無意識に、当たり前だと思っていたことが、他者にとっては当たり前ではなく、自分は何も考えたことのない、当たり前に享受していたものを当たり前に享受できていない人がいるということを考えたほうが良いよ。

もちろん、私にだって、男性の苦悩もプレッシャーもわかってあげられないわけで、でも私にはわからない、という気持ちはもって、想像しておこうとは思っている。


 この間、NHKスペシャルで、「"男性目線"を変えてみた」という番組がやっていた。その第二回放送がたまたまテレビでついていてみていた。

 ジェンダー問題というのは、セクシュアリティの問題と絡んで、自認や身体の性に関しての壁と、男性優位が無意識下になってきたこの社会で未だこの21c、令和の時代に、まだ、女性進出だの、女性活躍だの、なんだのいうくせに全然働いている会社の状況も社会の仕組みも、政治も変わってないことがたくさんあるってことを、国民が認識することから始まるんじゃないかしら。


「残念ながら」なんて無意識に書けちゃうような人は、

「最近の人は」なんて無思考に言えちゃう人は

「女のくせに」「男のくせに」って口に出しちゃうような人は、

もしかしたら、"マイノリティ"側になったこともなく、結婚や妊娠やそのほか様々なことでキャリアに影響を及ぼされたこともないのかもね、


 この世の中は長寿になってきたから

ジェンダー問題や性別役割の押し付けだけじゃなくて


世代間の分断とか、若い世代が古い世代をまたは古い世代が若い世代を、何もない時点から否定してかかっているような、そんな世の中にもなっているだろうね。


わかりあうことは、無理だと思う。

そもそも、理解し合いましょう、っていうのは間違えていると思うんだ。


理解なんてできないよ、家族だとしても恋人だとしても。他人だもん所詮。

むしろ、相手のことは理解できないんだと認識して、わたしはわかっていないんだと認識をした上で、お互いの存在を否定せずに(もちろん他者に不用意に危害を加えることは断固として間違えているとして)、否定はしない、排除もしない、でもわかりあえるわけじゃない、って思うことじゃないかしら。


わたしはパートナーのことなら何でもわかるの、とか、息子は、娘はこう思ってるはずよ、親だからわかるもの!なんて思ってるほうが思い上がり。

まして、親のわたしがいうことに従ってればいいの、いい人生歩めるようにしてあげるんだから、なんて過保護のカホコみたいな、ごめんでしょう。


だから、今の世の中にまず必要なのは、

わたしたちは、皆、所詮自分以外は他人で、自分以外の人とは何もかも分かり合えるわけではなくて、何かもわかるなんてことはなくて、だからこそ、歩みよりましょう、

理解し合えないのだということを頭においてけれど否定せず、譲歩したり進言したりしながら歩み寄りましょうね、


という社会で、その一つとして

「結婚する時女性の姓を選ぶことで誰かに危害なんか及ぼさないのになぜ親にダメだなんて言われなきゃいけないの?」って話だし

「愛し合う2人がただ、他の人と同じように愛し合い、家族になり家族として社会生活を送り、社会の中で家族として受けられることを当たり前に享受したいだけなのに、同性であるというだけの理由で認められないの?」という話で、


「男だから」「女だから」と、不用意に役割を押し付けられたり、享受したいことを享受できないなんておかしいじゃないか、という話なだけなんじゃないかしら。


もちろん社会はすぐにはかわらない。


以前に、月曜から夜ふかしで、マツコさんが

男はカネと権力、女の最大の武器は美貌、と言われてきた時代があまりにも長過ぎたから、女性は若いほうがいいなどという観念はすぐには変わらないわよね、カネと権力のないオヤジは黙っとけって話よ、と言っていたように、長年当たり前だとされてきたことなどはすぐには変わらない、と言っていた。

でも、たぶん、今、時代の転換期の真っ只中に、きたんだと思う、


平成から令和になって、令和の初期の間に、分岐点として、転換期として、過去の産物とすべき様々なことが、少しずつ変わっていけばいい。


いつか、「結婚する理由」とか「結婚しない理由」なんて記事、書く必要も需要もないくらい、一個人が結婚しようがしまいが、誰にも何も言われず、危害や暴言や社会的不利益を被ることなく、また、当たり前に好きな人と結婚できるような世の中になったとき、社会は確実に変わっていくはず。もちろん、結婚という道を選ばなかった人が「結婚しない理由」なんて書く必要も当たり前にないくらいに。


でも、マツコさんがいうとおり、すぐに人の価値観や考えや常識って変わらないから、そのために法整備を変えたらいいんじゃないかしら。マクロレベルで変えてしまうことで変わっていく世の中や常識ってたくさんあると思うのよ。変わって行った先で別の問題が浮上したとしても。

あでも、ひとつ今すぐ変わって欲しいのは


女性だからという理由と、結婚したからという理由でキャリアを諦めざるを得ない人がたくさんいるのはほんとにはやくかえよう。女性の側もだけど、男性でさ、キャリアのために転勤しなければとかもっと働かされて、家に帰って子育てしたいのに時間が取れない、子育てを選んだらキャリアが消えるとかもね。それはいますぐかえてほしいね。


#ジェンダー問題

#結婚




まあわたしは、結婚しなくても幸せになれる時代かもしれないけれど、


好きな人と愛する人と、愛し合えて、結婚して、互いに慈しみ合いながら家族になれる、そういう結婚や恋愛を、強く望んでいるけどね。

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