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きっといつかのための経験。



 コロナが広まって2年働いたVCの仕事を辞めることになったのは2020年6月。


 VCとはいうものの、私はVCの方々が使うコワーキングスペースで社員の方が出られない時間を埋める仕事をしていたから、何かを開発したり0→1の仕事でバリバリやっていたわけではない。


 その仕事がとても楽しかったことを
とてもよくわかったのは、辞めるとわかってからだった。



 30年弱生きてきて、いつも同じように思うのに、感じるのに、どうして人は、失うと分かった時、失った時、日常が日常ではなくなった時まで、今の当たり前の幸せがいつまでも続くわけでないことに気づかないのだろう。



 このVCにいる間、はじめは人見知りばかりして(いや正確にいうと最後まで人見知りしていたけれど)、全然話せなくて、それにVCの環境にいるのにそこで吸収できる情報や人脈も築かなかった。


 いや、この時ばかりではない。コロナになった途端に、自由に歩き回って散歩したりどこかへ出掛けていたのが奪われて、非日常になったし、マスクをしたり消毒をしたりする非日常はいつの間にか日常になり、非日常と日常はあっという間に翻った。


 VCをやめたとき、次にここへ来る時は、ここで出会った方と会う時は、きっと胸を張って成長した自分でいたいと思った。今はまだ、そこまで至っていない。けれど、あの頃の私とはまるで違う人間になっていっているのはよくわかる。


 VCの間に学んだメモの仕方、
いろんな働き方をする人。


 VCを辞めて次に就いた現職
(それも今月末に辞めるが)では、

「仕事ができる人」
「周りをよく見ている人」
という評価をされてきた。


 それらのもとはきっと2年間のVCでの勤務だったと思う。


 VCにいる間に、さまざまな生き方、
働き方をする人に出会った。


 大企業から転職してVCに勤める方、
自分で会社を起こしたスタートアップの役員、

 VCで勤めるお父さんが上司と子育ての話をしていた。

 新卒からベンチャーで新進気鋭の新人さんらしき人、


 ベンチャーでインターンシップをする大学生、


 母親として働きながらリモートで仕事をしながらコワーキングスペースの受付管理をする上司。



 人と話せなくなっていた私を、
「ラウンジの受付の人」 として
話しかけてくれる人、そのうちちょっとした世間話をするようになったり。

 自由に働ける環境と、決まった仕事、
縛りのない職場とさまざまな方々との出会い、それらがあったから私は、コロナ休業で辞めることになるまでの2年間働くことができた。


 そこで出会う人々に、
「教員になったんですけれど、3日目に辞めてしまって…」

「新卒で仕事辞めてから転職活動うまくいかなくて仕事できていなくて」

なんて身の上話もした。


 親や友人には
「フラフラして」
「いつまでも甘えてて」
「そんなんだから…」なんて話をされて
「みんなは」「フツウは」と言われ続けたけれど、この職場でそんな話をすると、



「面白いね」

「好きなことできるじゃん」

と言われた。もちろん、他人事だからではあるけれど、他人事でも、そうやって私の生き方や選択を「いいじゃん」と肯定してくれる人たちがいた。


 コロナで仕事を辞めることになった時、
「2年間ありがとう、助かったよ」
と上司に言われた。


 辞めて以降、2年間もっと他に学びとれることがあったと思ったけれど、あの2年間を今振り返ってみると、VCで働いていた時のAさんとのあの会話でこんな働き方もあるんだなぁと思ったなとか、
Bさんみたいな仕事のできる人の仕事の仕方素敵だなと思ったし何より、VCで働く前には知らなかった生き方や会社や事業を知った。


 辞める時、「好きなことできるね」 
と言われた。


 自由であるというのは責任が伴うものだけれど、確かに、責任を持たなければならないそれはとても重いはずだけれど、そうか私は自分が思っているよりもっと、もっと制限がなくて、挑戦できる立ち位置なのだということを辞めてから1年以上経った今やっとすこしわかるようになってきた。


 VCの仕事で得たスキルが何だったのかはっきりとその時はわからなかったけれど、その後についた現職の教育の仕事では、私は「仕事ができる人」扱いされた。


 それが、VCの仕事の成果なのか、今までの塾講師の経験からなのか、それとも別に私が何かできるわけではないのかはわからないけれど、少なくとも、VCの仕事をしている間に躁鬱を繰り返していた私は多少強くなり、VCの仕事の間に嫌な縁を切れるようになり、VCの仕事の間に好きなように働く働き方を経験し、VCの仕事の間に失恋と新たな恋とさらなる失恋とを経験して強くなった。VCでアルバイトをしなかったら出会えなかった人々に出会い、生き方に出会い、会社に出会った。


 あの会社での働き方が今の非正規雇用の働き方での主軸になってきている。


 最後の勤務の時上司に
「ここで2年間働けたから、もうきっと転職して働いていくことができるよ」と言われた。あれから1年以上が経った今も結局転職活動ができていないけれど、あの言葉のおかげで、理解の遅い私も1年以上の時を経て今、このままではいけない、もっと生き方を、働き方をきちんと考えないと、このままぼーっとしていたら30歳になってしまうと、1年以上たった今、あの頃の会話が蘇ってきた。




 まだまだ若いんだからと言われたあの頃、私は26歳だった。今、28歳になってしまって、実のところ何もできないままでいるけれど、

 「まだまだ若いんだから、色んなことに思い切って挑戦してみてね。たくさんの可能性があると思うよ」という言葉は、2年経った今の私に返ってきた。


 それから、VCで働いていたときに、
いつもお話をしてくださっていた隣の会社の方からはこんなふうに応援してもらえた。


 ああ、2018年の4月に仕事を辞めてから外に出られなくなって必死に出て頑張りすぎて今度はがむしゃらになり過ぎてわけわからなくてわけわからなくなっているうちにコロナで仕事を失って私は何をしていたんだ、と思っていたし、VCの仕事を辞めるとき、私もっと学べることあったはずなのにと悔やんだことたくさんあるけれど、私は、VCで出会ったこういう方々との働いている時の日々の何気ない会話のおかげで2年間楽しく働き続けることができていたのだと、やっと今わかってきた。


 あのVCにいた時のさまざまなやりとりから、働き方も生き方も笑顔も、自由さも、臨機応変さも、落ち着いて仕事することも教わったし、あのVCの仕事の業務のおかげで周りを見渡したりすることも習得した。


 何も得ていない、私は何も持っていないと思っていたし、大学院出てこんなん、、と自分を卑下してばかりだったけれど、私の経歴を面白がってくれる人や「いいね」「面白いじゃん」と言ってくれる人たちがいたから、私は時間がかかったけれど、自分自身の人生やこれまでのことを、もっと肯定的に見られるようになっていくかもしれない。


 親に、心配される。


 当たり前だ。28歳で収入もほぼなく、
もうすぐ非正規の仕事も辞める、実家暮らし。その昔、肥満すぎる父が、痩せない話をしたときに、その体型のままじゃバージンロードは一緒に歩かないなんて言った時、「お前が結婚するのとお父さんが痩せるのどっちが簡単か」とかなんとか言われて母が「ゆかまるが痩せる方が簡単に決まってるでしょ」なんて言ってたけど、父の言う通り、私も結婚より前に就職でこんなに躓いて結婚どころか、彼氏も仕事もないまま親の世話になっている28歳になるなんて思っていなかった。


 もう若くないとどこかで思いながら、まだなんとかなると思っていた26歳だった私は、VCを辞める時「まだ若いから」と上司に言われたけれど、あれから1年経って私は何が変わっただろう。


 1年と3ヶ月越しにあの会話を思い出して、ああ、VCの仕事を辞めるとき、皆さんにかけてもらった


 「まだ若いから」
「自由ってことはなんでも好きなこと挑戦できるね」
 「もっといろんなことやっていいんだよ」


 という言葉は、
あの時々の会話は、1年経った今になって
私に戻ってきた。



 いつかどこかで誰かと交わしたときにもらった言葉は、こうしてきっと思わぬところで私に戻ってきて糧になる。きっかけになる。


 なくなってから気づく楽しさとか
幸せなんて言ってたら遅いのはよくわかっているけれど、誰かから受け取った言葉や想いは、その時にも贈り物で、それを心の中にもっていたら同じようにいつかのエネルギーになったり、熟成されて生きる指針になったりするもので、「あの会話をきっかけに」 自分自身やの考え方や生き方がパーン!と変わりましたということもあれば、振り返ってみたらたくさんの「あの会話をきっかけに」が集まって今の自分になっていたりするのだと、ここ1年ちょっとでよく感じられるような敏感さを得た。


 教育の仕事に就いていると、
「あの先生の一言が」
というくらいの教育の職の自分の
言葉の影響力によく出会うことは、
塾講師をした過去の3年間でよく感じていた。たった一言で教え子の見方や考え方に影響してそれらが彼らの考えや感受性と相まって彼らの人生の選択や考え、発する言葉が変わってゆく。


 VCにいた時の多くの「あの会話をきっかけに」私は今の人間関係を選び、考え方を選ぶようになったし、それらの元はそれまでの私の人生のさまざまな経験によるものになる。


 VCで働いていた時の仕事は、
単純なものだった。取り替え可能な、人材だった。


 単純作業の積み重ねだったけれど、
多くの私の苦手を克服する仕事術が上司が持っていた。


 これからどんな仕事についていくのか
どうやって働いていけるかわからないけれど、ミスチルだって


 なんてことのない作業が
 この世界を回り回って
 何処の誰かも知らない人の
 笑い声を作っていく
 そんな些細な生き甲斐が
 日常に彩りを加える


って歌ってるからさ(「彩り」より)


 ちょっとしたこれまでの会話が、
きっと誰かの人生の一部で、
私の人生の一部で、
そういうもののシェアの連続が、
何かのきっかけになっていって、
それが何かのきっかけになったかどうかは
未来のどこかでいつか振り返って
過去を眺めたときにやっとわかることなんだろうな、


 と思えるようになった。


 VCでの仕事をもとに、リーダーシップをとって勤務できた今の教育職を、今月辞める。

 上司にも同僚にも、
「あなたがいなくなったら困るわあ」
「あなたがいなくなったら主力が」
「あなたの穴は4〜5人入れなきゃ…」
と言われたりしながら、それでも私は辞める。今の教育の仕事でこんな評価を受けることができたのは、VCの仕事の糧だし、私の考え方や生き方や付き合う人を変えたおかげだった。それらのきっかけの種は、VCでいつも会う方々との日々の些細な日常会話だった。


 どんなところでどんなふうにGIFTを得られるのかわからないけれど、いつか何かを考えた時過去の何かの会話は、私の、誰かの人生を動かしてゆく。


 コロナで日常が奪われて、仕事が奪われて、私はその幸せをよく知った。


 「まだまだ若いんだからいろんなことに挑戦」したい。

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#ミスチル

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