茹だるような夏の暑さに。

5日くらい全く、一文字も書けなかった。


ベッドから起き上がるのもかなり苦労して、仕事の日は、休んだら給与が減るから頑張っていって、それからもともと予定を入れていた日は朝からじゃなかったから頑張って起き上がったけれど、それでもここ5日以上、ずっと身体も頭も熱ってるし頭はずっとがーんがーんと痛いし、日焼け止め塗り塗りしているのに日焼けするし、くらくら。


夜1:30前にしてなお東京は27℃をこえる。


日中は、本当にこのまま皮膚ごとドロドロ溶けていきそう。


これでまだ7月中旬だなんて、信じられない。


いったい、日本の夏は、どこまで暑くなるというのか。


でも、暑さが厳しくなるにつれ、ガンガンにつけられた冷房の電車やバス、デパートやカフェに入るたびに、


「こんなに冷房つけていたら余計に地球温暖化止まらないんじゃないかな」


「こんなにガンガンにしなくていいのに」

「暑いところから急に寒くなった」

「寒すぎる」

と思う。


冷房をつけていることだけが地球温暖化にすごく影響するわけじゃないかもしれないけれど、不必要に涼しくされすぎるのも困る。


男性と女性では、体感温度は違うというし、体型が違えばもちろん脂肪量や筋肉量で体感温度は変わるだろうし。


だから、公共の設備でガンガンにしてくれなくていい。


何度が環境にとって良い温度か、
女性や男性の体感温度の違いを踏まえて真ん中はどのくらいの温度か、
体型別の温度感の違いを考えたらどの程度が適切か、

という数値くらいは誰かが出している気がするから、その温度を測定して、ちょうどいい温度にしておいて欲しい。


電車は正直寒すぎる。


寒すぎる車内やスーパーなどから突然、溶けそうなほどのあつい街に放り出された時の温度差による身体へのダメージは、かなり辛い。


昔は、寒いのが苦手だったから、絶対に寒い地域になんて住めない!(何せ、アバターと言われるほどに、気温が低くなるにつれ体温も低くなり、身体の表面も青くなるから)と思っていたけれど、この地球温暖化の今の世界では、むしろ私にとっては秋冬の方が心地よくて、


夏があんなに好きだったのに、


花火も8月から10月などに変更になっていたりして、

夏が好きだったのは、あの、
夏の暑い日差しから、太陽が沈んだ後に訪れる、暑いけれどどこか心地よく、闇にはならない明るい青い空に浮かぶ花火、


みたいな心地よい夏だったのに、


もうそんな夏を、過ごせなくなってきている。



ここ2週間くらいずっと、身体が、起き上がれなくて特にここ5日間、苦しかった。




夏といえば、


 煩わしいほどの蝉、夜空に咲く花火、
夏のあの揺れる空気に香る独特の香り、


 日照時間が増えて、私としては、1年の中であんまり憂鬱な時間が多くない時期だったはずなのに、最近は暑すぎてめまいと頭痛と息苦しさで、毎日やられている。


 まともに働きたいと思っているのに、1日ちょっとでも外に出たら次の日はぐったり、次の日も少し頑張ってしまったら家に帰ってきてから全く記憶ないほどぶっ倒れている、


 そんな状態でどうやって実家を出られるというんだろう、と思いつつ、もし本当に父に30歳になった時に家を追い出されるのだとしたら、その期限はもう1.5か月を切っている。


てんかん患者が発作を起こしやすいと言われる条件に、

神経の膜は、急激に体温が上昇する際に不安定になることが知られています。このことが直接症状に現れる、


とある。


体温上昇時に発作が起こりやすい人がいます。多くの場合、体温の上昇にともない発作が起こり、上がりきってしまった状態ではあまり起こりません。そのため、高熱の人に坐薬などを使用して無理に体温を下げた場合、再上昇するのにともない、けいれんを起こす機会を人為的に作ってしまうことになります。体温調整は慎重に行う必要があります。

体温上昇は、感染症の時だけではありません。入浴も同じです。入浴時間を短くする、シャワー浴にするなど工夫をします。


屋外で直射日光を浴びたり、屋内でも真夏の暑い日など環境温の上昇でも体温は上昇します。

体温上昇に敏感なてんかんのある人でも、タオルて作ったマフラーに冷却材を入れて首に巻くなどの工夫することで、夏でも屋外に出ることができます。


とも記載があった。


 そのくらい体温調節は重要なのであるが、私は実に昔から体温調節がうまくできない身体だった。小さい頃からなのかはわからないが少なくとも小学生の時から、体温調節があまりできない自覚はある。


 視界が揺れるほどの暑さは、人類全体としても、適切な状態ではないが、ここ数年は特に命の危険が伴っている。私のような持病を持つ人たちや、日差しにあたることができない病気などをお持ちの方は、年々辛いんだろうと思う。


 5日経ってやっと出てきた言葉は、こんなものであった。


 あまりにも暑すぎて、仕事中も、水分をとってもとっても、フラフラしててままならない時もあるくらい。


元気のいい日にだけ出かけるか、日差しが降りてから出かけるか、出かける予定のために十二分に休んでおくか、出かけた日の帰宅後とか翌日にバタンキューするか、


そうやってやっと調節して働いて、やっと調節してお出かけをしている状態なのだけれど、


やはり、こういう状況を、認識してもらうのは難しい。


 ここ数日間も働いてるし出かけていたけれど、ずっと頭が痛いし、暑すぎて身体のなかの血が沸騰しそう。



 避暑も、目的の一つにあるかもしれないけれど、個人的にはやはり、東京で生きている限り、情報過多と時間の流れの速さと、モノに溢れすぎているのが、苦しいなと感じるようになってきている。

 もちろん、東京以外の、首都圏以外や大都市以外のところに住んだらどうなのかわからないから、比較はできないんだけれども、


 とにかく、情報が多すぎるし、モノが増える、なんでもすぐ手に入るし、欲しいと思ってなくてもいいなと思うモノに出会ってしまったりするし。



減らしたいんだ、ってずっと言っているのに、
どんどんモノも頭の中も増えていく。

キャパシティがない。


 でも、私にはひとつ、都市部以外に住んだことがないこと以上に、最大の問題がある。


 今のわたしには、

 こういうことをして、こういうことのために、この地で、この環境で、生きていきたい、働きたい、頑張りたい


 といった具体的なことは何ひとつない。


 それは、私が日本では区内と横浜にしか住んでいないから、うまく他の地域で生きていく、暮らしていくという図が描けないこともひとつかもしれないけれど、


 その前に、今のわたしは、目の前のモノの多さと情報の多さに溺れるばかりで、整理が追いつかないまま既卒6年目がすぎていっていて、


 もう何もかもわからない、


 何したいとかももうないし、わたしにできることなんて何もないし

 能力もないし、どこにいっても働けないし、


 誰の役にも立つことができない、


と失敗経験しか、いや、失敗経験すら積めずに、未経験事項ばかりのまま30歳になろうとしているからなのかもしれない。


部屋のものを少なくしていって、整理していって、多いのは大概本、紙類、化粧品なので


化粧品はとにかく、どんどん使っていって身の回りのものを減らしていこう


そう思っていたのになんだかんだ増えたりしているし、思ったように減らない。


わたし、本当にそれが欲しいの?


って突き詰めて突き詰めていったら、要らないかもしれないけれど、


両親の下で、出かけるのが好きでイベントが好きな母と出かける予定がまた、2019年のように増えていっていて、時々断れなくなったり、ここ何年もずっと機嫌悪く自分のご機嫌も取れない父親から逃げるように出かける母と、私も家にいて父や母の、互いの愚痴を永遠に聞いてるのが嫌になって出かけたりして、

また、それも、余計に自立を遠ざけたりする。


やっぱり、非正規雇用のままじゃ、特に今の仕事のままでは、これ以上仕事を増やしてもらえそうになくて、大学生のアルバイトより少ないから、


他の仕事を増やして今の生活をマイナスにしないことをまず目標に、それから、いずれは、アルバイトでも余裕を持てるくらいにしてできるなら、正規雇用には限らないけれど、とにかく定期収入を得られるように、


とするしかないと思っているのに、


頭も身体も全く追いつかないまま
ただただ情報量だけが多くなる。


そして、情報に溺れてパニックになる毎日。


疲弊して、終わる。



そんなパニックには、頭を、身体を内からも外からも冷やすことが結構大切なのに、


なんだってこんなに世の中は暑いんだ。


 でも、夏の暑さのせいにもしていられない。


もうわたしは24歳じゃないし、25歳でもないし、26歳でもコロナ禍でもなくなってしまったし。


生きてるのが辛いなと思ったり
もう生きていたくないんだけどなとか
もう別に死んでもいいんだけどなと
ずっと思ってきたけれどどうやら全然死なないし、


それに何より、


生きろ、って言われちゃったしね。


あの、言葉、結構心に、きている。


がむしゃらに生きている彼の背中は、

大きくて頼もしくてどこか揺れていて


でも、その、揺れが、羨ましかった。


わたしも、この人が、いいね、

ってなるくらいの何かを、したい。進めたい。人生をちゃんと歩みたい


と思ってしまった。


あんなに、もう生きてなくてもいいと思っていたのに。


越前くんに会いにいって、はや3週間ほど。


わたしの中で、変わりはじめた何かは、
まだ、彷徨っていてつかめなくて、
ひょっとすると時々どこにいったのか見失って消えてしまったのではないかと不安になるけれど、


彼があそこで生きているあの声と背中とあの時の会話が記憶に刻まれたから、たぶん、消えないと思う。


夏が終わる頃には、彼に何か伝えられるくらいの自分でありたい。


何ってわからないけれど。


 それにしても、夏は、こんなにも暑くなるものか。


このままだと2050年には、47度を超える日が続くという予測も出ているみたい。


炭素排出量を減らして酸素排出量との均衡を保たないと(これがいわゆるカーボンニュートラルって言われてるやつです)

世界は本当に壊滅する。



人間が活動しやすいと言われる温度は、
18〜28度まで(冬の最低、夏の最高)とも言われているようである。


だとするならば、夏は、すでに活動しやすい温度をとうに超えている。



暑すぎる世界では、住みにくいから、


やはりもう少し目の前の快適も時には大切だけれどもできうる限りで、地球温暖化を止めなければ加速していったら、数年後の自分達が余計に苦しむんだろう。


無職のわたしが新卒一年目のときは、まだそれでも声をかけられたかもしれないし、まだ、戻りたい道に、行きたい道に戻れたかもしれないのに何年も経つと、だんだんともう生きづらくなって生きられる道がなくなって、生きていられる環境がなくなっていっているように。


まあでもやっぱり、

わたしの場合、実家暮らしは、

両親の関係性上あまり環境的に良くなく、

また母親がわりあい一人行動ができないくせに人を連れ出して色々まわったりするし、物は溜め込むしでそれもわたしにとっては良くなく、


起き上がるのも辛いくらいずっと身体が辛いんだけれども、働けてないのは、働けない環境や身体もあるんだけれど、

それでもどうにかこの家を出ないと、
一生負のループを彷徨うばかりだと、

最近は、家を出ることにもっと注力しようとしてきた。


(結果として、身体の事情、そんなに働けないのに、実家の環境が良くないから家を出たいとなっても、両親健在、都内住みだと、「実家で生きればいいじゃないですかー」って独り立ち支援も、独り立ちのために就労相談もできなかったのが現状です。なんで?区役所の人考えなおしてほしい)

 あとは、一人暮らしをずっと避けていたのには、持病があって、薬を飲みはじめてからは、今の所一度も発作は起きていないのだけれど、


 発作はなくとも起き上がれない今の身体の体力の現状、働けていない現実を鑑みて、一人暮らしのためにそれを努力でカバーした場合、無理をするだろうって思っているのは、あります。


 一生この持病と生きていくには、わたしには、まだ重くて苦しいです。倒れてから6年経つけれど、いまだに一人で抱えるのは辛いです。


 だから、時々、親愛なる友人に、べらぼうに甘えようとしてしまうんだと思う。


 そんなこんなで今の状況のわたしは、自立しなければならないけれど、全然行動に移せないまま。


 いったい、私は、この環境のなかで、どうやって生き抜いていくのか、


 それをもっと考えなくてはならない。地に足をつけて、彼が言ったように、目の前のことを必死にやっていくしかない。


 今、何から手をつければいいのかわからないまま、どんどん風呂敷を広げて広げて広げて手に負えなくなっている。7月に入って、6月までにやりたかったことを7月にはてをつけなきゃと思っていたのに、


 暑さと熱中症と、背骨が弱いのと、頭痛と気持ち悪さとで、

 時折入れてる楽しみな予定のために体調を合わせているだけで後の時間はほとんどぐったりの7月だ。


 苦しいことは、あまりSNSに書かないようになったのは、書かないようになったのではなくて書く体力すら無いってだけだとは思うけれど、これを機にもう少しずつ減らしたいなとも思う。


あんなに好きだった夏は、
もう消えてきているけれど


花火の夏も

夜が心地よい夏も

夏の思い出も。


でも、夏の間に、


やりたいことをやらないと、29歳終わっちゃうからね!


#夏


 と思っていたら2:20になっておりました。


政府は子育て支援とかいうけど、
子育ての前に結婚する経済的環境もない若者たちや、
その前にわたしのように若い頃、学生時代までに過労とかその他病気になって就労できなくなって人の支援なんて、

全然してないからね。

特に、発達特性ってのは最近になって少し教育に関しては理解が進んできたように思うけど、

子どもの教育や育てることにおいて、
理解しましょうとはなっても、

大人の発達特性持ちに対しては、

厳しい環境のままです。



#発達特性

#発達障害

#就労問題

#29歳無職

 最後に、今日は、三浦春馬さんが亡くなった日ですね。もうあれから3年が経ちました。いまだにあの日のことは覚えております。久しぶりに転職活動を再開して、リクルーターと言われる人に4時間にも及んで履歴書のダメ出しを電話で口頭でされて(これ自体はありがたいことなんだけれどね)、疲れてしまって苦しくなって首吊り紐の長さにビニル紐を切って、首を絞めてみたのに全然絞まらなくて、部屋に紐をかけるところを探したけれど見つからなくて、死ねなくて涙を流しながらスマホを開いたら、「三浦春馬さん 死去」のニュースが入ってきた。どうして才能ある人が生きていけない世界でわたしみたいなのが生きてるんだろうと思って、誰もいなかったのをいいことに、声を出して泣いた。

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