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steer my life in a positive direction

 久しぶりにFacebookをひらけば、
軽井沢でカフェをオープンするという知り合いの30代の方、
高校生が社会人の話を聞く会を設けるという大学の先輩、


やっぱりみんなずっとずっと前に進んでるような気はしなくもない。でも、、


そういうものが、前よりずっと
いい意味で?他人事になった。


 少し前までは、そうやっていろんなことに挑戦したりどんどん前に進んでゆく友人たちをみては、自分に失望して、何もできないのが悔しくて、悲嘆に暮れることも多かった。


 今だって全く焦らないわけじゃないけれど、もっとずっと、
どっしり構えられるようになった。


 なんというか、他人のことは他人、
私は何をしたいかしら、私はこれから何をしていけるかしら。そうやって考えられるようになった。前よりずっと、教員という仕事を前向きに検討しながら、それでも進めずにいるような感覚はこういうところからきているのかもしれない。


結婚した友人や同級生が増えてきて、
子供を産んだ同級生も増えてきて、
焦らないわけじゃない。みんな自立してるんだ、とそのたびに思う。


でも、この間、中高の友人に久しぶりにあったら彼女はこんなことを言っていた。


私は今まで彼氏できたことないし。結婚したいな、子供欲しいなとか思うけど、そもそも彼氏できたことないからさ。 

と。


 それはそれで彼女は他のいろんなことができるし、仕事も大変でも充実しているだろうし私よりたくさん経験していることがあるけれど、彼女は彼女なりに不安や恋愛経験のなさを不安に思うのかもしれない。


 私が、恋愛で失敗しながら、転びながらそれでもまた、人を好きになって付き合ってまた転んでという経験をしている時、この世の、同い年の、恋愛したいのに彼氏欲しいのにまだ誰とも付き合ったことのない誰かは、私とは違うことで焦っているのかもしれない。


 私が、まだちゃんと働けたことがないまま28歳になることへ、漠然と不安を抱えながら、その不安に押しつぶされそうになって進めなくなるのと同じように。



 みんな、、私が思っている以上に、
同じように不安を抱え、悩みながらそれでも毎日必死に生きているんだ。


 そういうことをやっと
身体でわかるようになってきた。


 わかるようになってきたら、
毎日みんなそれぞれに
不安を抱えながら、それでも
生きるために、自立するために
働いている人や一生懸命何かに打ち込む人、家族を支える人が今まで以上にずっとずっと素敵に思えた。


不安で進めない私に対し、彼らは
不安を抱えながらも進んでいるんだって。でも、だからって卑屈になったりしない。私は私で、これでも2018年より、2019年より、2020年より、変わったし。ちゃんと前に少しずつ進んでいるし。


 今も部屋は綺麗にならないし、写真は整理し終わらないまま溜まるし、色々動きすぎて後から後悔するし、まだ夜神くんのことも捨てきれないし、でも前ほどの想いが消えてそれに焦ったりもするし、まだ代替可能な非正規雇用者だし、まだ親に何でもかんでも頼っているし、一向に大学生のアルバイトより稼げないけど。それでも私は少し変わった。ちゃんと変わったところも変われていないところも、変わらなくていいところも少しずつだけどわかるようになってきた。


 この間、中高時代の友人にあったとき、私がSNSで文字をいっぱい排出してしまうことについて、彼女にこんなことを言われた。


まあ、たしかに、ああ、またなんかたくさん言ってるなーと思うよ。でも、それがよねじゃん。私とか、中高から一緒の私たちは、そういうのがよねだってわかってるからさ。 


 変われていなくて焦っていた私は
少しだけ肩の荷がおりた。

 彼女は、中高の友人たちは、
いつ会っても、中高時代の私を思い出して、


でも、あなたはそういう人じゃん。そうやってもがいてきたじゃん 

 と今のままの私も、それはそれと
認めてくれる。


 そして同時に、
昔より大人になった部分、
変化したところも。


 時に、それを「あなたは変わってしまった」と否定してくる時もあったけれど、色々経て27歳になった今は、お互いに成長して、彼女たちは私よりずっと成長がはやくてだから、私がゆっくり成長することも、私らしさも私以上にわかっていて、認めてくれる。それでもいいんだよと。かといって甘やかすわけではなく、「もういい歳した大人でしょ」「もうちゃんと自立しなよ」というようなことも言ってくれる。厳しいことを。


 そう。20代の後半になってから、親愛なる友人としか、ここまで心を開くことができなくて、その親愛なる友人も出会ってから5年ほど経ってやっとそこまで心を開くようになったから、私はやっと彼だけが、私が苦しい時も頑張りたい時もそばにいてくれると思っていたけれど、


中高時代の友人やその他出会ってきた人も、親愛なる友人とはコミュニケーションの仕方や甘やかし方が違うだけで、私のことをよくわかっていて、支えたり鼓舞したりしてくれるのだと気づいた。


 今も、みんなと同じような生き方ができないことを焦る時ももちろんあって、26歳まではみんなと同じようにを目指して頑張れなくてすぐに折れていた。


 でも、そもそも、周りの人と同じような働き方や、私から見えている他人の生き方を目指そうとしているのが間違えているのだと27歳という月日を過ごしてきてわかってきた。私には私の人生があって、もちろん、社会に生きている限り社会に果たさねばならない責任があって、それを負えていない今は良くなくて、そして社会に責任を果たすためには、やはり社会の歯車にならなくてはならないのだけれども、
 そして、そういう意味で、「周りの人と同じような生き方」「周りの人と同じくらい責任を果たせる生き方」「自立するために責任を負う生き方」をしなければならないのだけれど、


 それは別に、周りの人と同じような(私から見えている他人の表の)働き方、目標を指標にするのではなくて、
 ゴールは結局「死」なのだから、
その「死」までの過程を、私なりに楽しく、幸せに生きながら、社会の一部としてその構成要因としての責任を果たす、

 そういうことが大事なのだと、
やっとわかってきた。


 いつも、新年に立てた標語を
1年を通して咀嚼していって年末までに理解したり達成したりできる。


 そう、今年立てた目標標語は
ATSUさんの言葉からとった。


人生は時間配分。 
最適な時間配分のための
合理的意思決定により、
幸福度を最大化する。 


だった。


 これは補足すると、つまり、



 何に幸福感や充足感を感じるかは人それぞれで、人生というのはその自分の幸福感や充足感をいかに最大化するかというゲームである。自分の充足感を考えずに意思決定することも無駄ではないが人生の時間は限られているから、より良い選択肢があったのに別の選択肢を選ぶことになったりするかもしれない。だから、日々「自分の充足感を得られる人生」を考えないと、ただただ社会の渦に流されて考える余裕がなくなり、他に行きたい道があったかもしれないのに突っ走ったと後悔したりしてしまう。

 自分が何にフラストレーションを感じ、何に幸せを感じるのかをわかると、最適な時間配分のための合理的意思決定ができて、幸福度を最大化しようとすることができる。興味は行動しないと生まれないから不純な動機でも頑張ってみて、行動してみたら、軽くなる。 

 努力するというのはだるいことで、痛みを伴うけれど、一度行動すれば軽くなるし、好きなことのための努力なら痛みがあっても耐えられる。そして、努力の質を変えるだけで同じ努力量でも幸福度は変わるし、いろんな性質の努力の仕方、行動の仕方、意思決定の仕方を持っていると、自分の中で比較して最適解がわかるようになる。

 だから、本気で1ヶ月行動してみてどう感じたのかを考えて変えていけばいい。そうやって考えると、人生は他人の声を気にしていられるほど長くない。嫌なことに割く時間を少なくしないと幸せを最大化できないから、他人のための自己犠牲はしない。SNSや連絡も、自分のみたいタイミングや時間に見て、スッキリした状態の時だけ見るなどコントロールする。 

 そうやって自分でコントロールできる要素を増やすと充足感が上がる。そして自分に責任があるものというのは自己コントロールしやすい。だからスキルを磨いて責任を持てる要素を増やして自己コントロールする。そうすることで助手席に乗る人生をやめて、自分で運転できるようになる。

 そもそも、人に期待するというのは依存しているから、失敗しても後悔しないようにするには結局自分で考えて行動するしかない。そうやっていく中で外的要因の中で移行できればコントロールできる。

 常識の奴隷になると比較対象が常にいるから考え方が貧困になるけど、みんなと同じことをしようとしているから比べたくなるけれど、ユニークな存在になってしまえば、他の人と比較することがおかしいし、”普通は"といわれても、それは「あなたの“ふつう”はあなたの基準だ」と思える。そして、人にこんなことを言われていたよなどと言われても気にしなくなるから結局のところ、自分の幸福感や充足感は自分で最大化できるようになる。



 ざっとこういう話。これをやっと、少し理解できるようになってきた。


 大学時代の友人達も、親愛なる友人もATSUさんも、SNSで出会った友人も私が、「この人素敵だなあ、すごいなあ」と思っていた人たちは同じことを言っていた。確かに私にこういうことを前から言っていた。




 長い時間かかったけれど、手帳にATSUさんのこの言葉を書いて、今年の目標をATSUさんの言葉からとって、



27歳の目標を

今自分のやっていることに自信を持つ

丁寧に生きる

頭の中に親愛なる友人を錬成する

の3つにしてみて、やっと少しだけその言葉通りにできるようになってきた。


 昔、HUFFPOSTのジェンダーの話を読んでいた時、こう書かれていた。


 自分に何もないような感じで挫折感を味わう人や年齢にプレッシャーを感じている人は、自分と属性の近い人たちに囲まれているから焦るのかもしれない。同世代の友人が結婚した、妊娠した、転職してキャリアアップもしたなど、自分と比べてしまいがち。

 でも、世の中にはいろんな人がいて、違う世代の人とか違うコミュニティに目を向けたら世界は広がって見えるし、なるべく外に出て人間関係を広げる努力をし、自分の新しい価値を見つけてくれる人に出会えばいいと。

 社会の中にはいろんなところに確かにグラスシーリング(ガラスの天井)が存在するけれど、着実に色々な選択肢を取れる世の中になってきているし、だからこそ、自分がどんな自分でありたいのかを自問することが大切だし、自分自身が1番自分を幸せにする力を持っているしその方法を知っている。

 だから、自分の力でどうにかできることと社会にアプローチするべきことの両方から知恵を絞り、自分を苦しい状態に留めない。それが大事。


 これを聞いたのは2018年で、まだやっとそういうことが大事、そうそうとなんとなく思っていたところに言葉を与えられた状態で2019、2020ともがいて少しずつ自分の身体で、行動で変えてきて、2021年の今、ああ、それそれ、と行動にうつすところから頭で自分のものとして、その価値観を言語化したり理解できるようになりはじめたところ。

 人それぞれに、それぞれ生まれてきてからこれまでの経験があり、コミュニティがあり、その中で価値観が形成されてきている。だから、私は私だけの、ユニークな経験からつくられた価値観と生き方が形成されていて、もちろん、社会における責任を果たすという意味での「やらねばならぬこと」「義務」、そしてそれを果たすための「責任」は周りの人と同じように科され、それを今負えていなくともいつかは負わねばならないし、負わなかった分の損失やツケは後になってふりかかる。


 一方で、人生は生まれるというスタートから死というゴールなのは、人間として生まれてきたら皆共通していて、何年生きられるのか、何をもって生まれてくるか、どんな環境に生まれるかは、自殺というゴールを果たす以外は、ほとんど自分自身で選べない。誰しもが。


 そうであるからこそ、社会的弱者として生まれてきた人や経済的困窮による機会損失は社会で是正していくものだとも思えるし、経済的に恵まれているだけで選べなかったにしろ良い環境を与えられているだけで選択肢が広がるのだから恵まれた環境に生まれたのに「私は選べなかった」という友人にはやはり違和感を覚えるものではあるのだけれど、
 それでも、だからこそ、大人になるということは、ある日突然大人になれるのではなくて、20歳になったら大人になれるものではなくて、だんだんと、その責任能力を負うことができたり、社会の理不尽や自分の環境について理解しながら、与えられたもののなかで感謝しながら努力する、それぞれに与えられたものは異なっていて、だから他人がいいだの、あなたはいいわよねだの、そんなことではなく、自分の人生の充足感を高めることに専心するような生き方をしていくこと、そしてそれに伴う責任と自由を自分で負うことが大人になるということなのだと思えてきた。



 さて、28歳、
大学院文学研究科修士課程卒、無職、非正規雇用、独身、実家暮らし、親に世話になっているままの私は、自立するために、自分の人生の幸福度を高めるために、他人の意見や生き方をただ悲観的に比べないようになるために、私の人生であるとともに、私という登場人物が親の人生の一部でもあり、他者の人生の一部でもあって互いに影響し合いながら生きているということをきちんと認識して、もう60になった親のために自立するために、何から始めようか。


 そう考えた時、まずは、
他者のことは他者の人生、
私は私。そうやって切り離していく力が、誰が何を言おうと自分で自分の人生の時間をきちんとコントロールすること、

steer my life
 in a positive direction
(前向きな方向へ人生の舵を取る)

ために、つまり、


 人生の幸福度を高めていくために、
今何をすれば良いのか、考えて仕事や日々の行動、何にお金を使うのか、行動規範、誰と付き合うのか、どんな考え方を持つかなど決めていかねばならないし時に、その時の流れに乗りながら、その都度遭遇した出来事を、糧にして強くならねばならないと思うようになってきた。


#人生の舵

#28歳

#目標

#自由と責任

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