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猫飼いのすゝめ 愛猫キピの追悼に寄せて Part 2

猫飼いのすゝめ 愛猫キピの追悼に寄せて Part 1」 の続き。


キピは、待っていてくれた。実家に戻ってやっと対面できたとき、間に合ってほっとすると同時に、ほんの2ヶ月前には想像しえなかったキピの姿を目の当たりにした悲しみでいっぱいになった。チャームポイントのぱっちりとしていた目は辛そうにしょぼくれて、食べ物もほとんど受け付けないために痩せ細り、もともと小柄な身体がさらに小さくなったようだった。

ほとんど寝たきりの状態ながら、キピは私に気づいて顔を上げた。ぼんやりとした表情で見つめるキピに「ただいま」と声をかけて、頭や身体をなでながら、私は、そのまま堪えきれずにボロボロと涙を流してしまった。キピは、なでられると必ず人間の手を舐め返してくれる律儀(?)な猫なのに、今やそれもかなわない状態になっているのがわかったからだ。

キピは、自分自身の毛づくろいすらままならないようで、毛並みもだいぶ悪くなってしまっていた。目はうつろで、瞬きすらできないようだった。ご飯も自力では食べられないので、両親から定期的に流動食と薬を飲ませてもらう。水を飲む体勢も辛いのか、皿の縁に顔を預けるようにし、水面に口をつけて、ゆっくりと時間をかけて飲んでいた。時々立ち上がり、ふらふらとトイレには行くものの、間に合わずに粗相をしてしまうこともあるという。

体調を崩して2週間も経たない間に、今年の正月には何でもなかったほとんどのことを、キピはもうできなくなってしまっていた。信じたくなかったけど、もう元気な状態に戻してあげられる術はなくて、残されている時間もきっと多くはないのであろうことは、事前に親から聞いていた話や、ビデオ通話を通して見たキピの姿から、嫌でも伝わってきた。そして、再会したことで、それは悲しい確信へと変わった。だったらせめて、できる限りのことをしたい。

そうだ、唯一キピが存分に甘えられる場所で、スキンシップをとろう。粗相してしまうこともあるからと、しばらく入れていなかったという寝室に、私はキピを連れていった。彼女はふらつく身体でベッドへと近づいていき、上に乗りたそうに手を伸ばした。

自力ではもう上がれないほど脚力も衰えてしまった彼女を抱き上げてベッドに乗せ、私は久しぶりにキピと一緒に寝転んだ。鳴いてスキンシップをねだるいつもの姿はもう見られないけれど、凝り固まってしまった毛をブラッシングして、こびりついていた目やにをとり、ひたすらなでていると、キピは微かにグルグルと喉を鳴らしてくれた。久々に聞いたその音が、嬉しくて、切なかった。

そのまま実家に2泊3日滞在してから、1日だけ一人暮らしの家に戻り、私は翌日からまた、テレワークをしながら実家に3日間滞在した。その短い間に、とうとう後ろ足の踏ん張りが効かなくなって、キピは自力で立つこともできなくなってしまった。そして、家に届く荷物や仕事の都合で、また自宅へと戻る日がやってきた。

私はキピを抱っこして、ベランダから外の様子を一緒に見た。3匹の中で一番窓の外を眺めるのが好きで、夜になるとキャットタワーの一番上に登って、自分の顔でカーテンをこじ開けてまで覗くほど外の世界を気にしていたのがキピだった。だから、たとえ向かいのマンションと駐車場くらいしか見えない景色であろうと、どうしても外を見せておきたかった。

たいていの猫と同様に、キピは抱っこが嫌いだった。でも、抵抗して無理やり下りる力はもうキピに残っていない。元気なときには人の身体の上に乗ろうともしなかった彼女をソファに連れて行き、この16年間で初めて私の身体の上に乗せてゆっくりと抱っこした。私をぼーっと見つめる表情も、軽すぎてあんまり感じられないくらいの身体の重みも、感覚としてはまだ残っている。

寝たきりの状態になってしまったキピは、この日「ン……」と微かに2回鳴いた。久々に聞くキピの声だった。多分、何かしてほしいのだろう。トイレに行きたかいのか、水を飲みたいのか、どこか痛いのか……どうしたくて、何をしてほしくて鳴いたのかを理解したかった。でも、きちんとわかってあげられなかった。……ごめんね。

夜になり、もう実家を出ないといけない時間になった。でも、別れが惜しくて、つい何度もキピの手を握ってしまう。猫の本能からくる条件反射のようなものなんだろうけど、手を離そうとすると、キピの爪にグッと力が入って、まるで握り返してくれているかのような錯覚をおぼえた。

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あぁ、どんな姿になっても、キピは可愛いなぁ。帰りたくないなぁ。離れたくないなぁ。ずっと一緒にいたいなぁ。……なかなか立ち上がれない私を見かねて、キピの手を握る私の手を、母がゆっくりと解いた。私は希望を込めてキピに「ありがとう」と「またね」を言い、後ろ髪を引かれながらも、実家を後にした。

一人暮らしの自宅に向かう電車の中、徒歩での帰り道……何度も涙が込み上げた。そう思わないようにしていたけど、今度こそ、もう会えないかもしれない。最後だったかもしれない。ようやく自宅に着くと、玄関に入って、靴を脱いで、キッチンのある廊下にしゃがみ込んで、ただただ泣くことしかできなかった。

そして、翌日の25時。キピは、添い寝した母に看取られながら、静かに息を引き取った。

父からその連絡がきた朝、“前日までキピと過ごせてよかった。できることはやれたから、悔いはない“と思った。先代猫に“何でもいいから1日でも長く生きていてほしい“と願っていた14歳当時よりは、“もちろん生きていてほしいけど、キピにとっては苦しい状態が続くんだったら、一方的にそれを願うのもかわいそうだ”と、もう少し冷静に受け止めようとする自分がいた。覚悟はしていた。そのつもりだった。

でも、いざこのときになって、やっぱり“いなくならないで”という思いがまた、涙になって溢れ出た。なんで、もう会えないの? 最近まであんなに元気だったのに、なんでこんな急にお別れしないといけないの? “ずっと一緒にいてくれてありがとう“とは思えても、“さよなら“なんて口が裂けても言えない。そう思いたくもない。認めたくない。キピに会いたい。会いたい……。

先代猫を失った当時、キピが家に来てくれたおかげで埋めてもらった寂しさを、私はキピを亡くしたことで16年ぶりに味わうことになった。そうだ、愛猫との別れは、身を引きちぎられるみたいに辛いものなんだった。

先代猫の後にやってきたキピを初めとする3匹の愛猫は、私の中学、高校、大学、社会人生活のさまざまなシーンから切り離せない存在だ。長年の暮らしで“いて当たり前“の存在になっていた家族の一員が、遠くへと旅立ってしまった。先代猫を亡くしたときの倍ほど歳をとっていい大人になった今でも、今生の別れの苦しみに対する耐性などつかないのだと知った。

……キピが天国へと旅立って1週間後。先代猫も眠るペット霊園に無事納められたということで、私はまた実家に帰った。

帰ってみると、兄妹猫2匹しか家にいないという状況が不思議で仕方なかった。いつも寝床にしていた場所を見に行ってみても、姿はない。兄妹猫が喧嘩を始めようとも、心配そうに見にくる母猫がわりのキピはいない。家を出るとき、リビングの方からゆっくり玄関まで歩いてきて、気まぐれにお見送りしてくれるキピは、もういない。どうしたって、もう会えない。キピの遺影にする写真を選びながら、母と一緒に泣いた。

翌日、両親と共に馴染みの寺に赴き、ペット霊園に着くと、先代猫の骨壷の隣に、新しくキピの骨壷が並んでいた。キピの本体はここにあるはずなのに、彼女がつい最近までいた実家での方がやっぱり存在を強く感じられるような気がして、不思議な気持ちだった。御供物をし、家で選んだキピの写真を置いて手を合わせ、16年分の“ありがとう“をキピに、そして、先代猫に“キピと仲良くしててね“と伝えた。


Part 1〜2では、キピとの出会いから別れの辛さまでじっくりと綴ってしまったけれど、Part 3ではまとめとして、いよいよタイトルの“猫を飼うことのすゝめ“について書いていきたいと思う。

⇨Part 3 へ続く

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